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「で、会社をいつ辞めるの?」
「辞めるつもりはないっす。こんな記事が出てることすら知りませんでしたよ」
「でも神社が再開してから拝殿に立ってるんでしょ? 神社と会社の二足の草鞋は無理じゃない?」
「今のところは土日祝だけっす。今は親父が叔父の代わりに瑞淵八幡宮を手入れしてるんで」
「資格もってるの?」
「うち、昔から社格為しの単一神社なんで、宮司の父親が会社で言うところの社内規格で人事を決めて、氏子総代がそれで納得してるならOKなんすよ。だから神社本庁基準で言うと本来なら俺は無資格なんで出仕っていうバイト扱いなんですけど、うちでは宮司に次ぐ権禰宜の仕事してるわけで。むしろ瑞淵八幡宮は神社本庁管轄なんで、無資格のお祖母ちゃんが叔父さんの名義借りて運営してる方が問題ありなんです。厳密に言うと」
「継がないの?」
「継ぎます。いずれは。だから目下は直階、あ、神職の一番初級資格なんすけど、これは受けないといけないとは思ってます。その際、通信でも講習会でも神職養成講座では最低一ヶ月ほど有給使うつもりっすけど」
「それとれたら辞めるの?」
「すぐじゃないっす。資格を早めに取っておくのは、神道系の資格はいざ親父が倒れてから取るとなると大変だから。各種講座は既存社の権正階、まあ地方のちっこい神社で宮司やれる資格なんすけど、それ以上の資格持ってる宮司か所属都道府県の神社庁の推薦がないと受けられないんすよ。瑞淵八幡宮の叔父の時は親父がその推薦したんですが、親父が倒れたら叔父では逆に俺の推薦ができないんです。実務ほとんど投げ出してるし、宮司の仕事やってるけど正式な資格は権禰宜で、直階より上の位も取ってない人だから。でも神社庁はよっぽどでないと推薦状くれないんすよ」
「あ、だからお父さんが存命中に資格は取るって事か」
「そうっす。神道系の資格ってそういうものじゃないそうっすけど、俺にとってはそういう程度って話で。でも俺は親父にはなれません。神社のお役を為すために、子供の誕生日一つ普通に祝えないような人生を認めたくはない」
「そういや、大祭の日がお誕生日だものね」
「血の穢れって理由で、初めて会いに来たの退院前日だったそうっすよ。今でも母は俺に愚痴るんです」
「わかる。女にとって妊娠出産に関わった恨み辛みは、一生忘れないもの」
「でも神職で家族を持ったら、どうやってもその協力が、犠牲がないと成立しない。だから俺が神職をやるなら家族を持つつもりはないんす。親は当たり前みたいに家族を持って、次は神職って考えてますが、俺には、考えられない」
「ってことは、神社はいつか継ぐとしても結婚はしないってこと?」
「現状は。なので当然近日中の予定もありません。たぶんこれからも」
「もったいない。大祭の時の斎服姿、あたしは磨けば光る原石だと思ったけどなあ。最近は特に人当たりが柔らかくなったしさ。女の子、緊張する?」
「女の子に限らず人間全般が苦手っすよね、正直。職場で畑中さんと話せる、くらいで」
「あ、うん、そうだね、遠野君ねぇ。でもそれじゃあ遠野君の代で終わりになっちゃうよね、淵上神社」
「それなんすよねえ」
幸紘はスティックパンを口に咥えてもさもさと食べた。
「加奈子が結婚して、息子連れて帰ってこないっすかね」
「するの?」
「……しないだろうなあ。あいつ基本的に女王様だから結婚とか向かなさそうだし、仕事しだしたらキャリアの方が楽しくなるんじゃないかな」
「あと息子が生まれるかどうかも、その子が次世代になってくれるかどうかも神のみぞ知る、だしねえ」
神、という言葉が出てきて幸紘は思わず苦笑してしまう。こればかりは少なくとも淵上の神々の神位ではわからない話だった。
「っていうか加奈子ちゃんが犠牲になるのはいいんだ」
「犠牲になるかならないか、加奈子が自分や自分の家族と家業の関係をどうするのかは俺の知ったことじゃないっす。加奈子が決めたら良いでしょう。っていうか、俺だけが家業の業を全部背負わされたり、思い悩んだりするの、不公平じゃないっすか。加奈子も悩むくらいはしたら良いんですよ」
「あ、うん。わかりみ」
畑中は半ば冷えたコーヒーを口にするとあはは、と笑った。
「でも、まあ、遠野君がすぐに辞めるわけじゃなくてよかったわ」
「通信教育に関しては今年の入学選考はとっくに終わってますしね。資格取り始めるにしても今のところ最短は来年の話っすよ。でも暫くはこの話は内緒にしてください。研修中の長期有給を取るにしても、この一年かけてもうちょっと仕事の分散しとかないと会社が地獄になるのは目に見えてるんで。みんなには好き勝手に思わせた方が良いでしょうし」
「優しすぎるなあ、遠野君はぁ」
そう言って畑中はあははは、と高らかに笑った。
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