第18話 産まれてきてくれてありがとう

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第18話 産まれてきてくれてありがとう

「アウラ殿! 大丈夫か⁉」 「アウラ、どこかまだ辛いとかないですか⁉」  そう言いつつ部屋に飛び込んで来られたバックス様とリィナ様。  起きている私を見てホッとした表情を浮かべられたのも束の間、お二人はマーヴィさんを押しのけてベッドに近寄ると私の顔をジッと見つめ、ようやく安堵したのか、長く息を吐き出された。 「はあ……良かったわ。随分顔色も良くなっているし……」 「ご心配をお掛けしてすみません……それにバックス様、お約束を破る形となり、申し訳ございませんでした」 「何を言っているんだ、アウラ殿! こちらこそ、知らない間にあなたに随分無理をさせていたようだ。ほんとーーーーに申し訳ないっ‼」 「あ、頭をお上げくださいっ‼」  バックス様が、直角以上に腰を折って謝罪されため、私は顔を上げて頂くようにお願いした。だけどそれをリィナ様の低い声が許さない。 「あなた……その程度の謝罪で許されると思っているの⁉ こんな細い子、小さな風邪だって命取りなの! あなたやここの領民みたいに、ちょっとした体調不良なんて肉食っときゃ治るってわけじゃないのよ!」  リィナ様が凄い剣幕でバックス様を睨みつける。  バックス様はリィナ様の迫力に圧されつつも、肉では治らんのか……? と、今初めて知りましたと言わんばかりの反応をされていた。  そんな二人を、マーヴィさんは呆れたように一瞥した。彼が怒りを押し殺したような声色で、 「父さんも母さんも……この部屋にいるのは病人なんですよ? これ以上騒ぐつもりなら、出て行って貰います」  と厳しく言い放つと、バックス様とリィナ様は慌てて言葉を飲み込んだ。  私の身を案ずる三人の心配そうな視線が向けられる。  心配させてしまって申し訳ない気持ちよりも、心配してくださった嬉しさが勝り、気付けば口元が緩んでいた。  だけどこの場で笑ってしまうのは不謹慎かと思い、緩む唇を手で隠すと、リィナ様の表情が険しくなった。 「アウラ、大丈夫? 気分が悪いの?」 「いえ、違うんです! この地でお世話になってから、私のことを気にかけて頂くことが多くて、それが何だか嬉しくて……すみません、心配してくださっているのに嬉しいだなんて……」 「嬉しいなら良かったが……でも、体調が悪い人間を気にするのは普通だと思うが?」 「父さん‼」  バックス様の何気ない問いを、マーヴィさんが厳しい口調で制止した。  突然息子から発言を止められた理由が分からないバックス様は、助けを求めるようにリィナ様を見たけれど、リィナ様は不思議そうに視線を返されただけだった。  お二人の反応を見て、申し訳なく思う。  私のことを考えて、バックス様の発言を止めたマーヴィさんに対しても。  マーヴィさんには、故郷の村で私がどんな扱いを受けてきたのかを話している。その内容は、あまり人様に話せるような楽しいものじゃない。  バックス様の問いが故郷の話に繋がると判断し、中断しようとしてくれたのだろう。  だけど、 「いいんです、マーヴィさん」  お二人になら話せる気がした。 「私、孤児院で育ったんです。村はとても貧しくて、孤児院の子どもたちは皆から疎まれていました」  私たち孤児を見る大人たちの冷たい視線が記憶に蘇り、私の視線が少しずつ手元に落ちる。話を続けようとすると、喉の奥が震えた。 「孤児院での環境は過酷でした。私たちが生かされているのは、のちに村の労働力になるため。だから病気になって動けなくなると、生かしている意味がないのです。治療なんて受けさせて貰えず、体調を気にかけて貰うこともありませんでした。だから……」  話しながら、私はこの街にある孤児院の様子を思い出していた。  神殿の近くにあって、いつも楽しそうな笑顔が聞こえていた。前を通ると、子どもたちが汗を一杯かきながら遊んでいて、少し大きな子どもたちからは元気な挨拶が飛んでくる。  一人が病気をすれば、病魔を周囲に広げないために、空間浄化を依頼されたものだ。  彼らの輝く瞳を見ていると、心の奥に突き刺さった冷たいトゲが疼く思いだった。  私と同じ境遇なのに、と。  しかし……孤児院の環境が劣悪であっても、育てて貰った恩はある。それに、孤児を取り巻く環境が悪いのは、何も私の村だけじゃない。  苦しかったのは、私だけじゃ―― 「アウラ」  今まで黙っていたリィナ様から静かに名を呼ばれ、顔を上げた瞬間、私の体が温もりに包まれた。  視界の端に映るのは、艶やかな黒髪――息が苦しくなるほど強くリィナ様に抱きしめられていた。  優しくもどこか泣きそうな声が、耳の奥に吸い込まれていく。 「私と出会ってくれて、ありがとう」  と。  返す言葉が見つからない。  私に与えられた、初めての言葉だったから――  いつものリィナ様とは思えない、弱々しい声が耳元を揺らす。 