25人が本棚に入れています
本棚に追加
/44ページ
3 言葉で心に嘘をつきたくないから ②
深い霧に包まれた境内を駐車場へ向かって幸紘は歩く。
大きな石鳥居の近くで足を止め、随神門の方を見る。小型重機が置かれたままで赤いコーンが左右に二つ立てられている。その上にかけられた警告色のコーンバーの先にはちゃっかりと賽銭箱が置かれていた。一昨日、石工にコーヒーを差し入れしたときに浩三が聞いた感じでは、今週末には作業が完了して、来週頭に拝観が可能になるということだったが、それまでは日々の稼ぎが低調なのも、浩三を弱気にさせてるのかもしれないな、と幸紘は思った。
随神門の奥、真っ白に霧で閉ざされた御社殿の方から足元を揺らすような大鼾が響いてくる。それも今日はなんだか二人分、鼾がドルビーサラウンドでDuoしているように幸紘には聞こえた。どうやら神様たちの間で昨日は大宴会が開かれたらしい。幸紘は顔を顰めて駐車場へ向かった。
歩きながら左手の指を動かしてみる。ギプスをつけた当初は内出血と腫れで真っ赤だった指先も、ずいぶん元の色に戻ってきていた。
「これで運転できればいいけど」
ひとりごちて軽く息を吐く。運転できない場合は開店休業中の浩三に送ってもらうことになる。さっきの流れからすると車内が微妙な空気になるのは想像に堅くない。幸紘はうんざりした。
スペアキーはキーレスタイプではない。鍵穴に鍵をはめ込み、運転席の扉をあけようとして幸紘は手を止めた。運転席の座席を限界まで倒して、神様が大判の薄いブランケットに包まってすやすやと眠っていた。
「ここで寝るくらいなら、部屋に戻ってきてくれればよかったのに」
そうすれば眠れない時間をいらいら過ごさなかっただろう。幸紘は小さくぼやいてから可愛らしい寝顔に顔が緩んだ。
ゆるゆると神様の目が開く。はっと身を起こして窓ガラス越しに幸紘を認め、ふにゃっと眠そうな笑顔を見せた。
「はよ」
「おはようございます」
声をかけてから差し込んていた鍵を回す。一気にすべてのドアが開錠されたのを確認して、幸紘は助手席へ回って中へ乗り込んだ。
「昨日はここで寝たんですね」
「媛のところに行ったら八幡の爺さんまであの『厄』かっくらって珍しく酔っ払っててさ。愚痴と厄盛りに付き合わされて気分悪くなっちまって」
神様は硬くなった体を車内でゆっくりと伸ばすと、ふわぁと大きく欠伸をする。すぐにエンジンをかけた。
「だったら余計に戻ってくればよかったんじゃ? 俺の『魂』は心地いいんでしょ?」
「俺が嫌なんだよ。お前に悪いところ押しつけるみたいでさ」
それでもいいのに、と幸紘はギプスで固められた左腕を軽く撫でた。それ以外では神様の助けといっても何の足しにもなれなかった。
車が走り出す。中年男性が風呂にも入らず一晩過ごした車内というと独特の油っぽさが漂ったりするものだが、車内はむしろ澄み切った水と花の匂いに満ちていた。
「八幡さん、なんて言ってました? 昨日の飲み会の愚痴は、瑞淵八幡宮の合祀の件でしょう」
「誰から聞いた?」
ちらっと神様が幸紘見る。幸紘は前方を向いたまま答えた。
「今朝方親父から。先週、瑞淵八幡宮の叔父さんと会っていたのはその件だと」
「俺も八幡の爺さんから聞いて初めて知ったことだから、その範囲で、って話だけど、爺さんは合祀云々よりも瑞淵八幡宮を廃社にする理由にまず怒っててな」
「理由って、廃社にするのは氏子が減ってるからでしょう?」
「まあそれはそうなんだけど、だからってそれは神社を含めた周辺の土地を売るための理由にはならねえだろ」
「売る? 売りたいから廃社にするんですか? 廃社になるから結果的に売るとかじゃなくて? それは初耳だ」
「現宮司にしてみれば結果が同じなら過程は気にしてねえ。メガソーラっての? 太陽光発電のパネルを敷き詰める場所として、そこを買いたいやつがいるんだってよ」
「開発用地の買収ですか。こんな山がちな田舎なのに?」
幸紘は眉間に皺を刻んで口角をへの字に下げた。そんな幸紘に神様は八幡神から聞いたという開発業者のセールストークを教えてくれた。
最初のコメントを投稿しよう!