路地裏の化け物

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 少女は逃げていた。月の光も届かぬ路地裏で、狭い道を必死に走る。  逃げる少女の息は荒い。どくんどくんと早鐘を打つ心臓が、少女が命の危機に瀕していることを知らせている。  振り返ると黒いなにかが少女を追いかけてきている。それは人ではない。見たことのない化け物の類だ。  化け物は黒い液体をびちゃびちゃと壁や地面に叩きつけながらこちらへ迫ってくる。頭部にあたるのか、いくつも埋め込まれた眼球が少女を捕らえて離さない。 「あッ……」  少女の足が止まる。額から汗が伝う。  行き止まりだ。  目の前の物言わぬ壁は、逃げ道を与えてくれそうにもない。  ついに追い詰められてしまった。恐る恐る振り返り、壁を背にして化け物と対峙する。  化け物は何故か少女の前でピタリと止まる。ぽたり、ぽたり。液体がアスファルトに流れ落ちる。  化け物のたくさんの目は、少女をまっすぐに見つめている。 「ひっ……!」  少女は思わず悲鳴を上げてしまう。  しかし、化け物は少女を襲おうとはしない。ただ目の前に立っているだけだ。  敵意のない態度に少女が戸惑っていると、少しの沈黙ののち、化け物はゆらりと揺れた。 「アイ、シテ、ル」  ふるふると震えながら吐き出される聞いたことのない声。その瞳はうるんでいた。  液体の体から伸ばされる、なぜか不自然に形のある手。  黒く染まっているが、少女はこの手を知っていた。  両親がケンカしてる時もぎゅっと抱き締めてくれた手。  大丈夫だよ、とよしよししてくれた手。  最後に見たとき、だらんと投げ出されていた手。  最愛の兄の手だった。 「私もだよ、お兄ちゃん」  少女は化け物の体に小さな手を伸ばす。ずぷん、化け物の黒い体に手が沈んでいく。 「私もそっちに行こうと思ってた」  一筋の涙が流れた。少女は微笑んでいた。  化け物はにこりと笑って、少女の頭の上に腕を伸ばす。  液体がぽたり、ぼたりと少女のアザのある肌に落ち、彼女を黒く包んでいく。  痛みはなく、少女はその石油のような漆黒の重たい液体を全身で受け入れる。  ついに、化け物は少女を体全体で包み込んだ。  少女と一体化した化け物は一度跳ねると地面にどぷんと沈み、再び路地裏に現れることはなかった。  二人の行方は、誰も知らない。
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