1 神様と私 ①

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 神様は神域での毎日の修練が『力』を高める基本だろう、と言った。宗教が伝承してきた『祭』に繋がる作法がそうだと。その上で具体的な事を知っているのは浩三だとも言った。 「親父かぁ」  天井を仰いだ幸紘から気のない声が出る。  神職としての浩三は、俗世の欲にまみれた商魂の逞しさを否定できないとはいえ、職務信念や使命感、振る舞いに至るまで、万事に於いて神を支え、神威を借りるのに理にかなう神職らしさをもっていた。だからといって浩三が幸紘に差し出す好意をそのまま受け取れるかというと、そういうものでもない。  幸紘は再度パンフレットへ視線を落としてじっと見る。これを手にしたらきっと浩三は幸紘が神社を、ともすれば延長上にある遠野家を継ぐと決めたと思うだろう。ブルドーザーのような浩三の強引さが幸紘の人生を彼の思い通りに整地してしまう風景が容易に想像できる。毎年お盆と彼岸の時にだけ墓参りで会う叔父の翔に、幸紘は両親に押し切られた未来の自分の姿を見ずにはいられなかった。  翔は光子の弟で、親戚の中では若い方だ。雑で頑丈な光子に似ず、昔から体が弱く線の細い人だった。成人する前に先代宮司だった幸紘の祖父を亡くし、姉であった光子はさっさと結婚して家を出た。自分の未来をどうするかなど覚悟を決める前に幸紘の祖母である実母、祥子と残された実家で、あれよあれよという間に後継ぎだなんだと周りの氏子衆に担ぎ上げられて、神社を引き受ける結果となった。  そんな成り行きで受け継いだせいか年寄りばかりの氏子の受けは良くないという。未だ存命中の祥子が現状は神社の日常運営をしているが、体が思ったように動かないので、こちらもその不満をぶつけてくる。かといって仕えるべき神は彼を助けてくれなかった。  浩三は翔が神職の一番基礎階位である直階を取るときから世話しているが、辞めたいと相談を受けていたのを幸紘は昔から何度も目にしていた。その度に浩三は持ち前の押しの強さで翔を鼓舞して、叱咤して、半ば騙すような形すらとって、いつかは慣れて諦めるだろうとでも思っているのか神職を続けさせてきた。  ああ……地獄だ、と幸紘は暗澹として椅子の上で膝を抱える。  祭りやしきたりを含めた文化やこの土地を守るという信念の前に、村に残った人々は浩三を筆頭に自分たちの目的が絶対的に正義だと疑わない。それによって一人二人が犠牲になろうとも必要なコストだとしか考えない。目的のために手段を選ばない共同体意識の恐ろしさはすでに幸紘も体験済みだ。  翔は今、大祭がある時以外は扶桑ヶ原でサラリーマンをしていた。片手間の神職で神社が盛りたっていくわけもなかったが、幸紘は彼のあり方を否定しなかった。 「……保留で」  幸紘はパンフレットをテーブルに置いたまま立ち上がり、ふらふらとしながら階段の方へ歩いて行った。
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