「……あなたの境遇よりも恵まれてはいたけれど、私も似たようなものだった。男児を望まれていた中、産まれたのが女の私。更に病弱で子どもも産めそうにないからって、いない者として扱われていたわ。自分が何のために生きているのか分からなくて……ずっと他人の目を恐れていた」  リィナ様は抱きしめていた腕の力を緩めると、真っ直ぐ私と向き合った。  強くて毅然としていて、でも全てを包み込む優しさを持つクレスセル辺境伯夫人がそこにいた。  私の知っているリィナ様が。 「だけど生きる意味を見失っていた私に、あの人が言ってくれたの。『産まれてきてくれてありがとう。そして俺と出会ってくれてありがとう』って。私という存在をね、丸ごと受け入れてくれたの。たった一人、自分を認めてくれる人が現れたことで、私の人生は大きく変わったわ」  リィナ様の両手が私の頬を包み込む。  手の温もりが肌を伝って、私の心にまで染みこんでいく。 「あなたと初めて出会った時、昔の自分を見ているようだったわ。だから伝えたかったの。今ここに、あなたと出会えて良かったと思っている人間がいることを。あなたが存在するだけで嬉しく思う人間がいるってことを――」  リィナ様の満面の笑顔が目に映った。彼女の肩越しにいるバックス様も同意するように大きく頷き、マーヴィさんは静かに私を見つめていた。  私の体が引き寄せられ、リィナ様の胸にフワッと落ちる。  優しい言葉が、暗く凍てついた心に光と温もりを届ける―― 「産まれてきてくれて、ありがとう。アウラ」  喉の奥が震えた。  涙が一粒零れ落ちると、今まで堰き止めていた想いが止められなくなった。  私が泣いている間、リィナ様は幼子をあやすように優しく頭を撫でてくださった。  ◇  私の嗚咽が収まる頃、部屋にノックの音が響き渡った。  涙を拭う私を見てリィナ様が心配そうにされていたけれど、問題無いと首を横に振ると、バックス様が外の人物に中に入るように伝えた。  失礼しますという断りとともに現れたのは、クレスセル家の執事。何か問題があったのか、困惑した表情を浮かべている。  彼が口を開こうとしたとき、窓の外から大きな声が聞こえてきた。 「アウラ様――っ‼」 「大丈夫ですか、アウラ様っ‼」  マーヴィさんが慌てて窓から外を見ると、目を見開いた。 「領民たちが城の前に集まっている。もの凄い人数だ」 「何でも倒れられたアウラ様を皆が心配して駆けつけたのだと……」  執事が額の汗を拭きながら、状況を伝えてくれた。 (まさかこの騒ぎの原因が私だなんて……)    ベッドから出て私も窓の外を見ると、確かに、もの凄い数の人々が城門前に集まっているのが見えた。  驚いて言葉が出ない私の耳に、バックス様の寂しそうな声が聞こえた。 「アウラ殿は領民たちに愛されているようだな。わしが体調不良で倒れたときなんて、誰一人見舞いに来んのに……悲しい……」 「健康体の代名詞みたいなあなたが体調不良で倒れるなんて、この地に住む者誰一人思っていないからですよ」 「え? わしが倒れたとき皆、嘘だと思っていたってことか⁉」  バックス様は今知りましたと言わんばかりに、瞳を見開かれた。  体調不良を信じて貰えず肩を落とすバックス様にリィナ様は一瞥もくれず、執事に伝える。 「アウラの体調は大丈夫だと皆に伝え、帰しなさい」 「かしこまりました。後、山ほど運び込まれた肉はどういたしますか?」 「え、肉?」 「街の者たちが、アウラ様に早く元気になって欲しいからと、大量の肉を持ってきたようなのですが……」  それを聞いたリィナ様は額に手を当て、大きなため息をつくと、 「病み上がりの人間が肉なんて食べられるわけないでしょうに……全く、領主が領主なら、領民も領民ね……」  と呆れたように呟かれた。  だけどその表情は明るく、どこか嬉しそうだった。  バックス様やリィナ様だけでなく、街の人々も心配して駆けつけてくれた事実に、じわっと心が温かくなった。  この地の人々の優しさが、喉の奥が詰まるほど幸せだ。  そしてこの幸せを与えてくれたのは―― 「マーヴィさん」 「? どうした?」 「……本当にありがとうございます。この地に連れてきてくださって。マーヴィさんの言う通り、皆、本当に素敵な人たちばかりで……私、ここに来て本当に良かったです」 「いや、それは皆があんたの人間性を好いているからだ。つまりここまで皆に愛されたのは――」  彼の黒い瞳が、真っ直ぐ私を見つめる。  口角が上を向き、優しい笑みを形作る。 「あんた自身の力だ、アウラ」 「ありがとう……ございます」  私はお礼を言うと、領民たちの様子を見る振りをして、マーヴィさんから視線を逸らした。 (名前を……呼んで貰えた)  旅の途中でも、ほとんど呼んで貰えなかった私の名を、強く、真っ直ぐ呼ばれ、体調不良とは明らかに違う体温の上昇を感じていた。  この日を最後に、ダグとイリス皇女の悪夢は見なくなった。
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