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3 言葉で心に嘘をつきたくないから ⑥
ぱしゃんという、軽やかな水音が聞こえて幸紘は意識を現実へと引き戻す。額にさらりと冷たい手が触れた。
幸紘は自室のベッドに横たわったまま薄らと目を開ける。霙まじりの雨を降らす雲と黄金から茜に色を移ろう夕日の交わりに照らされた天井を背景に、白い浄衣姿をした神様の、陰影が薄い顔が見えた。
「おかえりなさい」
横になったまま幸紘は言った。
「ただいま」
神様はベッドの頭に近いサイドに座ったまま、嫋やかな手で幸紘の前髪を優しく梳いてくれた。ゆったりとしたその動作が心地よくて、幸紘はうっとりと目を閉じる。
「今日……は、終わり?」
「また明日な。ユキは?」
「俺は久しぶりに墓地まで歩いて、疲れたみたいです。寒かったし。帰ってきてからの記憶が……」
「体力ねえなあ」
「ギプスとれたらまた筋トレ、付き合ってくださいよ。たぶんギプスの中は大祭前より酷いことになってるはずなので」
「いいぜ。トレーニングってのはさ、初めてすぐの時はガリほど肉がつくし、デブほど痩せやすいもんだ」
「言い方」
幸紘は軽く笑う。その顔を神様は美しく、優しい黒緑の瞳で慈しみを込めて見つめる。流線形の綺麗な目に、幸紘は釘付けになって見つめ返した。
「今日、瑞淵八幡宮の前の宮司が来ててさ」
「お祖父ちゃん?」
「ユキと現宮司の会話で泣いてた」
「聞こえたんだ」
神様はゆっくりと頷いた。
「俺、叔父さんは嫌々やってたから、逃げたのかと思ってました」
「俺らだってそうだ。言ってくれなきゃわかんねえよ。八幡の爺さんも悔やんでた」
「神様達は心を読めないんですか?」
「読めるんだったら参拝の後に絵馬なんぞ書かせねえだろ」
「お参りの時に聞いてくれてると思ってました」
「そこまで俺たちも万能じゃねえよ。特に人間の場合はな。言葉が逆に本心を隠しちまう場合もある。だから伝えたけりゃ、人は本心を正直に言霊へ乗せないといけない。そのための祈りであり祝詞だ」
神様は幸紘の髪を梳いていた手を止めて、視線を窓の外へ逸らした。
「仕方なかったんだ、って。そう言ってた」
神様は寂しげにそう断ってから、瑞淵八幡宮の前宮司から聞いた話の内容を幸紘に語りはじめた。
そもそも人口減少や高齢化は今に始まったことではない。幸紘は例外的だが、淵上地域は昔から若者を一旦は村の外に出稼ぎにやるという風潮があったのだ。彼らは家族を作れば村に帰り、そこで家を作って後を継ぐという形をとっていたが、帰ってこない事態も無いわけではなく、根本的にこの地域は若者が外に出ていきやすい要因を持つ風土ではあった。そこへきて扶桑ヶ原町に幹線道路が通り、その周辺が賑わい始めた頃から、若い世代が自らの子供の教育と、その費用を支える仕事のために便利な市街地に出た後、そのまま定住するようになった。労多くして稼ぎの少ない従来の農業は残された高齢の村人が細々と続けていくしかない。山林の整備もおろそかになった結果、獣と人の社会の境が曖昧になって衝突が増えた。だがそれを解決するために猟友会を組織しても人が集まらない。マンパワーの減少がもたらす田舎の住みにくさがますます人離れを加速させる。誰の目から見ても遠からずこの淵上は山に呑まれて消えるだろうと思われていた。
減り続ける氏子に、負担が増していく土地の維持。その基幹としての神社の役割を次世代に継がせることを前宮司は酷だと思っていた。
「淵上神社だって同じ条件だが、浩三が戻ってきた」
「いつです?」
「前宮司が亡くなる少し前だ。浩三は神社を継ぐ前まではサラリーマンだった」
「え? 初耳。俺が生まれた頃にはすでに宮司だったから」
「独身時代の数年だけな。二五になる前くらいじゃないかな」
神様によると遠野の方の幸紘の祖父が具合を悪くし始めたぐらいに、浩三は今のままでは淵上神社だけでなく瑞淵八幡宮も共倒れだと感じ、本気で地域の祭祀にテコ入れし始めたのだという。
「親父のあの異常な熱意は郷土愛から始まってるわけですか」
「俺らはその話を八幡宮の前宮司から聞いたときは、全員で嘘だぁって言っちまったよ。てっきりあいつの情熱支えてんのは金の欲だと思ってたからさ」
「俺もたぶん、少し前にそこに居たら、おなじ事言ってたと思いますよ」
浩三は今までボランティア同然で賄われてきた田舎のありとあらゆる負役を、金を使って村の外の力を借りるスタイルに変えた。その金を手に入れるために、これまでもそれなりに厄払いで有名だった淵上神社の祭を大々的に利用するように村と掛け合った。
前宮司は土地の為に粉骨砕身で働く彼を見て、自分も頑張ろうという気持ちにはなっていた。だが生まれたときから体の弱かった息子には到底バイタリティが無いとは見抜いていた。娘の光子はその点で浩三を支えるくらいにはやる気も体力もあるが、いかんせん女である。だから二人が村の外に出て、それぞれの生活をつくり、やがて引退してこの土地に戻ってきた時、継げるなら継いだら良い。その時まで自分が頑張ろうと思っていたという。
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