3 言葉で心に嘘をつきたくないから ③

3/4

25人が本棚に入れています
本棚に追加
/44ページ
「お祖母ちゃんも年でもう日常の管理だって難しくなってきてるらしいし、いっそのこと合祀なんてやらないで、母さんが継いだらいいんじゃないかな。親父のサポートって言っても基本的には専業主婦で時間の融通は利くんだろうし、もともと瑞淵八幡宮の娘なんだから。直階の年齢制限、六八歳だったはず。通信で学歴取るの、おれよりそっちの方がはやいじゃん。親父が推薦状書いてやったらいいんだよ」 「前宮司が亡くなったときは、そのつもりだったらしいがな。未婚の女だからという理由で氏子衆に認められなかったのさ。弟である現宮司もおったし、さすがにそれじゃあ浩三も推薦はできん」 「母さんは継ぎたかった?」 「したかったかどうかはしらん。八幡神によると継ぐ意志はあったようだ。だが血の道が閉じるまで、女には血の穢れの制約で、三〇日ごとに約七日、神域へ入ることを禁じられている。向こうは主神が八幡神で男神だが、配祠神が真面目なんだか気難しいんだか、とにかくめんどくさい奴でな。女宮司は鉄くさいとかなんと言うては許すまい、ということでポシャった」 「媛は知ってるんですか? 向こうの配祠神のこと」 「知っている。八幡神は俺に似ていると言うが、あんなちんけな小物と一緒にされては叶わんわ」  瀬織津媛はふんっと鼻を鳴らし、大量の煙を吐いた。 「今は便利な薬があるが、それを家業のために若くして常用するわけにもいかん。所詮血の道を完全に閉じるようなものでも無いからな。だから光子は諦めざるを得なかった。現宮司については継ぐ意思がどうだか知らんが、誰も継がないなら継がざるを得なかった結果だ。皮肉な巡り合わせよ。お前の言うとおり、もう血の道は閉じておるんだから、光子が継げばいいのだ。そうすれば、お前も浩三の代理なんぞ押しつけられずにすむだろう?」  瀬織津媛が障子の奥でまた揶揄して笑った。 「押しつけられてなんて……」 「無いか?」  幸紘は電子煙草を一吸いしてからふうっとため息とともに吐き出す。 「確かに両親の期待を理解した上で、それに応えようなんて思って今日の役を自ら引き受けた訳じゃないです。そういう意味でなら押しつけられた仕事かもしれない。でも大祭前の俺なら、親父から押しつけられたとして、引き受けるなんて絶対しなかったと思います。それでも引き受けたのは、その程度にはこの仕事に興味があるってことで……」 「ほう」  瀬織津媛の声が好奇の含みを持っていた。幸紘は格子障子の向こうから彼女の視線が自分に向けられている気配を感じていた。 「……だからといってどうするべきか、っていうと、俺はまだわからないんです、媛。神様に言われたんですよ。ユキの望むことをしろ、ヒロって形に魂を縛られる必要は無いんだ、って。それを言われるまではなんとなく従うにしろ抗うにしろ、俺には親父の言う事が人生の全てなんだろう、とか思ってなかったんですが」 「今は?」 「疑問ばかりです。俺はこれまで親父から言われることを当たり前だと思ってきました。確かに親父が呈示してくることはこの土地を守る者としては合理的な選択だ。でもその影で仕方なしに犠牲になってる人間のことなんて、あの人は知ることもない」  幸紘はふと、家の中で一人過ごした誕生日を思い出す。  外はたくさんの人で賑わっている。『厄』をはらう女神とそれを讃える祭りの歓声が遠くから聞こえてくる。対して家の中は静かだった。夜になるとささやかに光子が幸紘のためにいつもより豪勢な食事を用意してくれたがさほど興味はなく、寂しげな母の横の席は毎年地元の人たちと祭りの直会(なおらい)のために空いていた。浩三は幸紘が誕生したその日も大祭のために当然立ち会うこともなく、終わった後ですら血の穢れを避けるためと初対面の日をずらした。光子は家業の為に子の誕生も普通の家族のように喜べないことを仕方ないと言ったが、その言葉は幸紘が二四になった今でも度々聞かれた。 「誰かが犠牲になる世界を否定するのはきれい事だってわかっています。現実は常に誰かが必ず犠牲にならないと維持できないので。だからといって神職のために自分の他まで犠牲になるのを当たり前だとする父のコピーに、俺はなれないし、なりたくはない」  はっきり言い放った幸紘に瀬織津媛は一瞬黙ったが、すぐに高らかに笑いだした。
/44ページ

最初のコメントを投稿しよう!

25人が本棚に入れています
本棚に追加