4 狭間に立つ者 ③

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4 狭間に立つ者 ③

 休日の御社殿が昼休憩中に入る。先々週より人の入りは少ない。それでも幸紘は恭しく向拝(こうはい)に頭を下げて正面扉を一旦閉めた。  軽くため息をついて肩を解してからから拝殿の角に置いた鞄をごそごそ探る。中から電子煙草を引き出すと、 「前よりもいい面になったじゃねえか、小僧」  背後から瀬織津媛に声をかけられて幸紘は振り返った。  ひゅっと息が止まる。  目の前に本殿の格子戸の隙間から長い触手で繋がったソフトボール大の目玉がいた。ただ目玉は下方がぱっかり開いていて、火のついた煙草を咥えていた。その絵面がなかなかシュールな感じだったので、すぐに幸紘の肩から力が抜けた。幸紘は電子煙草を口に咥えて、にやりと笑った。 「自分に正直になったからじゃないですかね」  幣殿を歩き、いつもの指定席に腰を据える。目玉はシュンと本殿の内へ引き込まれていった。 「今日は静かだったから、寝てるのかと思いましたよ」 「寝てたよ。さっき目が覚めた」 「仕事してください」 「いつもこんなもんだろよ。先週だってそうだったぞ」 「先週は俺、熱で寝込んでたんで知りません」 「先々週が神社再開でたまたまだったんだよ。浩三がいる平日の方が大口の客があったりして、忙しい時もあるんじゃねぇかな」 「そんなもんですか?」 「そんなもんだ。浩三に聞いてみろ。嘘じゃねえから」 「じゃあ来週から晴れた日は外の掃除でもしますよ。今日はあまりにも暇で、媛も相手してくれないから、実は寝そうでした」  幸紘はくあっと欠伸をしてから、眠気覚ましに電子煙草を咥えた。本殿の格子戸の隙間からは先々週にひったくられた紙煙草の香りが紫煙とともに流れてきた。 「浩三から聞いた。お前、この神社継ぐことになったって?」 「ええ、まあ。成り行きですけど」 「浩三が季霊祭の最終日に小躍りしながら俺らに自慢してたぞ。自分から継ぐって決心してくれたんだって。これも神々のおかげです、とか言うてたけど……動機はお前の神様か? あいつはなんかすっげー複雑な顔してたぞ。やっちまったーみたいな。詳しいことは俺達も聞かないし、あいつも言わないけど」  幸紘は電子煙草を吸いながら、口をへの字にひき結ぶ。  宣言後、浩三の部屋に集まった家族の背後で、黒い浄衣姿の神様は眉間に深い皺を寄せて立っていた。大祭の後のような鬼の形相ではなかったが、喜んでいるようにも見えなかった。とにかく口の中いっぱいに苦い何かを噛みつぶしたような顔をしていた。その顔をさせたことは申しわけない気がしたが、幸紘に後悔はなかった。  誰にも負けない『力』を手にする、と幸紘は決意した。もう二度と、仕方ないなどという言葉で、神様の心に嘘をつかせないために。彼を、守るために。  もしこの選択が神様の為だったら、彼が喜ばないことで幸紘は心が折れたかもしれなかった。しかしこれはあくまでも幸紘の選択だという覚悟があった。 「ただ今すぐって訳じゃないんですよ。今の仕事を急に辞めるわけにもいきませんし、継ぐって言っても俺は一から十まで親父のコピーになるつもりはないんで。ただ親父のやってることをまったく知らないまま全拒否ってのもどうかと。知らず嫌いはフェアじゃない気がしたんで」 「正式にゼロの見習いからやる気になったわけか、新人」 「そういうことです」 「なるほど。殊勝なことだ。そういう前向きさは浩三譲りだな。うじうじ悩んどるお前の神様よりよっぽど好ましい。神職たるもの、そういう心がけでなくては。ところで今日はどこに居るんだ?」 「鏡池じゃないですかね」 「またか。拗ねるとすぐに自分のテリトリーに閉じこもるな、あいつ」 「休み明けには出てきますよ」  そうでなくては困る。気持ち悪いほどウキウキした浩三に、彼がいままでまったく無視していたギブスを気遣われて職場へ送迎された上に、「辞めるためのタイムスケジュール」を聞かされ続けるなど幸紘はまっぴらごめんだった。 「小僧が自分の意思で決めたことだろうに。卵生の親の癖して、稚魚が生まれたら口の中に入れたがる種類かよ」 「そういう種類なんですか?」 「いや」  瀬織津媛はさらっと返して紫煙を吐き出す。幸紘は拝殿の方を眺めながら、深々と電子煙草を吸った。 「俺……意外と短気って言うか、行動力あったんだって、初めて知りました。どっちかって言うとぼんやりと気が長い方だと思ってたんですが」 「お前は気が長いんじゃない。全てにおいて諦めていたから、粛々と受け入れていただけだ。殉教者のようにな」 「媛のせい?」 「かもしれん。俺に欲を食われて、何をどうしたいのか、それもわからず、周りに流され続けて育ったから、自分が見えていなかったんだろう。今の姿がお前の本来に近いと思うぜ。それに気が長そうに見えて、お前ずっとイライラはしとっただろ? それは受け入れてんじゃねえ。渋々従ってる状態の典型だ。その上で諦めてたんだ」 「そうかも。わからなくなった原因は媛では?」 「全部俺のせいにすんな。ま、これから頑張れよ、ルーキー。お前の使命に『覚悟』を決めたからには俺は遠慮しないし、これまで以上にいろんな事が、お前には見えてくるようになるんだろうからな」  くっくと笑って媛は紫煙を燻らせる。しばらくしてパタン、と小さな音を立てて本殿の格子扉の隙間は堅く閉じられた。 【3につづく】
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