1 神様と私 ②

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 エンジンと車内が暖まるのをしばらく待つ間、幸紘はじっくりと免許証を見る。  種類のところは中型、原付はもちろんなのだが、大型自動二輪、大型二種、大型特殊第二種、けん引第二種にも記載があった。そして運転免許証の裏のカードケースにはリフトや固定・移動式クレーン、玉掛けや重機の技能講習修了書が刺さっている。幸紘がクロッキー帳に描いたのとほぼ同じ顔とはいえ証明写真が存在するというのもそうだが、免許のバラエティの多さに幸紘は驚いた。 「フル免なんて、初めて見ましたよ。偽造じゃなくて?」 「んー……住所と名前は借りもんだけど、資格自体は本物」 「更新も行ってるんですか?」 「行ってる。っていっても五年に一回な」 「ご、ゴールドぉ……」 「除雪車でも営農のトラクターでもなんでも運転できるぜ。だからバイトの幅が広がるんだよな。ここ数年は動きが鈍ってきてるけど、扶桑ヶ原周辺の造成工事でも必要なときは重宝されるしさ」 「これだけあるならバイトじゃなくて、うちの会社に就職しませんか?」 「色気出すのはやめとけよ。その住所のおっさん、たぶんもう生きてないぜ」  神様はにやっと笑ってギアを一速に入れるとサイドブレーキを解除する。アクセルを軽くふかして慣れた感じのなめらかなクラッチワークでギアを繋ぐ。ゆっくりと車が走り出し、すぐに家の前の道で曲がり、車は定速に乗った。 「瑞淵八幡宮の奥の山ん中に朽ちた平屋の一軒家があるんだよ。名前も住所もそこに住んでた奴のな」  言われて幸紘は免許証の個人情報を確認する。確かに住所は光子の実家である瑞淵八幡宮の近くであり、名字もその辺りに多い光子の旧姓と同じ松崎だった。年齢は生年月日から逆算するに五〇代後半になる。写真の神様はあまりに特徴がなさ過ぎて、ちょっと若目の五十代と言われればそうみえなくもない、と幸紘に思わせた。 「家のどこかにはいるとは思うけど、建物とか敷地の朽ち具合とか見る限り、中で野垂れ死んでるんじゃねえかな」 「公共料金とか税金は?」 「さあな。ガスとか電気はとっくに止められてた。水道じゃなくて井戸水使ってたか。山からも清水引いてた気がする。なんかあったとしても本人の預金通帳はまだ生きてて、そっから引き落とされてんじゃないかな。確認したことないけど」 「年末調整とか、税金の手続きがあるでしょう?」 「俺は基本現金手渡しの日雇いのバイトしかしてないから稼ぎの記録は無い。無職の非課税世帯扱いになってる可能性は高いな」 「市役所は何してるんだ?」 「宝山市ってのは僻地にはどうやら興味がないらしいぜ。わざわざ人をよこして生存確認もしてない。八幡の爺さん曰く、本人はけっこう偏屈な男だったみたいで、血縁も周りも様子を見に行くこともなかったらしい。瑞淵八幡宮の先代がいたころは宮司がちょくちょく様子見に行ってたみたいだが、今代になってからは疎遠になってる」 「叔父さんは基本的にずっと扶桑ヶ原にいるし、祖母ちゃんは足腰悪いしなぁ」 「集落から離れた山の中にある家だから、死臭も臭わないだろうし、誰も気づかねえわ」 「でも弔わないと、だめでしょう」  幸紘は常々浩三が神職として彼に教えてきたことを思い出す。  全ての生き物は肉体と御霊で成り立っており、御霊は『命』と『魂』でできている。  『魂』とは無限に循環するエネルギーであり、『命』とは今生に限られた有限の個性だ。亡くなった後『命』と『魂』は山の中にある幽世に返るが、その後『命』は氏神(うじがみ)となって永遠に土地を見守り、『魂』はその土地に生まれる次世代の御霊になるという。  その流れが滞って『命』が現世に未練を残せば怨霊(おんりょう)になり、『魂』が分かたれなかった場合は『命』に侵食されて濁り、祟り神となって土地を穢す(けがす)、と。  神様は幸紘の訴えを、感情の伺えない無表情で受け流した。 「里の基準ではな。だがあいつが住んでるような山ん中じゃ、そこはもう幽世の入り口であり、幽世そのものの世界でもある。死んだら即幽世行きで、とっくに家ごと山の一部になっちまってる。弔いを受けないなんてのは、山に生きる獣からしてみればあたりまえだし、役所が放ってんのはあっちの問題だから、別にわざわざ言ってやらなくてもいいんじゃねえかなって思うんだけど?」 「でもその人の周辺を調べられるようなことになったらどするんですか。神様、困りませんか?」 「仕方ない」  神様は幸紘が驚くほどあっさりと言った。 「そんときは俺の記録を人の中から消すだけだ」 「前もそんなこと言ってましたね」 「媛がな、消してくれる。そういう呪的なちょろまかしはあいつの得意分野だから」 「記憶ごと飲む、的な?」 「だな。で、ここからどうする? 早朝残業っていうにはまだ早すぎねえか?」 「市街地までいけますか? 今日の分も含め、備蓄食料買いだめしたいんですよね。神様も朝ご飯、まだでしょう?」 「うん。じゃあさ、今から今日のメシを買いに行くのはコンビニとして、その後は俺に車貸しとけよ。この車にガソリン入れて、ついでに市街地のスーパーで買い物してくるわ。帰りも送るし。会社の駐車場で待っててかまわないか?」 「いいですが、遅くなるかも知れませんよ」 「かまわねえよ。その腕はユキを守り切れなかった俺のせいだ。ギプスはずれるまでは送り迎えくらい面倒見る。それにユキが言ったんだぜ。側においてくれって。でもワーカホリック人間を俺が住んでる池に連れ込むわけにはいかねえじゃん」 「それでもしかして朝から来てくれたんですか?」 「そうだけど」  神様は前を向いたままずずっと鼻をすすり、柔らかそうな白い指の背で鼻を押さえる。  幸紘は健気な仕草と気遣いにどう応えていいかわからず表情が素になってしまう。心の中では「まじか」と驚くと同時に、どうにもソワソワしてしかたなかった。
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