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プロローグ 戦国時代編
長く伸ばした両翼を微塵も動かすことなく身体を斜めに傾け鷹が飛ぶ。
その優雅なる姿、まるで空は庭だと言いたげだ。
今日は城内が騒がしい。姫は緒の太い草履を履くと庭に出た。左右の髪を緩やかにたわませた垂髪を元結で束ね、上にはクルンとした丈長が背中で揺れている。
辻が花染の小袖の上に細い帯を結び垂れ。浮織物(模様が浮いているように見える織方の布)の色打掛を羽織り、城内の裏庭に草履を進めた。
姫はそこに、ある方の姿を見て草履を止める。
前髪を後ろに撫で付けて、髪を後ろで引き結ぶ総髪。結ぶ位置が高い慈姑頭だ。青い小袖に袴。腰に獣皮の行縢を着装している。
彼は薄紅色のツツジが満開に咲き誇る庭にて土に顔を向けていた。何を見ているのやらと近づくと、彼は姫に気づき、慌てて正座をし両手を土に置いて頭を下げる。
姫は紅をさした口元を開く。
「何を見ていたのです?」
彼は顔を伏せたまま答えた。
「はい、黄色き花を愛ででおりました」
「何とツツジではなく黄色き花とな」
姫は彼の横にひっそりと咲く黄色い花弁に二重瞼の目を降ろす。
「表を上げよ」
彼はゆっくりと顔を上げた。
姫は彼を見やった。
「この花の名前を申せ」
「分かりませぬ」
「そうか……」
肩を落とす姫。
「立ちなされ」
「はい」
彼が立ち上がると、姫は自分との身長の差に驚く。姫は顔を少し上げ傾けた。
「そなた、名は何と申す?」
「はい、沙霧と申します」
「妾は亜子矢じゃ」
彼はキレ長い両目を見開く。
「上の姫様、恐れながら申します。姫様は菊姫様でございます」
「菊とは今の名じゃ、幼名は亜子矢と申す。親しき者は皆、妾を亜子矢と呼ぶ。沙霧よ、これは命令じゃ、妾を亜子矢と呼べ」
「恐れおおいことにございまする」
彼は腰を深く折る。
「ところで……」
亜子矢は指を差す。
「その腰から下げている竹の籠は何じゃ?」
沙霧は籠に手をあてた。
「これは白竹で作りました餌畚でございます」
「餌畚とは何じゃ?」
「はい、鷹の餌である小魚を入れております」
「鷹じゃと?」
「はい。わたくしは鷹匠でございます」
「そうであったか。今日は鷹狩りじゃと兄上が申していた」
鷹狩りとは、主君や家臣達が戦の合間に娯楽と称する行事である。だが、ただの娯楽ではない。集団を統率する技術や土地の視察など、武士が身に着けるべき技術を学ぶために行われている祭典だ。
鷹狩りの手順は複雑である。まずは獲物を見つけなければならない。獲物となるのは野鳥、兎、リスなどの小動物である。これらを勢子や犬が見つけて追い立ててゆく。こうして発見され、追い詰められた獲物は次の行動を起こす。走るか飛び立って逃げるかだ。そこへ鷹を放ち、狙った獲物を捕獲させるというワケだ。
鷹は動物の本能で獲物を狩るだけである。それを利用して、こちら人間側『鷹匠』が違う餌を与え、鷹から捕獲した獲物を引き離す。
鷹匠は、まだ若い鷹を捕獲して懐かせ訓練を行う。訓練では鷹を獲物に向かって放ち、捕獲して戻るまでの一連の動作が繰り返さえられる。いわば鷹匠は鷹を扱うプロなのだ。
主君である武田勝頼は、鷹匠を仕事とし、身分を与え城内に居住させていた。
沙霧が指笛を吹く。すると空を飛んでいた鷹が急降下し、彼の差し出す上腕から手の甲までを覆う革でできた手甲(装着具)に留まった。
「見事じゃ」
軽い合手を叩く亜子矢。
「恐れ入ります」
沙霧は頭を下げた。
赤色に梅の花が咲き乱れる打掛を翻す亜子矢。沙霧は頭を下げたまま、亜子矢が去る土を踏む音を聞く。
これが運命が導く長き歴史の幕開け。亜子矢、十三歳、沙霧、十四歳。二人の出逢いである。
