3 言葉で心に嘘をつきたくないから ②

2/3

25人が本棚に入れています
本棚に追加
/44ページ
 もともと平坦な田地が広がり、瑞淵八幡宮八幡宮のあたりは日当たりが良い南東向きの斜面がある。宝山市の中心は都市部へ繋がる幹線道路との兼ね合いでどんどん発展しているとのことで、人口の流入も少しずつ増えている。それに伴う住宅地の造成も広がっているといるという。  水源地からは豊富な水が供給され、新たに大規模な工業用地として利用するなら価値が高い。開発の波が淵上にまで及ぶかどうかは現状は未定だが、将来を見越して休耕田が広がってる平地や、日当たりの良い山の斜面を軒並み潰して工場造成地や都市部への売電を狙った大型発電施設を作れば、採算の見込みがあるというのである。  故郷とは遠くにありて、とはよく言ったもので、幸紘にしてみれば故郷はただの未開の地でしかないというのに、開発者からしてみればそこはなかなか魅力的な新天地だった。 「その話を八幡の爺さんは側で聞いてたらしい。今の宮司は神社の仕事なんてどっちでもいいし、引き継いだ土地も売ろうが何しようがどうでもいい。それくらいこの地域とは縁が薄くなっちまった。神社の土地を売るってのは手続き上なかなか大変らしいけど、そういうのもあっちが全部やるとか言い出して、はいはいって契約書に判子を押してしまいそうなんだと。八幡の爺さんはそれが火ぃ噴くほど気に入らんらしい」 「それに少ないとはいえ残った氏子もうんとは言わないでしょう」 「ま、そこだよな。氏子と自分の生活の板挟みになって、浩三に相談にきたってのが、冷蔵庫を入れた日の話だ」 「親父たちがあの『厄』に憑かれていた日ですね」 「その『厄』は加奈子にもついていたな。でも加奈子は叔父さんに会ってない。浩三達は叔父さんから厄虫を貰ったとして、叔父さんと加奈子の共通点はなんだ?」 「宝山学園の理事長でしょう。昨日来ていた人です。加奈子は彼に会っているし、彼はここに跡継ぎがいないなら、瑞淵八幡宮と淵上神社を合祀して、業務を自分の会社で一切引き継ぐって親父に打診してきてました」 「つまり叔父さんにメガソーラの話を持ってきたのも、その理事長の系列か。なるほど。神社とその周辺の土地の権利をイベント会社の名義で手に入れて、最初は殊勝なフリして地域振興とか抜かして祭りをやるかもしれねえが、人が減ってきて採算がとれなくなったら土地を開発事業会社の方へ売りはらって太陽光パネルで覆っちまうつもりなんだろうよ、その男は」 「土地開発業者と地域活性化のイベント業者が同じ系列ですか」 「どちらも眠ってる土地資源を掘り起こすって意味では似たような事業内容だろ。不思議はねえよ」 「彼が狙っている土地って、神様が身元借りてるあの一帯ですよね」 「そう」 「まずくない、ですか?」 「よくはない。だが今の身分は何かあれば媛にもみ消してもらうつもりの仮の宿でしかないからな。開発の波が時代の趨勢だってんなら、失うのも仕方ねえだろう」  神様は免許証を見せてくれた朝と同じ、感情のうかがい知れない平然顔で言った。  前に人の世界をがよくわかるからおもしろいとバイトについて楽しそうに話してくれた事があったので、今の温度差に幸紘は違和感を覚えた。 「だがそれを止めようと八幡の爺さんがどれだけがんばっても、現宮司が話の通じない相手らしくてな」 「それは……どういう意味で?」 「まず能力が無え。まあ前の宮司だってそんなに強いほうでもなかったけど、そこは腐っても専門の教育と技術をうけて、毎日地道に日々の修練してきてるわけだから、多少なりとも神の声みたいなものは聴けたし、対話らしきものもできたらしい。それに比べても現宮司はからっきしのド素人だ」 「たぶん自分がどうするとか決める前に今の立場になったような人ですからね」 「それは周りにも責任はあるな。やる気ねえのに背負っちまったから聞く力が伸びる見込みがなくなっちまった」 「因果が逆でしょう。聞く力がないからやる気がでないんですよ。俺だって、神様たちを知る前は、後継ぎの話は常に蹴ってました」 「なんだ、ちっとはやる気になったか?」  神様が前方を見たままにやにやと笑う。その顔をちらっと幸紘は横目に見てから、視線を前に戻した。 「迷う程度には」  ただ神様と一緒に居たいという淡い希望を叶えるために課せられる現実があまりにも幸紘には重すぎた。  結婚して、子供が出来たら、神職で家を継ぐというのが親の想定するルートだ。幸紘が望むような神様に仕えるだけのお勤めが淵上神社を継ぐための要素ではない。神職を選べば浩三の描くその順風満帆のライフプランとやらが地域総出の援助を受けて半強制的に待っている。決して得意でもない地域奉仕にも参加しなくてはならないし、遠野家を継続させるために光子は今よりももっと結婚について言及してくるだろうし、結婚すれば子供についても言及するだろう。両親にとって幸紘が神職を継ぐというのは遠野家が末永く地域の一員として生きていくのと同義なのだ。  でもその設計図の中に、地域の人々のために身を粉にして働く父のように生きる自分の姿を、幸紘は描けない。描かなきゃいけないとはわかっていても、描きたくなかった。だが他にどういう未来が選べるのか、どうすれば良いのかも幸紘はわからなかった。
/44ページ

最初のコメントを投稿しよう!

25人が本棚に入れています
本棚に追加