1 神様と私 ④

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1 神様と私 ④

 結局、幸紘が業務を終えて外に出た時には、月のない夜空が一面に広がり、白い星が雲間からちらちらと輝いていた。 「遅くなったな」  製図室の戸締りをし、駐車場へ道すがらスマートフォンの明るい画面を確認する。  先輩に自分の仕事は自分でやれと投げたものの、ひっきりなしに聞いてくるから帰るに帰れず、挙げ句に見かねた上司から、明日幸紘が病院へ行くために早退するのを理由にして、最後の仕上げを命じられた。終わった頃に見回したら部屋には幸紘一人である。もう両親は眠っているような時間だ。家電屋への注文を終えた後、どういう行動をしているのかわからないが、間違いなく今日も車の中でじっと待っていたであろう神様を幸紘は想った。  駐車場の、水銀灯様に模したLED電球の真下に緑のクーパは停まっていた。幸紘は助手席から中を覗く。運転席の座席を限界まで倒して、神様はすやすやと眠っていた。白い光に照らされていても陰影が薄い、つやっとした白い寝顔が安心しきった赤ちゃんのようにあどけない。確かに畑中が言ったように五〇代には見えないし、三〇代としても見えなかった。  昨日もこうやって待っていた。何か掛けるものがないのも寒いだろうと、今朝は後部座席に大判の薄いブランケットを幸紘は置いていた。それに今(うずくま)っている神様の姿は本当に幸せそうで、起こすのがもったいなかった。だがギプスの先に出た、まだ内出血の赤みを残した幸紘の指先は冷たくなっていた。いつまでも寝顔を見ていたかったが寒気が肩を震わせたので幸紘は軽くガラス窓を叩いた。  ぱちり、と神様の白目がちな両目が開いて中からドアが解錠される。幸紘はすぐに助手席へ乗り込んだ。 「おまたせしました」 「んぁ? お疲れ」  座席を戻して神様は大きく背伸びをする。するりと落ちて膝の上にわだかまったブランケットを彼は幸紘の膝の上に置いた。それは神様の低めの体温でほんのりと温かく、甘すぎはしない程度に優しく爽やかな香りがほのかに移っていた。 「遅くなってしまって」 「気にすんなよ。よく寝れた」  ふわぁ~あと大きくあくびをしてから神様は車のエンジンをかけた。 「寝不足ですか?」 「もともとショートスリーパーなんだよ。まとめて寝ない」  とはいうものの、昨日は朝早くに迎えに来て、そのまま夜は食事をすると鏡池まで戻った。今朝はまた朝早く迎えに来ている。これまでの昼間は何をしているのかしらないが、大祭の練習中は昼寝等もしていたはずで、連日幸紘の生活時間に付き合ったり市街地で所用を済ませたりする生活が負担になっていないはずはなかった。 「今日、家電屋で注文できました?」 「冷蔵庫とレンジ? お得意様宛の封筒の中に入ってた広告の、新生活応援セットの分でよかったんだよな? レンジだけトースト機能ついたやつにグレード上げて」 「そうです。これでもう冷凍食品を買ってきても大丈夫ですよ。簡単な料理くらいならできます」 「洗い物だけだな。トイレの手洗いで皿洗うわけにもいかねえだろ?」 「最近の冷食はそのまま食べられる器付きもあるんですよ。便利になりました。おやつばっかり食べないで、ちゃんとしたもの食べてください」 「そっくりそのまま返すぜ、ユキ。肉つけたかったらまず飯食え。生きることも、鍛えることも、とにかく食うことが基本だ。今日はどうする?」 「台所に何かあるんじゃないかと。足りなければカップスープかインスタントで。ああ、ポットも買わないと」 「それ、明日買ってくるわ。今日頼んだ分が明日届くらしいから、受け取ってセッティングしとくな。どうせ浩三も光子も昼間は家にいないだろ?」 「一階においといてもらってもいいですよ。三階までだと別途搬入料がかかるはずなんで。明日病院で一五時上がりですし、帰ったら上げましょう」 「その手が何の役に立つんだよ。俺が機会見て運んどくよ」 「一人で?」 「大丈夫だって。ユキより俺は丈夫って言ったろ? 引っ越し屋のバイトで運んだ四五〇リットル冷蔵庫や十二キロタイプのドラム式洗濯機より頼んだやつは軽いんだ」 「一人で?!」 「その方が早いもん」 「今までどんな仕事してきたんですか、神様」 「また教えてやるよ」  にやっと笑って神様はサイドブレーキを下げる。エンジンの回転数を少々高めにして、車は走り出し、駐車場を出て行った。  しばらく点々としか街灯のない田舎の一車線道路を走る。村の中では幹線とも言える道の周りは数メートル先も見えないほどの真の闇だ。星影が見える夜空の方がもしかするとまだ明るく感じるほどだった。 「昔、狐だったか狸だったか、()いたなぁ」 「今のシーズンはみんな寒くて寝てるだろ」  神様はははは、と笑う。フロントガラスを白い影がふわり、と横切っていった。 「うわっ!」 「大丈夫だって。ただ精が横切っただけだ」  幸紘は思わず顔を手で覆ったが、神様は動じる様子もなく、速度を保ったまま車を走らせた。 「神様が精って呼んでる『それ』って、いったいなんなんですか?」 「『命』の成れの果て」 「成れの、果て?」 「御霊が肉体と別れたら『命』は山へ還るだろ? あれは一族を見守る氏神になる。けど永遠に存在するものじゃない」 「違うんですか?」 「永遠だったら山の中が氏神だらけになるだろうが。『命』は原則有限だ。ものすごく時間をかけて浄化され、分解して精になり、最後は山に溶け込んで大地に還元され『魂』の一部となってエネルギーを補完する。精霊とか、精気って言われ方もする。砂の一粒、水の一滴にすら宿る『命』の欠片だ」 「『それ』が俺にくっついてくるのは、どうしてなんでしょうね」  そして大祭の時、我を失った幸紘に次々と飲まれていった理由とはなんだったのか。幸紘は気になって、走って行く車の前方を見たまま尋ねる。神様は聞こえていたはずだがすぐには答えなかった。
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