3 言葉で心に嘘をつきたくないから ⑤

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「そこまで知ってるのか。浩三さんが?」 「いや、それは」  神様達からとは幸紘は言えなかった。翔は神職だから信じてくれるかもしれないが、自分には何もしてくれない神様が、他の誰かに話したなんて、気のいいものではない。幸紘は口を閉ざした。 「人の口に戸は立てられないものだね。幸紘君は、まだ神社が嫌い?」 「今はまだマシです。でも好きな場所かと、聞かれたら、そうじゃない、です」 「僕は瑞淵八幡宮が好きだよ。一番のお気に入りだ。父の手伝いをするのも大好きだったし、日がな一日何もしなくてもなんか楽しかった。今でも」 「じゃあ、どうして?」 「捨てようとしてるのかって? 仕方ないじゃないか。僕には神からの声が聞こえないんだ」  翔と幸紘の間に強めの風が通り抜けて、二人の髪を乱した。 「父が、父の守ってきた瑞淵八幡宮が好きだった。だから父が急逝したとき、僕は継ぐことを決めた」 「決めたのは、叔父さんだったの?」 「そうだよ」 「てっきり押しつけられたのかと思ってました」 「結果的にはそうなってしまったよね。僕は自分からはっきり継ぐ意志を口にしなかったまま、周りの流れに乗ってしまったから。継ぐつもりなんだからそれでいいと、そう思っていたからだ。でも僕はその使命を背負うには若すぎたし、浅はかだった。使命に伴ってのしかかってくる諸々の柵の重さを知らなかったんだ。知らないままに背負って、知らないことばかりに戸惑って、余裕をなくして、土地の人たちの、神の、その声を聞くことができなくなってしまった。駄目な自分だけを日々叩きつけられて、浩三さんほどの強さがなかった僕は、何もかもに追い立てられて限界だった。父の愛した全てを継ぎたいって気持ちは、僕の身の丈にはあわない重責になってしまったんだよ」  幸広の中で、それを『厄』というのだと瀬織津媛が笑い、その『厄』は人に災いをもたらすのだと神様が告げていた。  八幡神だってもしかしたら翔に同じ事を伝えようとしていたのかもしれないと、幸紘は思う。八幡神とは人を守護し『厄』を祓って勝利と目標の達成をもたらすことを役目とする。彼が頑張ろうとする翔を見放し、自らの正義を放棄するとは幸紘には思えなかった。  だが翔の場合『厄』の大きさに対して、神の声を拾う為の修練も余裕もその若さ故に圧倒的に足りなかった。彼は、諦めてしまった。諦めようと足掻くしかなかった。仕方ないと口に出し、未練を断ち切ることに必死になるしかなかった。 「魔が……さしたんですか」  幸紘はそう理解して尋ねた。翔は少し俯き気味に視線を逸らした。 「ああそうだね。今ならそう思うよ。妻の件もあって、とにかくもういろんな事が苦しくて、楽になりたかった。何でも良いから僕を神職から解き放ってくれるものを探していたんだ。メガソーラの話が限りなく黒に近いグレーな話だって、仕事の世間話なんかでよく知ってたはずなのに、誘いに乗ってしまった。後になって冷静になってみると、なんて馬鹿なことをしたんだと心苦しくてね。でも浩三さん達が頑張ってそれを引き留めてくれて、今はちょっと、感謝してる。……虫のいい話だと思うけど」 「土地買収の件、まだ契約書に判子は?」 「押してはないけど、僕は口約束上で判子を押してしまったようなものでね。それを周りの動きで必死に邪魔してるってのが現状だよ。それが無くなったらもう決まったも同然だ。なにせ赤石建設の会長はとにかく強引な人だからね。こう言ってはなんだけど、あんまり宝山市の経済界でも評判のいい人じゃない。いろいろと業界や政界の上層とのパイプを持っている人だから、みんな言わないけどね」 「らしいですね」 「会社は悪くないんだよ。今の社長である息子さんは個人的に付き合いがあるんだけど、社内改革する意欲のある人で、ちゃんと法令遵守しようとしてるいい人。まっとうな会計処理で会社を大きくしていこうともしてる。ただいい人だからこそ、父親である会長の横暴をなかなか止められないみたいでね。社長に内緒にしている不明金もあるはずだって。古参の経理を丸め込んでるから明らかになってないけど」 「それって、会社として訴えた方がいいんじゃ」 「社長は準備はしてるらしい。もともとあの会社は今の会長のものではなくて、その奥さんの父親から引き継いだものだからね。お母さんと一緒に秘密裏に動いてるって聞いてる。宝山学園理事会とも協力してね」 「どうして理事会が?」 「彼が理事長に選出されてから、学園の巨大な運営資金について不透明な会計が時々指摘されててね。父兄の間では私的に流用されているんじゃないかって噂になってるんだ。浩三さんもたぶん話くらいは聞いたことがあると思う。だから理事会の誘いを断ってるんじゃ無いかな」 「俺は忙しいからって聞いてたんですけどね」 「子供には心配かけたくなかったのかも知れないね。秘密裏に周りが動いていることを知ったら、身内相手でも何するかわからない人だし。不審死した関係者や親族も何人かいてね。そういう類いの怖い人でもあるんだよ」  翔は口元に人差し指を立てて軽く笑って肩をすくめる。 「雨が、強くなりそうだ。もう帰ろうか」  翔は仕草を解くと、彩美と加奈子の方へ視線を向ける。二人にそろそろ帰ろうと声を掛けたとき、霙まじりの風があたりに強く吹き付けてきた。
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