4 狭間に立つ者 ②

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4 狭間に立つ者 ②

 週明けの会社がなんだかおかしかった。 「遠野君、僕に手伝えることはあるかな?」  入社して六年、まったく聞いたことのない言葉を年配社員から言われて、幸紘は長い前髪の内に大きく開いた目でその社員を見た。 「え……あ……じゃ、あ、この図面を……」  幸紘はPCのメールの中にある営業からの手直し図面を印刷する。0から描くのではなく手直しだけなので、作業的には面倒くさい点は多々あるが、基本的な技術と時間さえあれば誰にでもできる仕事だった。誰かが担ってくれるならその分作業ペースはぐっと上がる。  営業からのメール内容も少々おかしかった。普段なら遠野様指定で、わかっているだろうという暗黙の了解前提の説明不足な作図依頼がやってくるのだが、ご丁寧に製図室御中な上に事細かい説明が余裕を持った締め切り日時と一緒に送られてきていた。  そしていつも人に仕事を押しつけたがる四つ上の先輩の視線が煩かった。幸紘が出社したときから何度も自分の席からちらちらちらちら伺いながら、最終的には涙をのんで休憩時間を犠牲にし、PCに向き合っていた。  何が起こったんだろう、と昼休みに食堂で一人コーンスープとスティックパンを食べながら、幸紘は一抹の不安を胸に抱えていた。 「遠野君!」  畑中の声とともに扉が勢いよく開かれる。幸紘が驚いて見ていると彼女は眉間に皺を寄せ、圧の強い視線を幸紘に向けたまままっすぐ向かってきた。 「な、なんすか?」 「いつ、辞めるの?」 「は?」  幸紘の口の端からぽろりとパンのかけらがこぼれ落ちた。 「あとさ、いつ、お見合いなんてしたの? 結婚するんだったら言ってくれてもいいじゃない。水くさい」 「え? え? え? え? ちょっと待って。なんすか、それ」 「あたし的にはみんなを脅すための方便のつもりだったんだけど、まさかそれが現実になるなんてねえ」 「だから、何の話なんすか?」 「神社、継ぐんでしょ?」 「え、まっ、え? その話、誰が?」  ほら、と畑中は手にしていた地方新聞を幸紘に渡す。彼女が開いていた場所には時の人として満面の笑みをみせる浩三が載っていた。 「いつこんな取材受けてたんだろう」 「知らなかったの?」  幸紘が新聞の中身を読んでいる間に畑中は自販機であたたかいコーヒーを買って再度食堂に入ってきた。  浩三が載っているページには地方の都市部と辺境部の広がり続ける人口格差やそれにともなう地元産業の後継者不足、衰退していく地方の今後や、一方で苛烈になっていくエコ発電施設や宅地造成などの開発に伴う住人の葛藤など、今まさに宝山市の辺境が抱える問題がこの国の多くの場所で見られることが書かれている。浩三はその問題を抱えた地域で地域拠点としても集客施設としても成功した神社の、数少ない例として取り上げられているのだった。  そのインタビューの中で『幸い当社は修行中の跡継ぎがいて』とか『適齢期になったその息子も結婚して子や孫ができて、連綿とこの土地を守って』などという文言がある。浩三が本当にそう言ったのか、原稿を書いた記者の理解の問題かはわからないが、見る人が見れば幸紘が結婚していて、今後は神社を継ぐのが決定しているように受け取れる内容だった。 「あの人はぁ」  相変わらずのブルドーザーのような強引さを見せる浩三に対して呆れると同時に、今朝からの職場の雰囲気のおかしさの原因を幸紘は理解した。
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