1 神様と私 ①

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1 神様と私 ①

 その日の幸紘の目覚めは脈動を伴う左腕の強烈な痛みとともにやってきた。 「……っつ」  幸紘はベッドの横のデスクの上に右手を伸ばし、PTP包装シートがこぼれ出た紙袋を掴んで体を起こす。たったそれだけの動作で脂汗が出た。 「薬が……切れた」  左腕は肩から手首に至るまでの各種ひび割れの皮下骨折と肩脱臼のせいでがちがちに病院で固められてしまった。そうやってギプスにすっぽりと覆われているが、体を動かすときにつられて動いた部分で白い稲妻のような痛みが腕から全身へ走る。  幸紘はゆるゆるとベッドから立ち上がる。部屋の中に『それ』の気配はない。大祭前くらいから『それ』の姿を見なくなっていた。前に神様が来たときに食い尽くしたためだ。天敵がいるかもしれないところにのこのこやってくる奴はいない。鏡池のある禁足地や御社殿を『それ』らが避けるのも同じ理由だろうと幸紘は見ていた。  幸紘は壁や手すりへ右手に体を預けて階段を降りる。三階建ての階段の長さというのは五体満足で孤独を満喫するには良いのだが、傷身には上り下りがキツかった。  ダイニングキッチンには誰も居ない。二階に加奈子の気配はなかった。光子と一緒に買い物にでも行ったのだと思われた。幸紘がこのありさまなので、御社殿の後始末は浩三が交代していた。明日は日曜日だというのに、早速割増料金を払っても石畳の修繕に入って貰うと彼は息巻いていた。  幸紘は冷蔵庫を開けてなにかお腹に入れられるものを探す。すぐに食べられそうなのはソーセージくらいしかない。眠気眼で強い癖のついた前髪をかきあげた。 「あ、そういや、俺のやつこっちに置くのやめたんだった」  女ジャイアンに勝手に食われてはたまらないからだ。この季節にはいつも家電店から一人暮らし支援を謳ったDMが届く。自分には縁の無いものだと幸紘は毎年捨てていたが、今年は冷蔵庫とレンジを検討中だった。  幸紘はソーセージを二本食べてから、シンクの水切りに置かれたコップを手に取り、水道水を注ぎ入れる。手にしたPTP包装シートの鎮痛剤の方を片手で器用に開けて口に放り込む。別シートの胃薬ももちろん忘れない。ダイニングの席に座り、テーブルに置きっぱなしになっている体温計を脇に挟んだ。  大祭の後に救急車で運び込まれた病院で、施術した医者は痛みと炎症のピークが一~二日で来るだろうと言った。その時は痺れていたのか麻酔が効いていたのか幸紘は比較的動くことができた。だから昨日までは会社に有給を申請したり、浩三の代わりに破損した御社殿の被害状況を確認した上で修繕の手配を取った。  その反動が酷い、と幸紘はぐったりする。ぴぴっと小さな電子音が響いたので取り出した体温計のデジタルはインフルエンザを疑うレベルの高温を示していた。この熱も痛みのピークとともに下がるものだと医者は言った。同時に、もし痛みが強くなる一方だったり別の場所が痛みだしたら次の診察予定である水曜日を待たずに病院へ来るようにとも言った。 「……行けんのかよ……」  幸紘はぼやいてからまだ自由になる指先を動かす。比較的痛みは少ないのだが、腕全体に広がる炎症の影響で本能的に不安になる感じで赤い。これで車のギアが操れるかどうか幸紘は自信が無い。だが大祭に絡んでその前日から三日も有給を使っている。来週も休んだら机の上は取り返しがつかなくなっていそうだと恐れていた。  幸紘は体温計をテーブルの上に投げ置く。それが転がった先で全国で唯一の神職養成通信講座案内のパンフレットが目に入った。表紙に書かれた合否発表は本日だ。毎年、浩三は期日が過ぎてしまったパンフレットをこれ見よがしに幸紘の目につくところに置いた。対応はいつも迷うことなくゴミ箱へ直行だ。だが今は正直なところ、修練についてのみ幸紘は興味があった。  『呪』の『力』は幽世と現世の境界を突き抜けて干渉する波動だ、と神様は言った。  幸紘は生まれつきその才能に恵まれていた。だから人には見えないはずの『それ』を見ることができたし、絵や造形を描くことで現世に受肉させることができたし、大祭の時に生まれて初めて発した『聲』は神であるところの瀬織津媛ですら退けた。  ただ自分の体のどこを見ても、変わったと思えるところなど幸紘には感じられなかった。しいて言うならあんなに怖いと思ってきた神域に対して、今はそれほど抵抗感がないくらいだ。潜在能力があると言われても実感は薄い。  逆に今のお前では無理だと神様に言われたことがずっと引っかかっている。  現状では可動ギミックがないはずのただの造形である『それ』ですら動いてしまう。中に封じ込めた『力』の干渉に幸紘が力負けしているからだ。  『力』が欲しい。幸紘は祈るように望む。もっと強く、もっと思い通りに使いこなせるほどになりたい。そうでなくては神様を形に留めることは到底できない。
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