2 厄虫騒ぎ ②

2/2

25人が本棚に入れています
本棚に追加
/44ページ
「二時前……」  幸紘は小さく呟いて前髪を掻き上げる。今から寝て、約三時間後の起床はなかなか辛そうだった。  幸紘は左腕を上にして横たわる。普段は神様が見上げる形になる身長差でも、ちょうど神様と視線の高さが揃った。  神様が幸紘の前髪に触れ、顔が見えるように少し束を分ける。薄暗がりで神様は幸紘へ申し訳なさそうに眉を下げた。 「やっぱり狭いよな。鏡池が遠いのをユキが気にするなら、御社殿の祠で寝るけど? 寝にくいだろ?」 「大丈夫ですよ。それに俺が『それ』に集られないようにここに居てくれるって約束したのは神様では?」  幸紘は神様の遠慮を軽く笑ってみせる。神様は今日も食事が終わると窓から鏡池に帰ろうとしていた。引き留めたのはさっきの厄虫だ。階下からやってきて扉の隙間から入り込み、幸紘に憑こうとしていたのを神様が未然に防いだ。神様は他にもいると見てしばらくは夜を一緒にいてやると提案してくれた。 「たぶん今夜はもう大丈夫だと思うけど」 「俺はね。でも神様が、ショートスリーパーだって言ってもやっぱり昼間はいろいろと動いてくれたりしてるし、人間の生活は疲れますよ。御社殿の祠は手入れもされてないし、今の季節は寒いです。俺の送迎してくれる間だけでもここで寝れば、朝はぎりぎりまで休めるでしょう? 暖かいし」 「ん、そうだけどさ……やっぱ邪魔だろ。大の男二人で一つの布団とか」 「俺無駄に手足が長いんでこのベッドはダブルなんですよ。だから大丈夫。気にしないでください。すぐに眠れないのは中途半端な時間に目が覚めたからです」  本当はそれだけじゃない。目の前の、体温を感じる距離に神様がいるのが嬉しくて、ソワソワするからでもある。もともと体力はないし、怪我も治っていないし、仕事で疲れているので眠くないわけではない。だが寝るのがもったいないという気持ちも拮抗するほどに強い。そんなことで部屋を暗くしてからずっと、幸紘は眠気と興奮のせめぎあいの中にいた。 「それに、神と一緒にあるだけでも感応力はあがるって言ったのも、俺の願いを叶えるために住んでる池に連れ込むわけにはいかないって言ったのも神様ですよ」 「まあ……そうだけどさあ……ぁ」 「気になるようだったら布団を別で用意しましょうか?」  幸紘は言葉でこそ落ち着いた優しさを演出したが、心の中で譲歩を用意し、少しでも神様がここにいたいと思ってくれるように必死に引き止め策を考えていた。 「……んー……でも……なあぁ……ふぁ」  神様は大きくあくびをした後、うとうとし始める。ごそごそと身を隠す先を探すように布団へ潜り込む。額がこつんと幸紘の胸元に触れて、とくん、とその胸の内が高鳴った。 「か、み……さ……?」 「……お前は……気持ち……いぃし……なぁ……」  すぐに神様の寝息が聞こえてくる。顔は布団の暗闇に隠れていて見えない。きっと車の中で見たあどけない顔をしているのだろう、とその時の顔を思い出して幸紘は心の中がますますソワソワする。許されるなら今すぐ紙に描きとめておきたかった。  常夜灯の中で形のよい白い頭が目に入る。パジャマ代わりに着ている幸紘のTシャツは神様には少々大きくて、緩んだ襟の先に頭から続く滑らかな曲線が繋がる項と、連なる背骨と肩甲骨とそれらを支える背筋の凹凸がはっきりしているしなやかな背中が見える。  触りたい、と、触ってもっと形を掌で感じたい、と幸紘は強く思う。名前がわからなくても形が掴めれば縛ることができる。ならば神様に触れられれば少々『力』が弱くても、その形を手に入れられるんじゃないだろうか。形で、彼をずっと側に留めておけるのではないだろうか。そんな想いが幸紘に湧き上がる。 「どうすれば、あなたを、捉えられますか」  小さく独りごちて幸紘は神様の艶めく剃髪頭に顔を寄せる。唇が触れるギリギリのところで目を閉じると鏡池と水面に浮かぶ花の匂いがした。その匂いが瞼の裏で優雅に泳ぐ黒い魚影を描かせる。浩三と何度か通った鏡池で見た池の主だ。  ああ、たぶんこれが……神様の実体だ、と幸紘はすとんと腑に落ちる。  その魚の姿をもっとはっきりと捉えようと、幸紘は瞼の裏で冥く深い水底へ逃げていく魚影を追いかける。そうしているうちに幸紘の意識は魚影に誘われるように深く深く、眠りの底へ落ち込んでいった。
/44ページ

最初のコメントを投稿しよう!

25人が本棚に入れています
本棚に追加