3 言葉で心に嘘をつきたくないから ⑤

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3 言葉で心に嘘をつきたくないから ⑤

 傘をさすほどではない小雨と厚着をしても肩が少々震える強い北風の中、加奈子と幸紘が榊と菊花を手に歩いて墓地へたどり着いたとき、入り口付近の道沿いに黒のステーションワゴンが停まっていた。 「彩ちゃーん」  先に墓に手を合わせていた彩美を見つけて加奈子が走って行った。普段から運動に余念の無い彼女の足はあっという間に幸紘を置き去りにしていく。途端に周囲から何かが近づく気配を感じて、幸紘は早足で後を追った。  彩美の少し後ろで背の高い紳士が振り向く。彼は幸紘の姿を認めて穏やかに微笑んだ。 「久しぶり、幸紘君」 「あ、ども。翔叔父さん」  現存する親戚中で唯一、視線を下げずにすむ相手に幸紘は軽く頭を下げた。瑞淵八幡宮の前宮司が大きい人だったのだ。翔も幸紘もその特徴を引き継いでいた。  幸紘は先に遠野家の墓の花を差し替える。加奈子にも手伝わそうかと思ったが、彩美とスマートフォンを付き合わせて何やら盛り上がっている。加奈子に声を掛けて彩美に気を遣わせるのが可哀想だった。  手を合わせ、今年も来たよ、とだけ適当に幸紘は挨拶する。中の人から何かが言いたいことがあるなら今頃神様に話しているだろう。生まれたときにはすでに鬼籍(きせき)に入って顔も見たこともないご先祖様に幸紘から何か話すことは今のところなかった。 「叔母さんは?」 「昨日からまた病院」  翔は何気ない様子で言った。  翔の妻である叔母は、半年前に子宮ガンの疑いで検査を受け、手術の後から入退院を繰り返していた。予後があまり良くないと、母が父に話していたことを幸紘は聞いたことがあった。 「大事を取ってね」  翔は漂う悲壮感を隠そうとすることで儚い印象を与える笑みを見せる。幸紘に心配を掛けまいとする気遣いだろうと幸紘はわかったが、もともと線の細い人なので無理に笑うと痛々しさが増すだけだった。 「お父さんからなにか、聞いてるかい?」  翔は少し首をかしげて幸紘を見る。幸紘は前髪越しに翔を見た。 「合祀の件、ですか?」  幸紘がそう言うと翔の笑みに戸惑いが混じった。 「ごめんね。いろいろと迷惑掛けて。お父さんから、何か言われなかった?」 「俺は、別に……」  幸紘は視線を逸らし、松崎家の隣にある遠野家の墓を眺める。 「……わかる、気は、しますし。叔父さんずっと、親父に辞めたいって言ったじゃないですか」 「見られてたんだ。恥ずかしいな」  ははは、と軽く笑って翔は遠くを眺める。ちらっと幸紘が視線を向けた彼の色が薄い髪を、春と言うには冷たすぎるほどの風が薙いでいった。 「俺が叔父さんの立場だったら、まず継ぐことも選んだかどうか」 「そういう話、お父さんとしないの?」 「ずっとですよ。三〇過ぎたら結婚して、神社を継いでって。嫌になる」 「ははは。うらやましいなあ」 「え?」  幸紘は顔を上げて翔の横顔を見る。遠くを見る彼の視線は今ではなく過去を懐かしんでいた。 「僕は父とそういう話をしたことなかったから」 「お祖父ちゃんと?」 「もしかしたらそういう話をしたかったのかもしれないけど、勇気が無かったのか、僕が若すぎたからか、子供の自由意志を尊重したかったのか。いい人だけどあんまり先を導いてくれるタイプではなくてね」 「そういう親の方がよかったな。あまりにも強引すぎるから親父にはついていけなくて」 「うまくいかないものだね。彼岸やお盆は死者と語らい、生きている間に分かり合えなかったことをわかり合う機会だって言うけど、毎回僕はそれだけが恨み言だ。どうやったって存続させるには誰かが継ぐことになるって生きてる間にわかってたはずなのに、子供たちに八幡宮の縁起すらも話してくれたことのない父でね。僕は小学校の時に図書館で調べて、初めて知ったんだよ」 「俺は小学校入ってすぐのサンタからの贈り物に、奥山奇譚や日本の歴史、小学生のための古事記とか置かれた段階で、この世の現実を知りましたよね。ゲーム機とは言いませんけど、せめて画材が欲しかったです」 「あー浩三さん、不器用だから。そういうのありそう。あの人、熱い人だから自分では良かれと思ってついつい周りが見えなくなることあるんだよね」  幸紘からしてみれば珍しく、翔は抑えることのできない笑い声を腹の中で抱えていた。 「そういう熱さが、僕はうらやましかったなあ」  ひとしきり笑うとぱっちりとした目の端に涙すら浮かべて翔はしみじみと言う。そのもの言いに幸紘は抱いていた確信に違和感を覚え、翔の横顔をまじまじと見つめた。 「叔父さんは、神職が嫌いで辞めたかったんじゃ、神社が嫌いだったから土地を売り払うって決めたんじゃ、ないの?」  てっきり何もかもに嫌気がさして翔は辞めるんだと幸紘はずっと思っていた。だが彼の口ぶりはまるで正反対だった。  翔は笑うのをやめ、いつもの穏やかな顔で幸紘に向き合った。
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