第一話

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 翌朝、初めて夜更かしをした学は気怠さを覚えていたが、夜になればステラに会えることを思えば、何も苦ではなかった。両親の喧嘩を見ても辛くはなかったし、学校で女子たちに冷たい視線を向けられても気にならなかった。    きっと彼女が僕のことを、変態だのなんだのと言いふらしているのだろう。好きなようにしたらいいと、学はそう思った。  昨日家を飛び出した時間になって、学はそっと家を抜け出した。昨夜は両親が騒いでいたこともあって普通に家を出て行くことが出来たが、今日は静かなため注意が必要である。いくら親同士の仲が悪いとは言っても、子供が夜遅くに出て行くことを看過してくれるとは思えない。  学はまた部屋着のままで、外へと出た。どうせ会うならお気に入りの服を着て行こうとも思ったが、気合が入っている様を見て笑われるような気がしてやっぱり止めた。  橋の上に着くと、そこにステラはいた。電灯に照らされるている彼女の服は、昨日と色は違うが、変わらずジャージだった。ピンク色のジャージを着てしゃがみ込んでいる彼女を見て、部屋着のままで来て正解だったと学は安堵の息を漏らした。 「こんばんは、ステラ」 「こんばんは、ナナシ」  軽く挨拶を交わして、昨夜と同じように二人並んで橋の上に座った。学は座る時、たまたまステラと肩が触れて、鼓動が速くなった。恥ずかしくなった学は、悟られないように咳ばらいをしたり、身体を伸ばしたりしながらステラの横に腰を下ろした。 「どうしてそんなに、そわそわしてるの?」 「あ、えっと……走って来たから、ちょっと柔軟しとこうと思って」 「ふーん。汗、かいてないけどね。それに、歩いて来てたの、見えてたし」  ステラが意地悪そうに笑う。学は、からかわれた、という事実に気が付いたが、苛立ちよりも心地よさの方が強く感じられた。こんな素敵な空間にいられるのなら、どれだけからかわれても構いやしない。口では文句を言いながら、心では感謝していた。 「分かった分かった。私が悪かったよ、ナナシ。謝るから落ち着いて。それより、本当に来てくれたんだね」 「言ったじゃないか、絶対に来るって」 「絶対……」  呟いて、ステラは微笑んだ。 「じゃあ私も、絶対ここにいなきゃ、だね」  少年の胸がぎゅうっと、締め付けられたようだった。あまりの苦しさに、息も絶え絶えになって、その様子を見ていたステラにまた、からかわれた。 「僕も一応男なんだから、あんまり馬鹿にしないでよ」 「馬鹿にはしてないよ。じゃれてるだけ。あと、男だってことも、知ってる」  一瞬、時が止まった。二人の視線が交わって、二つの瞳には相手の姿しか映っていない。  静けさが醸し出す緊張感に耐えきれず、昨日同様に顔を真っ赤にした学が、口を開いた。 「昨日は僕ばかりが喋っちゃったから、今日はステラの話を聞きたいんだけど」 「……私の話なんて、面白くないよ。ナナシの星の話の方が、何倍も素敵で面白いよ」  褒められて悪い気はしなかったが、それでもやはり学としては、もっとステラのことが知りたかった。 「私は、ステラ。君と出会って、一緒に星空を眺めた女。それ以外の何者でもないよ。ナナシ、君だってそうでしょ?」  まるで、現実から飛び出して、二人だけの世界を創り上げているような気がする。学はただ「うん」と頷く他なかった。  ステラの本名、年齢、そして現在と過去。知りたくないといえば嘘になるが、知る必要はなくなった。聞いたところでそれは、ステラのものではなく、ステラの中にある別の彼女の話なのだ。目の前にいる彼女以外の話は、今の学にとってはどうでもいいことだった。 「ねえ、ナナシ。今日も星の話、聞かせてよ」  ステラが視線を空へと移す。それに続いて、学も空を見上げた。雲がないのだろう、数え切れない星々が光り輝き、現実の中に幻想を描いているかのようだ。  綺麗。そんな単純な言葉では表現できない、と、学は思った。美しい光の中に、寂しさと切なさが溶け込んでいて、世界の悲哀を感じさせられる。心に星の魅力が浸透していく度に、学の胸中で息づくステラの姿もより一層立体的になっていった。   ステラの要望通りに学が話し始めた。学は空を見上げたりステラを見たりと、視線の先を変えながら話しているが、ステラは小さく頷きながらずっと空を見上げていた。ステラは意識しているのか分からなかったが、熱心に話している学は、何時の間にか自分と彼女の肩が密着していることに気付いていた。  離れた方がいいのだろうか。そう思ったが、離れたくはなかった。むしろ、もっと身体を寄せあいたいとすら思った。 「あれ? それ、さっきも話してたよ?」  意識がステラに向きすぎていた学は、どうやら同じ話を繰り返していたらしかった。聞いていないようでしっかりと聞いていたステラは、久しぶりに学の方に視線を向けて声をかけた。 「ナナシって本当に、星が好きなんだね」  ステラの言った、星、が夜空に浮かんでいるあれらだということは分かっている。だがそれでも、まるで好意を寄せていることを見透かされているかのようで、学は数秒の間、沈黙になった。星が好きなのだからすぐに「うん」と答えることは出来ただろうに、それが出来なかったのだ。
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