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おばあも鬼の夫婦も、今は皆鬼籍に入ってしまった。
その後母屋の整理をしなければならなくなった時に後継の弟は、随分前彼が結婚したと同時に家を捨てて疎遠となり、財産放棄の手続きまでしていたと知った。
「許してやってください」と、毎晩おばあが謝らなければならないような事とは何だったのだろう。
こんな娘に育てて、すみませんということだったのか。今も、わからない。
夜は鬼だった父も、いつもはとても優しい人だった。
明るくて人気があったと、葬式の時には大勢集まって皆んな泣いていた。それなのに…。
なぜ夜鬼になるのかは、分からずじまいだった。
そして、どんなに怒られようが殴られようが、おばあから「あんたも謝りなさい」と言ってきかせても、頑として謝らずに鬼の怒りに油を注ぎ続けた母のことも、理解ができないままである。
あのお巡りさんが言っていた通り、夫婦喧嘩とはそういうものなのだろうか。
そういえばどこかでふと、「あんたはよく土下座して謝ってたわねぇ」と母から言われた時があったけれど、私とおばあの辛さを知っていて続けていたのかと愕然とした事があった。
なぜ、知っていて悲しませる事を続けられたのか。
今も、背筋が凍りついて母屋には足を向けたくない。
でも「もう考えるのは、よそう」いつの頃からか、そう決めていた。
結局財産など無く、残った家を更地にして処分する事が決まり玄関から解体工事が始まると知らせが入って立会いに行く事になった。
その建物に懐かしさは、微塵も感じなかった。
「あの…」
その時、現場監督が駆け寄ってきた。
慌ててついてゆくと、壊されてゆく塗り壁の内側、塗りと藁すきの間の至る所に、様々な神社のお札が幾重にも幾重にも塗り込まれて隠されているのが見えた。
気が遠くなるほど夥しい枚数の、様々な文様。
古びた神社の魔除け札が、何枚も何枚も何枚も…どの壁にもどの壁にも塗り込められている。
いったいいつから、誰が?
何を封じようとしていたの?
誰もが手を止めて、その異様な風景を呆然と眺めるしかなかった。
私は眩暈がして、思わず玄関の三和土に手をついて嘔吐した。
その脚に、ヒヤリとした冷たい土間の感覚で我に返る。
あゝ、またここで土下座している。
(早く夜が明けないかしら…)
そうぼんやり考えながら、頭を下げ続けるのだった。
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