2 厄虫騒ぎ ②

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2 厄虫騒ぎ ②

 夜になって、幸紘はふと虫の羽音を聞いた。  蚊のようで蚊でもなく、蜂のようで蜂でもない。季節的にはまだ虫が出るには早い。かといって『それ』とも微妙に感じが違う。なんにせよ集合体とか虫が嫌いな幸紘からしてみれば不快なのは間違いなかった。  ぱしゃん。  覚醒を促す水音を聞いて幸紘は薄らと目を開ける。視界を占めていたのは薄暗いオレンジ色の常夜灯を背に、ぞっとする程の殺意を帯びた目で見下ろす黒い人影と、それが掴んだ頭の異様に大きい蜻蛉(とんぼ)様の『それ』だった。 「うわ!」 「あ、ごめん。起こしたか?」  幸紘は飛び起きる。黒い影は神様だ。彼はベッドサイドに座って加奈子の首筋にいたのと同じ『それ』を手にしていた。幸紘は胸元の不快な湿り気に首筋を撫でる。虫の羽音のせいかなんだか忙しない夢を見た気がした。 「また精ですか?」 「これは精じゃない。『厄』の類いだ」 「違いがわからない」 「精は生命。『厄』は欲。生命は大地より生まれ、欲は人から生まれる。与えるものと、奪うもの。性質は同じで指向が表裏一体のものだ。基本的に欲は常に人間の内に有って『器』から溢れた分が『厄』になる。多くは黒い靄のような不定形で存在する。だが『器』から溢れる分が多すぎると、物に仮託されたり、時々こうやって姿を変えて飛んできたり、人にくっついて悪影響を及ぼすことがある。ギスギスした職場で飛んでるよな」 「ああ、たまに飛んでた『それ』……そうだったんだ」  幸紘は繁忙期になると職場に出現する『それ』らを思い出す。いろんな種類がいたのでてっきり神様の言う『精』かと思っていた。 「厄虫って俺は呼んでる。こうなると『祟り』とか『呪い』の部類だ。自分の思い通りに現実世界を変えたい強い欲なわけだから媛は大好物だけど、俺にしてみりゃ別に腹が膨れるわけでなし、美味いわけでもない。数を食えば悪酔いするだけの代物だ」 「だから加奈子から引き剥がした後、食べなかったんですね」 「こんなんで酔うくらいなら普通の酒飲むわ。大祭の後くらいからちょこちょこ飛び回ってて、媛が手当たり次第に食ってたんだけど」 「ああ……お察し」  幸紘はいつぞやの朝に聞いた大鼾を思い出す。悪酔いの原因は『それ』だったのだ。  神様は指に挟んだ『それ』を目の前で繁々と眺め、軽く鼻をひくつかせた。 「……これはどうやら浩三か光子から飛んできたらしいな」 「出元は叔父さん?」 「そうだとしたら早退した日の加奈子はどこで憑かれたんだろうな。何の縁もないところにこいつは憑いてこない。出元に会うか、出元から移された誰かと会うか。加奈子、翔と最近会ったか?」 「たぶんないですね。墓参りくらいしかこっちに戻ってこないし、年末年始は神社仕事で忙しいですしね。今年もこっちには来てなかった。違う人からの呪いである可能性は? あいつモテるらしいし、ストーカーの一人や二人は居そう」 「その場合は違う面構えのやつになる。呪いの顔は出元によって決まる。同じやつだ」  神様は手の内で蠢いていた『それ』を握り潰し、ベッドの右側にコロリと横になる。幸紘は枕元に置いた携帯で時間を確認した。
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