3 言葉で心に嘘をつきたくないから ①

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「お父さんが元気なうちはいいが、動けなくなってお前が跡を継がないんだったら、この神社も同じだ。祭りがなくなり、人が去り、やがて誰も居なくなって、この地域は荒れた山に飲まれて無くなる」  それも時流ではないだろうか、と去年末までの幸紘が頭の中で冷笑する。だが今の幸紘はその言葉を口にできずに飲み込んだ。 「跡継ぎをどうするか、地域の過疎化をどうするかという問題はうちに限ったことじゃない。どこでもそうだ。最近は町おこしの企画運営とタイアップした会社が、所属する社を持たない神職の有資格者を社員として雇用し、跡継ぎのない神社に派遣して地域の拠点として利用するという動きだあるそうだ。昨日来てた人がそういう会社をしているらしい」 「宝山学園の理事長らしいね。あそこの理事会とは距離取ってたんじゃなかったの?」 「そうさ。だが石畳を休日返上で直してくれるところは彼の会社しかなかったんだろ?」 「赤石建設って理事長の会社だったの?」 「知らなかったんだな。そうだ。昨日は工事進捗を見に来たらしい。向こうから正当な理由があって訪問したのなら、出迎えないわけにはいかないだろう」 「……ごめん。知らなくて」 「いや、幸紘はお父さんの希望を叶えるために動いてくれただけだ。結果として彼の会社に当たった。これも何かの縁なのだろうよ。理事長は翔君の事もよく知っていてね。うちも、お前が後を継ぐつもりが無いんじゃないかと、そう言ってた」  確かに現状はそうだが、正確には迷っているだけである。  加奈子が理事長をして人の話を聞かずに強引に決めつけるとは言っていたことを幸紘は思い出した。 「うちをお前が継がないなら、瑞淵八幡宮と合祀したあと、法人組織で業務一切を引き継ぎたいと、そういう話をしに来てたんだ」  その申し出は幸紘には名案ではないかと思えた。そうすれば加奈子が女の子だからという理由で自由を得る理不尽さに腹を立てることもないし、跡を継ぐ継がないことからも、その前段階として結婚するしないことからも幸紘は逃れることができる。この国には専門の育成機関があり、そこを卒業しても神社に就職しない人はたくさんいる。そういう人を活用するのは何も不合理なことではない。  しかし、 「その場合、うちとしてはどういう立ち位置になるの?」 「この神社は土地から家屋から禁足地に至るまで、全て遠野家個人のものではない。もとは瑞淵八幡宮の、ひいては八幡本宮もしくは県の神社庁の管轄だ。だから瑞淵八幡宮と合祀して、管轄が法人へ渡った場合、我々は先祖代々守ってきたこの土地一切を彼らに引き渡して、去ることになる」 「それは……」  幸紘の中で瀬織津媛や八幡神、うっとしいほどに幸紘を気遣ってくる『それ』らの姿がよぎる。なにより……神様だ。  ぱしゃん、と軽やかな水音が幸紘の中で波紋となって静かに広がっていく。その幻想の中で神様は正装色の浄衣(じょうえ)と黒紗を纏い、妖艶でありながら神々しく佇んでいた。  神社を誰かに任せるのは、彼と、彼らと、その聖域を、彼らと交流できない誰かに譲り渡すことでもある。それでいいのか、と幸紘は自問した。  浩三は首を振り、天井を仰いで閉じた目元を押さえた。 「だがな、お父さんのお父さんも、そのまたお父さんもずっと昔から延々とこの仕事を、この神社を守り続けてきた。瑞淵八幡宮だってそうだ。この地に生まれ、この地に戻ってくる人たちの(つい)の場所としてのこの土地を守るために、先祖代々ずっとやってきたんだ。お父さんは、それを大切にしたい」  浩三はしばらくそのまま黙ってしまう。泣いているのかと幸紘は思った。だが再び体を起こした浩三の目は濡れていなかった。まっすぐ前を向くその背中は弱気に曲がることもなくいつも通りぴんと伸びて、遠くを見つめる目には意思の強い光が宿っていた。 「業務を引き継いでくれる人はここの人じゃない。だからと色眼鏡で見るのは偏見だと一〇〇も承知している。だがな、業務を引き継ぐのは、ここで続けている大祭や例祭、それに付随した町おこしや開発が中心だ。会社組織が運営母体になるのだからな。それでは一時的に人を呼ぶことはできるだろうが、そこに生きてきた人々の気持ちは今以上にここから離れていく。お父さんはそう思う。それじゃあ神社の意味がないんだ。神社ってのは何事かあるときだけじゃなくて、何もない毎日にだってその地域の鎮守でなけりゃあ、駄目なんだよ」  そのために浩三は頑張ってきたのだと、幸紘は理解する。跡継ぎの男子に幸紘と名前をつけて幸せを地域のあまねく人に届けられる人になるようにと願い、神社を盛り上げ、地域を鼓舞し、土地を整備してきた。全ては金儲けではなく神職を人生に()した者の信念だったのだ。  お前は、どうするのか、と誰かが決断を迫っているように幸紘には感じられた。  父の情熱はわかる。それが私欲の為でなかったことも尊敬できる。幸紘は守ろうとする神様達と繋がるための『力』が欲しい。神社を継ぐという浩三の申し出は浩三にとっても幸紘にとってもWINーWINのように思われた。  なのにあと一歩、何かが幸紘の中で引っかかっていた。それがなにかわからないが、脳裏にはずっと、幸紘が神社を継ぐことについて尋ねたとき、最後まで沈黙を貫いた神様の横顔がちらついていた。  テーブルの上のパンフレットが再度幸紘の目に入る。指で触れ、しばらく眺めて、手に取った。 「これは見るだけ見とく。仕事、行ってきます」  浩三が驚いた顔で幸紘を見たが、幸紘は顔を合わせることなく背を向けて玄関へと向かった。
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