2 厄虫騒ぎ ③

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2 厄虫騒ぎ ③

 その週の末はカーテンの隙間から朝日と言うには高く、強めの光が幸紘の閉じた瞼にかかって目覚めた。  右手が動かないという非常事態に気がついて、幸紘は天井を見ていた視線を右側に移す。布団の中から甘く清々しい匂いがしていた。隙間から中を覗いてみるとつるつるの坊主頭が見える。神様が右腕に絡まり、幸紘の胸元を枕に眠っていた。  ごそ、っと神様が動く。彼は幸紘の動きにつられたように目覚め、布団の中で顔を上げた。 「はよ」  眠そうな顔でふにゃっと笑う。猫みたいだと幸紘は思う。本性は多分水生の何かなのだが。  柔らかそうな顔に触れたいと幸紘は思った。だが右手は神様に完全ホールドされて、左腕は石膏の重しが邪魔をする。いつの間にかこの状態で一晩固定されていたようで体が硬く、腰が痛かった。 「ふぁ~よく寝た」  先に神様が起きてベッドサイドに座って体を伸ばす。だぶっとした幸紘のスウェットの、着せられている感が子供っぽくてかわいかった。 「ユキ、起きられるか?」  立ち上がった神様に手を引かれて幸紘も体を起こした。幸紘がベッドサイドに腰掛けてぼんやりしている間に神様は早速冷蔵庫を開けた。 「神様の今日の予定は?」 「ん~買い物に行こうぜ。何にも無い」 「え、もう?」  幸紘も立ちあがって冷蔵庫の中を覗く。毎日神様は何かしら買い物をしてここへぎゅうぎゅうに詰めていたはずだったが、今は隙間だらけだった。 「夜、そんなに食べてましたっけ?」 「食べてんな。ほぼずっと。夜更かしするとだめだ。冬は特に。春が来るまでは喰ってないと実体が凍えちまうから」 「凍える?」 「そう。俺は人の神じゃなくて、山津神(やまつかみ)だからな」 「山津神?」 「人の神ってのは実体を持たず名によって顕現する神、人間が天津神とか国津神とかいってるやつ。それに対して山津神ってのは実体を持ったまま神格を得たやつらの総称」 「それって……餓死とか、するんですか?」 「死なねえよ、基本。体が動かなくなって、俺の場合は浮いちまうって話」 「いや、浮くって……。神様の本体は魚類かなんかってことですね?」 「あ……うん、そう」 「死んでるでしょ、それ」 「死んでない。冬眠、が近いか。エネルギー切れ」 「そこを襲われたら?」 「肉体を失う、かな」 「やっぱり死ぬんじゃ無いですか!」 「山津神になったらめったにねえよ。精を食ってれば空腹は変わらねえが、『魂』はほぼ永遠に維持できるからな。最悪体を失っても、人の神の名を受けていれば顕現はできる」 「神様は人の神の名前を持ってるんですか?」 「忘れた」 「死ぬじゃ無いですか!!」 「だから俺は飯がいるんだよ。実体の身体機能維持のためのカロリーが必要なの」 「みんなそんなに腹減り大王なんですか?」 「言い方。大概はよく食うよ。山津神系の条件は、寿命にしろ、能力にしろ、体格にしろ、限界を超えるってやつみたいだから、結果的にな。生きる力と食う力は直結してるし。植物系は基本水と光だけで生きてっけど、動物系は食えるときに食うっていう習慣のせいで満腹中枢が人間に比べると遙かに弱いから、食う。植物や陸の獣ってのはな、満腹にならなくても、自体重が支えきれなくなると食うのをやめるけど、俺みたいな水界出のやつは本体が水の中にいる分、食った端から体温に変換して消費しちまう。俺の場合、三〇分と体にため込めねえんだよ」  そこまで聞いて、幸紘は神様の正体にまた興味が沸いてくる。  形で縛ろうとすれば相手と同等かそれを越える『力』がいる。だが名前は一番簡単で、一番身近で、一番根源的で、最も強い魂を縛るための形の一つと言っていた。だからこそ容易には明かさず、知恵比べで知ろうと努力する必要があるのだ、と。  種名は神様としての名前ではないが、人が具体的に対象へ形を与える『名前』だ。それを知るだけでも神様の一部を手にしたことになるのではないか、と幸紘は期待した。 「神様は鱸目(すずきもく)の何か、ですか?」  幸紘が髪をかき上げて何気なく尋ねると神様は不機嫌そうに顰めっ面で幸紘を見た。 「俺はブラックバスでもブルーギルでもアリゲーターガーでもねえよ。生まれも育ちも純国産だわ」 「アリゲーターガーは鱸目じゃなくてたぶんガー目ですね。国産ってことは、アロワナとかでもないんですね」  幸紘は全国チェーンのディスカウントスーパー内にあったペットショップを思い出す。そのペットショップでは犬や猫の販売はしておらず、生体として展示・販売されているのは店のオブジェの役目を果たしている大きな水槽の中の魚たちだった。その水槽の一つに柳線形の大きな体もキラキラ光る金の鱗も美しいアロワナが悠然と泳いでいた。中国では龍魚とも言うらしく、名前まで神々しい。 「あれ、綺麗だよな。でも外来魚。ハズレ」 「じゃあ何なんですか?」 「言わない。人がつけた名前で縛られたくない」  神様は意地悪く幸紘にあかんべしてみせる。幸紘の目論見は彼にはお見通しだった。  幸紘は軽く肩をすくめる。 「それほど名前って重要な『まじない』なんですね」 「当然だろ。人間だって本名か写真がネットで出回った段階で身動きとれなくなってアウトなのと同程度には、俺たち眷属にとって真名とか形ってのは重要なの。どちらかがバレた段階で、知ってる奴の形にはめられて、身動きがとれなくなる」  そうなればいいのに、と神様を眺める幸紘の暗い部分が脳髄の奥で囁く。
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