元禄十三年。
場所は、甲斐国、躑躅ヶ崎館。亜子矢は武田信玄の五女として大切に育てられた。
父、信玄は風林火山の軍旗と共に戦国大名に恐怖を与えた最強武将の一人である。
「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」
これは信玄の名言だ。
多くの戦国武将の中でも最強と呼ばれた武田信玄の好敵手として並び称されるのが、越後の大名、上杉謙信。
武田信玄と上杉謙信は、互いの領地に挟まれた信濃を巡る「川中島の戦い」で十一年間のうちに五度も戦った。
信玄は亡くなる際に、跡継ぎの勝頼に「困ったときには、越後の謙信を頼るように」と言い残した程、武田と上杉の戦により生まれた絆は深し。
信玄は自分の死を「三年間は隠すように」と遺言する。従って表向きは信玄の死を隠して隠居とし、勝頼が家督を相続したと発表された。
武田勝頼が家督を継ぎ武田家の第ニ十代当主になったのだ。
亜子矢と勝頼は異母兄弟になるが、勝頼は亜子矢を可愛がった。しかし一国の姫としての教育も怠らなかった。
花嫁修業である。「礼法」「歌学」「茶道」「書道」「芸事」に励み教養をつむ。
姫の役割は、国と国とを繋ぐこと。
つまり、同盟の証として一国の主の元に嫁がねばならない。
亜子矢は勉学の隙間をぬって裏庭に咲く黄色き花を愛でるようになった。なぜか心が癒されるのだ。そこへ度々、沙霧が現れて二人は親交を深めるようになった。
二人は名もなき黄色い花を「おてんとうさま」と名付けた。花弁が太陽に似ているからだ。別れの時は「また、おてんとうさまの元でお逢い致しましょう」と言って別れた。
ある日、沙霧は訓練を終えた鷹を亜子矢に見せた。
「まあ、なんと美しき姿でしょう」
その鷹は、純白な翼を持っている。とても珍しい鷹であった。
「この鷹は、亜子矢様の鷹に致しましょう」
沙霧は亜子矢に白い鷹を献上した。
亜子矢は白き鷹に『白雲』と名付け、普段は沙霧の元に置いた。白雲はとても頭の良い鷹で、中々に逢えぬ二人の間を文にて繋ぐ。
沙霧と亜子矢は互いに文をしたためて白雲の足に結んだ。こうして情を深めていったのだ。
亜子矢は沙霧のことが誰より好きになった。また、それは沙霧も同じこと。
しかし、互いに心を打ち明けるなど言語道断。二人は熱く高鳴る鼓動を胸に秘めた。
そうして一年の月日が経つ。亜子矢十四歳、沙霧は十五歳になった。
白雲の知らせにより、逢う時刻を定めていた二人は『おてんとうさま』を愛でながら会話を弾ませる。
亜子矢は「おてんとうさまは良いな……」と呟いた。
「誰に縛られることもなく自由でいられる」
「そうですね」
頷く沙霧。
「きっと、おてんとうさまならば気持ちを秘める必要もありますまい」
亜子矢は、おてんとうさまから沙霧の横顔に視点を変える。
「そなたは気持ちを秘めておるのか?」
沙霧も亜子矢に顔を向けた。
「決して許されぬ気持ちを高貴なお方に秘めております」
見つめ合う二人に緩やかな風が吹く。
亜子矢は頬を紅色に染めて睫毛を伏せた。
「妾もじゃ、おてんとうさまを愛でる方に気持ちを秘めておる」
「亜子矢様……」
その夜、亜子矢は居室を抜け出し小袖を頭から被った。誰にも姿を見られぬよう、裏庭へと走る。
丸く輝く月夜の下に愛しい姿が見える。
「沙霧」
亜子矢は沙霧の胸に飛び込んだ。
「亜子矢様、お許しください」
沙霧は亜子矢を抱き締める。
どうか満月よ、緑の葉が落とす朝露の時刻を遅らせておくれ。少しでも長く抱き合い、互いの熱を伝えたいのだ。
決して言葉にしては許されぬ愛。二人は言葉の代わりに体温で伝え合う。
しかし、そんな日々は長くは続かない。
沙霧は溜め息をひとつ吐いて白雲の足に文を結び空へと放った。
