第一話

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 学が星について語り、ステラがそれを嬉しそうに聞く。その構図が、約一時間ほど続いた。時折、ステラの方からも無邪気な質問があったりして、その度学は自分の胸の鼓動が早くなるのを感じた。  静かな星空の下。息づくものは無数にあれど、今この瞬間だけは、二つの命しか存在していない。自分たちだけの世界が、ここには確かに存在している。 「じゃあ、そろそろ帰るね。ステラは、明日もここにいる?」 「ナナシが来るなら、絶対にいるよ」 「分かった。絶対に来るね」  昨夜と同じように、口約束を交わす。  ステラに背を向けて歩き出した学は、ズボンのポケットに入れていたそれを強く握りしめた。    もしかしたら、連絡先を交換するかもしれない。そんな淡い期待を抱いて、スマホを持って来ていた。連絡先を知っていれば、橋の上に来れない時でも繋がることが出来る。家にいても、心の拠り所に縋れる。  学は、歩を止めてその場に立ち尽くした。ステラが「連絡先、交換する?」と、背中に声をかけてくれるのを待った。  けれど、学の期待にステラは応えようとはしなかった。数分待っても、何も言葉が聞こえない。  ようやくしてステラは「どうしたの?」と、学に声をかけた。学は振り返り、ステラを見やった。  座ったままの彼女。上目で自分を見てくる彼女に、沸き立つものを感じた。もっとステラを知りたい。その欲求は、女性としてなのか、人間としてなのか、学自身判然とはしなかった。  強く握っていた人工物から、手を放す。そして、目に焼き付けるかのように、じっとステラを見続けた。 「ちょっと、恥ずかしいね」  笑うステラ。学は、彼女を見ることに耐えられなくなった。 「また、明日」  そう言ってまた背を向けて、今度は走り出す。その様は、一目散に逃げているようにも見えた。  呼吸が荒くなる。何度も何度も、矢継ぎ早に息を吐き続け熱を放出していなければ、身体が爆発してしまいそうだった。  身体の奥底から、とめどなく溢れてくる。理性や意思では、到底抑えきれないように思えた。    恥ずかしい。    ステラがそう言ったのは、自分のことを見られていたからなのか、それとも学が隠したかったそれが目に入ったのか。  どちらにせよ。いやむしろ、学は後者であることを心の奥底で望んでいた。願い妄想すればするほど、血流が下腹部へ流れていく。  ステラについて知りたいと思うその本能は、人間としてなのか、雄としてなのか。それは学の身体の反応を見れば、最早明確であった。               *  ステラと出会ってから、学は毎晩橋の上へ行った。家を抜け出す際、両親が喧嘩してくれている方が楽なので、自然と両親の喧嘩を望むようになっていた。以前は喧嘩を始めると、現実から逃亡するために望遠鏡を覗き込んでいたのだが、今となっては、喧嘩のおかげで甘美な現実に触れることが出来る。  両親の仲が悪いことに感謝をしたのは、産まれて初めてだった。  二人だけの秘密の時間を過ごすようになってから、半月が経っていた。未だに学はステラの連絡先を聞き出せてはいなかったし、ステラの素性もまったく知らないままだった。    彼女がどういう生活を送っていて、本当の名前はなんなのか。    知りたい、と思うことは何度もあった。けれど、知ってしまえば自分たちの関係が終焉を迎えるような気がして、学はいつも星についてステラに語った。    学校では、しばしば嫌がらせを受けた。  靴箱に靴がなかったり、机に鉛筆で落書きがされていたり。初めは戸惑った学だったが、慣れてしまえばただ面倒なことだなと、思うだけになった。靴はいつも近くには置かれているし、机の落書きも消えないものでは書かれない。どこか気を遣っているような嫌がらせに、少しほっこりもした。  図書館で彼女を見ていたことで、【変態】というレッテルが、生徒中に貼られているのだろう。どれだけの範囲でそうなっているのかは見当もつかないが、今の学にはどうでもいいようだった。  ステラに会える。  それ以外のことに、ほとんど関心がなくなっていた。居場所がどこにもなくとも、ステラの側にだけは自分の存在を認めてくれる場所が存在している。一日の中で見ても短い時間しか滞在していられない場所だけれど、それでもその居場所があることで、学は真っすぐと立っていられるような気がしていた。  見知らぬ生徒からも陰口をたたかれるようになった学の学校生活は、以前と何も変わってはいなかった。授業中は真面目に授業を受け、休み時間になると寝るか図書室に行って本を読む。図書室に行っていたのは例の彼女に会うためが半分の理由で、もう半分は図書室の役割通り本を読むためだ。前者はなくなっても、後者が残っているので充分楽しめる。  例の彼女は、学に声をかけてきてから姿を見せなくなった。学は、自分のせいで図書室に来づらくなっているのだろうかと思うと、悪い気がしてならなかった。彼女も本が好きで来ていただろうに、と。    だがそう思う反面、たかが見られていたことに過剰に反応し過ぎだろう、とも思っていた。ステラはどれだけ見つめられても、笑顔を見せてくれる。嫌悪感など、一切示さない。    これが、女性と女子の違いだろうか。達観した風に、学はそう思った。      
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