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第11話 消えぬ痛み
ダグとイリス皇女様が手を取り合っている。
それを私は黙って見ていた。
皇女様と見つめ合っていたダグが、不意に私の方を見た。
形の良い唇が嘲笑で歪む。
『お前はもう用無しだ』
心臓が大きく音を立てた。
全ての音が消え去り、やけに速い心臓の音だけが頭の中で鳴り響く。
(何か言わなきゃ……言い返さなきゃ……)
だけど、いざ彼を目の前にすると言葉が出ず、焦燥感に駆られるだけ。
(何か、何か言わないと……)
やっとのことで口を開いた。
でも言葉は出なくて――
不意に視界が開けた。
気が付くとダグと皇女様の姿が消えていて、代わりに知らない天井が広がっていた。ぼーっとした頭で、今自分がどこにいるのかを考える。
(……そうだ。確か昨日スティアの街にやってきて……マーヴィさんの家でしばらくご厄介になることになったんだっけ……)
家というか城だけど。
ゆっくり身を起こすと、シンプルながらも清潔感のある部屋が見えた。窓からは日の光が差し込んでいて、部屋の中を明るく照らしている。
とても気持ちの良い朝だ。
なのに、
(せっかく素敵な部屋で眠らせて貰ったのに……夢見が最悪だわ……)
額を抑えながら、大きくため息をついた。
帝都からここに向かう旅の間は、こんな夢見なかったのに。スティアの街についてホッとしたからだろうか。
あの最悪な場面を夢に見たことは、百歩譲って仕方ないとしよう。
だけど、
「夢の中ですら私……ダグに言い返せなかった……」
それがとても悔しかった。
*
「マーヴィさん、おはようございます」
一緒に朝食をとろうとリィナ様に呼ばれたため、侍女に案内されて廊下を歩いていると、マーヴィさんと出会った。
この街の人々が身につけているような、布の服を着ている。この格好を見て、彼を貴族だと思う人間はいないだろう。
黒い瞳が私を見下ろしている。
こう改めて見ると、マーヴィさんはとても大きい。
旅の間と変わらないボサッとした茶色の髪、その体格に似合わない穏やかな容貌。私のイメージするクマさんが、そこにいた。
「おはよう。少しは休めたか?」
「はい。久しぶりにゆっくり眠れました」
夢見が最悪だったことは内緒にしつつ答えると、それは良かったとマーヴィさんも笑って返してくれた。
「あのっ、今からどこかにお出かけになるんですか?」
何となく服装から出かける雰囲気を感じ取り聞いてみると、マーヴィさんは軽く頷いた。
「ああ。この地の魔王汚染がどのくらい進んでいるのか確かめたくてな。今から街の者を引き連れて見に行こうと思う」
そう話す彼の表情は、少し緊張しているように思えた。
この街の人々はとても明るいけれど、長年に渡る魔王の影響は、クレスセル領を間違いなく蝕んでいた。それは、この城に行くすがらに見た人々の服装や、品揃えが寂しい店の様子などを見れば一目瞭然だ。
魔王討伐の褒賞として山ほど物資を持って帰ってるけれど、一時的なもの。
根本的な問題解決にはならないと分かっているからこそ、故郷を立て直す方法を一刻も早く見つけ出すため、休む間もなく動き出そうとしているのだ。
故郷を愛しているからこそ――
昨日、私を歓迎して迎えてくださった街の人々や、マーヴィさんのご両親の顔を思い出し、私は両手に力をこめた。
「あ、あの、マーヴィさん! その視察、私も同行させて頂けないでしょうか?」
「え?」
私の申し出に、マーヴィさんが目を丸くした。その瞳がすぐさま鋭く細められたのを見て断られると察した私は、息つく間もなく言葉を続けた。
「決してマーヴィさんの邪魔はしません! 私もどのくらい魔王汚染が進んでいるのか見たいんです。だって、どのくらいの範囲が汚染されているか分からないと、汚染浄化にどれだけ時間が掛かるか計算出来ないじゃないですか。だからお願いします!」
最後の一押しとばかりに、私は大きく頭を下げた。
私の言葉を最後に、シーンという静けさが廊下を支配する。窓の外から聞こえてくる訓練の音が、やけに大きく聞こえた。
いつまで経っても声を発しないマーヴィさんを不審に思い、私は頭を軽く上げて上目使いになりながら彼を見た。
マーヴィさんと目が合った。
しばらく互いに目を瞬いた後、先に動いたのはマーヴィさんの方だった。
「……汚染浄化?」
「え?」
「い、いや、すまない。聞き間違いだな。あんたが魔王汚染を浄化出来ると勘違いしてしまって――」
「? 出来ますけど? 魔王汚染の浄化」
「そうだな、出来るわけな………………えっ?」
両腕を組みながら自身の勘違いだと納得していたマーヴィさんが、再び私を見た。
それはそれは、細い瞳をめいっぱい見開きながら。
彼の反応がおかしくて、思わず噴き出してしまう。
「ふふっ……あ、笑ってしまってごめんなさい。あの、知らないのですか? 解毒の神聖魔法を使えば魔王汚染を浄化出来るんですよ?」
「え、解毒の、魔法……?」
マーヴィさんはそれだけ言うと、しばらく口をパクパクさせ、ゆっくりと口を閉ざした。だけど相変わらず、瞳を見開きながら私を凝視している。
その顔に、信じられない、という心の声を出しながら。
魔王汚染は、解毒の神聖魔法で浄化できる――これは、私が旅の途中で気付いたことだ。
『魔王の邪気って土地にとって有害なもの、つまり毒みたいなもの。なら……解毒魔法が効く気がする』
という思いつきを試したら、魔王汚染された土地を綺麗に浄化できたのだ。
ただ分かってからすぐに魔王との戦いに突入したから、旅の間に役立てることは出来なかったけれど。
でもここに来る前に大神殿に伝えておいたから、きっと今頃、魔王汚染の浄化が始まっているはず。
ここは帝国内でも辺境に当たる土地。情報がまだ届いていなくても不思議じゃない。
まあ情報がなくても、発見者の私がここにいるのだから問題ないわけだし。
「一刻も早くクレスセル領を立て直したいんですよね? なら、迷う理由なんてないですよ? まだ迷うっていうなら……」
最後の一押しとばかりに、言葉を強めた。
「私、勝手に付いていきますから」
「それは……困る」
眉間の皺を更に深くしながら、マーヴィさんが唸るように言った。そして負けた、と言わんばかりに大きくため息をついた。
「分かった。だがきちんと朝食はとってきてくれ」
「ありがとうございます、マーヴィさん。お待たせしないよう、すぐに食べてきますね」
「いや、ゆっくりでいい。でも……本当に大丈夫か? 昨日着いたばかりだから、もう少し休んだ方が……」
「そういうならマーヴィさんも一緒じゃないですか。大丈夫ですよ。それに今、無性に体を動かしたい気分なんです」
とにかく体を動かして、今朝の夢を頭の中から追い出したかった。
こうして私は半ば強引に、視察に付いていくこととなった。
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