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月日は流れ、私ももう社会人。偶然にも配属されたのは小学生の頃に住んでいた地域だった。
「暑いなぁ、熱中症になりそうだよ」
営業職の私は日傘を差しながらジリジリと照り付ける太陽を恨めし気に見上げる。もう一件回ったら休憩しよう、そう思いながら歩いていると不意に声を掛けられた。
「あら、斉藤さんじゃない?」
少し低い女性の声に振り向くと、そこにはおかっぱ頭に和服姿の女性が小首を傾げて立っていた。
「ええと、どこかでお会いしましたか?」
仕事柄いろいろな人と話をする機会がある。一瞬取引先の人かと思ったがこんな女性に心当たりはない。
(綺麗な女性だな。でも誰だろう?)
すると相手は「渡辺です。ほら、小学三年生の時に転校してきた」と名乗る。
「ああ! 公園でお人形さん連れてた、あの渡辺さん!」
二人して顔を見合わせ「久しぶりねぇ」と笑う。
「それにしてもよく私のことなんか覚えてたね。渡辺さんが転校してきてすぐ今度は私が転校しちゃったのに」
「ええ、わたくしとお話してくださったの、斉藤さんだけでしたから」
渡辺さんの一人称はアタシからわたくし、に変わっていた。言葉遣いも当時とは随分違う。まぁ当然と言えば当然か。
「あのお人形はまだ持ってるの? おかっぱ頭のお人形さん」
「あれはもう……でもお人形ならありますわ。ほら」
そう言って彼女は鞄から人形を取り出した。どうやら手作りらしい、黒髪を三つ編みに結い左右に垂らした少女の人形。
(ん、これって……)
その人形は幼い頃の渡辺さんによく似ていた。ちょっと猫背な感じまでそっくりだ。そして今の彼女はどちらかというと当時彼女が〝アスカちゃん〟と呼んでいた人形に似ている。
「あらいけない、わたくしそろそろ行かなくては。では、また」
渡辺さんは少女の人形をぎゅっと鞄に押し込んで会釈する。立ち去ろうとする彼女を呼び止めて尋ねた。
「あ、ねぇ! その人形にも……名前ってあるの?」
私の問いに渡辺さんはじっと私の顔を見つめた後、小学生の時公園で答えたのと同じく自分の名前を告げた。それを聞いた瞬間、今思えばどうしてそんなことが気になったのかはわからないが私は思わずこう聞いていた。
「それって……漢字? それともカタカナ?」
渡辺さんはニタリと嗤い何も言わずに踵を返す。そのしゃんと伸びた背中と堂々とした佇まいはあの渡辺明日香と同じ人物とは思えない。人って変わるんだな、と感心しつつふと訝しく思う。さっき彼女は自分と話したのは私だけだと言っていたがそんなことはないはずだ。別にクラスで無視されていたわけではないのだから。そこまで考えたところでハッとする。彼女はさっき何て言った?
――わたくしとお話してくださったの、斉藤さんだけでしたから
それって……。私は何とも言えない気持ちで彼女の後ろ姿を見送った。
了
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