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第26話 私は狡い
「じゃあね、アウラ様」
「はい、ありがとうございます、皆さん!」
私は女性たちとお喋りを楽しんだ後、これから用事があるからと立ち去る皆さんの後ろ姿に手を振った。
私も歩き出そうとしたとき、ハタッと気付く。
(あれ? マーヴィさん、まだ来ていない)
後から来ると言っていたマーヴィさんの姿がどこにもない。
まだオルグさんとお話しているのだろうかと思いお店の近くまで戻って来たけれど、彼の姿はなかった。
(もしかして……はぐれちゃった?)
焦りの気持ちで一杯になる。
マーヴィさんはとても大きいため、普通の街中ならすぐに見つけられたけれど、スティアの街の男性たちは皆、体格のいい人ばかり。
その中から探し出すのは大変かもしれない。
どうしたものかと思っていると、
「アウラ、こっちだ」
聞き慣れた声とともに手を引かれた。
連れて行かれるがまま人の流れから抜け出すと、少し静かな路地へと入った。
人がいないことを確認すると、ようやく彼の足が止まった。
私の手を引いてここに連れてきたのはもちろん、マーヴィさん。
「マーヴィさん、どうしたんですか? 探しましたよ」
「すまない。ちょっと……問題があって……」
そう話すマーヴィさんの眉間には、深すぎる皺が刻まれていた。
彼の表情と穏やかならぬ単語に、私は眉を潜める。
あのマーヴィさんが困る問題って何だろう。あれだけ深刻な顔をしているのだから、魔王汚染問題レベルのお困り度かもしれない。
自然とお腹と背筋に力が入った。
「そ、それで……問題とは? 一体なにがあったんですか?」
マーヴィさんの顔がさらに険しくなり、結んでいる唇に力がこもるのが分かった。
ことが深刻すぎて、話すことすらためらってしまうレベルなのだろうか。
湧き上がる不安と緊張を、唾液とともに飲み込んだとき、マーヴィさんが右手首を私に見せてきた。
彼の右手首で輝く銀色の輪――オルグさんのところで購入した男性用のブレスレットを。
「……すまない。着けてみたら……取れなくなった」
「へっ?」
全身から力が抜けた。
マーヴィさんの言う問題って……これのこと⁉
彼の腕に着いたブレスレットを見ると、食い込んではいないけれど、殆どゆとりがない。
マーヴィさんの太い右腕を私の目の前まで持ち上げてもらい、ブレスレットを引っ張ってみたけれど、骨の太い部分に引っかかって抜けなかった。
「これ、一体どうやって着けたんですか⁉ 全然取れないんですけど!」
「う、うん……まあ、勢いというか力任せというか……」
「このブレスレットのサイズだと、多分あなたの手の半分ぐらいしか通らなかったと思うんですけど……」
「何というか……そこまで入ったんなら、手首まで通るんじゃないかと思って……」
「そんなとこでチャレンジ精神、出さないでください! ほらっ、無理矢理入れたからブレスレットが擦れて、手の側面が赤くなってるじゃないですか! もうっ、どれだけ力をこめたんですか、これ!」
「す、すまない……」
私が話すたびに、あの大きなマーヴィさんの体が縮こまり、声が小さくなっていく。頭の上に、しゅんっと垂れた犬の耳の幻が見えた気がした。
ちょっと言い過ぎたかもしれないと思った時、ふと気付く。
(私、マーヴィさんを叱ってる?)
ダグにも、こんなこと言わなかった……ううん、言えなかったのに。
嫌われるのが怖くて、ダグに言われたことは全て受け入れていたし、反論することも殆どなかった。反論したら最後、言葉で徹底的にやり込められると分かっていたからだ。
ダグが好きだから全てを受け入れていたつもりだったけれど、今思えば、彼の機嫌を損ねることを酷く恐れていた気がする。
その関係は……果たして、健全なものだったのだろうか。
だけどマーヴィさんに対しては、思ったことを安心して伝えることができる。
そこに、ダグのときにあったような不安や恐れは、ない。
前を見ると、マーヴィさんのブレスレットが目に入った。
この世でたった二つだけの、ブレスレットが。
正直に言うと、石鹸を使えばブレスレットを外せる。
だから私がこう告げればいい。
『石鹸を使えば外せますよ。だから神殿に行きましょう』
って。
喉にぐっと力をこめる。
だけど、
「さすがにオルグ爺の作ったものを切るのは、申し訳ないからな……取り外す方法が分かるまで、このまま俺が着けていてもいいか? 俺と一緒だなんて、嫌かもしれないが……」
マーヴィさんに訊ねられ、私は言葉を乗せるために肺に溜めていた空気を止めた。
私は狡い。
とても、とても……狡い。
(こんなの……神官失格だわ)
でもきっと城に戻れば、石鹸で外せることを誰かが教えてくれるはず。
ならせめて、それまでは――
「嫌……じゃないですよ。だから取り外す方法が分かるまでは、このままでいきましょう。無理をしてブレスレットが曲がったり、マーヴィさんの手に傷がついてはいけませんから」
吐き出した息に乗せたのは、もっともらしい言い訳。
私の本心を隠した、狡い言葉。
胸の奥がチクリと痛む。
だけど、
「そう、だな。うん、確かにアウラの言う通りだ。無理は駄目だ、うん」
納得したように頷く彼の犬耳――もちろん幻想だけど――が、ピンッと元気を取り戻したように思えた。
不覚にも胸の奥がキュッと締め付けられる。
「でもその無理をしたのは誰でしたっけ?」
「わ、悪い……そうだな、元はと言えば俺が無理矢理着けたから……」
「ふふっ、冗談ですよ」
私の言葉にコロコロ表情を変えるマーヴィさんが凄く可愛いくて、同時に、
愛おしく思った。
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