文を読んだ亜子矢は、夜に裏庭へと走る。
そして待つ沙霧の胸に両拳をあてた。
「なぜです?なぜ、そなたが戦に行くのです!」
「お許し下さい」
沙霧は亜子矢の拳を両手で包んだ。
「わたくしには亜子矢様が嫁入りなさる日まで耐える強き心がございませぬ」
「沙霧……」
そう、先日、兄の勝頼より嫁ぎ先が告げられたのだ。武田家は、越後の上杉家と「甲越同盟」を締結。両家の同盟の証しとして亜子矢が上杉景勝の正室になると決まったのだ。
武田の家紋、四割菱を守る為の同盟、そして政略結婚。
これがどうにもならぬ運命だった。
長く日を待たずして、赤備えの軍勢が城を出発した。
亜子矢は城内にて、軍勢が去って行く足音を正座で聞いた。
沙霧が最後に残した言葉が胸に飛来する。
『もし、わたしが最後の時は、越後の空に白雲を飛ばせましょう』
家来の前にて、決して涙は許されぬ。
亜子矢は眼球に精一杯の力を込め耐えてみせた。
そして亜子矢は菊姫として、越後の上杉景勝の元に嫁ぐのだった。
景勝は幼名を『宗次郎』といった。宗次郎は心優しき主であり亜子矢を大切にした。
穏やかな日々が流れゆく。そんなある日、亜子矢は空に高く飛ぶ白き鷹を見た。
白雲だ。白雲は下降すると、亜子矢の肩に舞い降りる。足に目をやる。文は結んでいなかった。
しかし、白雲を飛ばした意味を亜子矢の涙は知っていた。泣いてはダメ!けれど必死に堪えた涙は止まらず頬を伝う。
侍女に「どう致しました?」と声をかけられるも、亜子矢は「目にゴミのようなモノが入りました」と内掛の袖口で瞳を隠し泣き続ける。
それは三日三晩続き、心配した宗次郎が薬師を呼ぶ程であった。
その後、白雲は珍しき鷹として、上杉家の鷹匠に託されることになる。
天正三年、「長篠の戦い」において、武田家は織田・徳川連合軍に大敗して以降、衰退の一途を辿った。
そして武田家は、天正十年に長き歴史に幕を閉じることとなる。
織田軍の侵攻を受け、武田勝頼は逃亡の末に天目山にて武田一族と共に自害した。
これにより武田家は滅亡。
当時二十五歳であった亜子矢と宗次郎の間に子はいない。
通常、政略結婚で嫁いだ妻の実家が滅亡した場合、同盟関係である意味がなくなることから、正室の地位を降ろされることがあるが、宗次郎は武田家が滅びた後も変わらず亜子矢を丁重に扱った。
この宗次郎の姿勢が上杉家全体に影響し、亜子矢は甲斐御寮人と呼ばれるようになり、才色兼備で質素倹約の賢夫人として、家臣達から敬愛されるようになる。
その後、織田信長が本能寺の変で亡くなり豊臣秀吉が天下人になった。上杉家は豊臣家の家臣になる。
天正十七年、豊臣秀吉は一万石以上を持つ有力な諸大名の妻女達を三年間、京都で過ごすよう命を下す。そのため亜子矢は、夫の宗次郎と伏見に設けられた上杉家の館に住み始めるようになった。
慶長三年、上杉家は越後から陸奥国・会津に百ニ十万石で転封となる。
慶長五年「関ヶ原の戦い」での敗北によって、米沢藩へ移封される上杉家。亜子矢は同地に入ることはなかった。三年経過後も亜子矢は伏見の上杉邸に住み続けたのだ。
亜子矢はここで人脈を広げ、家同士の交流を大切にした。信玄の娘として、また大名である上杉景勝の正室として堅実に務めを果たしたのである。
そして慶長九年、伏見の上杉邸で、四七歳で生涯を閉じた。
最期、亜子矢は両手を天井に伸ばす。
亜子矢が最後に想うたのは誰なのだろうか?今となれば知る術なきこと。
国と国を繋ぎ、戦乱の世を生きた強き女子。
運命の羅針盤が産声をあげ、方位を未来へと指し示す。
彼女は再び、この世に生を授かることとなる。
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