こだわり

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チリン リンリンリン~♪ 鈴ベルが鳴り コーヒーショップの 手押し式のドアが開き 彼女が 私服で現れた 彼は 目当ての(ひと)を認めるが早いか タバコの吸いかけを落とし 靴底で踏み消した 舗道には吸い殻が いくつも散らばっていた 「やあ」 彼女は 声をかけられ一瞬驚くが 笑みを浮かべ 足早に彼のもとに寄って来た 「しばらくね 元気?」 「ああ 君は?」 彼は苦笑いした 「見ればわかるよな」 彼女は健康そのものだった 地味なコートだが 粋な着こなし──心持ち 太ったかもしれない──が かえって大人の魅力を (かも)し出していた 「仕事 終わったんだろ?」 彼はやや遠慮がちに尋ねた 「ええ」 「まっすぐ帰るのか? 他に予定でも?」 「ううん 別に」 彼女は首を横に振った 「だったら一杯飲みに行こう つきあってくれよ」 彼女は ちょっと意味ありげな誘いに 首を縦に振った 「いいわ 少しぐらいなら」 彼は 彼女が心変わりしないうちに 即 行動とばかり ガードレールを跨ごうとして 呼び止められた 「ちょっと待って タバコの吸い殻──ポイ捨て 商店街だし(やかま)しいのよ わたしの仕事 増やしたいわけ?」 「まさか」 ガードレールに沿い 数m先には 駐車禁止の規制標識と 空き缶やタバコの吸い殻類の ポイ捨て禁止区域を明示した 案内板が立っている 「ゴミはきちんと始末し 公共の場を大切にしましょう」 彼は 環境保全標語を唱えながら 吸い殻を拾い集めて車に乗り 備え付けの収納灰皿を 引っ張り出し詰め込んだ 彼女は助手席に座った ルームミラーに下がっている 古びた仔猫のアクセサリーが 目に飛び込んだ シフトレバーを掴んだ彼の 左手の薬指には指輪があった 彼女は 両手にはあっと息を吹きかけ (こす)り合わせた 車内はヒーターで 充分暖まっているのだが その仕草を続け 左手を右手の下に隠した いきなり車が発進して 背後で急ブレーキ クラクションとタイヤの スキーム音が鳴り響いた 彼は 強引に走行車線へ割り込み 滑らかにアクセルを踏み 後続車を あっという間に引き離した 無茶な性格は相変わらずだ すっかり(あた)りは暗くなった 建物の窓や街灯 車のヘッドライトの白い光 街路樹同士を繋ぐ金色の光 車のバックライトの赤い光 が浮遊して流れる 彼女が 居酒屋のネオン看板を指差した 店の出入口には青いツリーが 飾られ人目を惹いた 暖簾(のれん)をくぐり 人造大理石の三和土(たたき)にある 電話ボックスの前で彼に告げた 「母に子どもを看てくれる よう頼むから先に行ってて」 彼は 奥座敷の席を選び座布団に あぐらをかき彼女を待った 彼女は カウンターで従業員と 親しげに言葉を交わし 遅れてテーブルを挟み 彼の対面に正座した 「勝手にやるからって オーダーしちゃった おまかせコースのお鍋」 「ここ よく来るのか?」 「ときどきね 職場の忘・新年会とか 歓送迎会とか ごくたまに常連さんに つきあうこともあるけど」 あわててつけ加えた 「もちろん そのときはみんなでよ」 従業員が 注文した品を運んできた 彼女は グラスに氷を入れ焼酎を注ぎ 彼用にはウーロン茶を加え 自分は水とライムを(しぼ)った マドラーでかき混ぜ 手際よく完成させた 「へえ 鮮やかなもんだ」 「仕事の(くせ)が抜けないのよ」 笑って説明した 「うちの店 料理以外の 喫茶メニューは ウェートレスが作るから つい手が動いちゃって テーブルが汚れれば」 悲しい(さが)か── すぐさまお絞りを掴み テーブルのグラス跡を拭いた 清潔好きな彼女らしい 「じゃあ 乾杯しましょう」 「ああ お疲れさん」 ふたりは グラスをカチンと合わせた 簡易コンロに支度された鍋が ぐつぐつ煮えてきた 彼女が 小鉢に好物を()り分けた 彼は フウフウ息を吹きかけ 黙々と食べた 彼女は 料理にほとんど箸をつけず 彼の旺盛な食べっぷりを 満足げに見つめて微笑んだ 「なんだよ おまえも食えって なくなっちまうぞ」 「いいの わたしは ダイエット中なの はい おかわりは?」 空の小鉢を受け取り またたくさん盛ってあげた 「ほんと世話好きだな」 「そうよ いい世話女房」 ──でした か 彼は適当な二の句が継げず グラスを一気に飲み干した 「ところで あなたは お仕事どう?」 触れて欲しくない話題だった 「うーん まあまあ 慣れてないせいかキツイや」 言い(にく)そうに口を開いた 「──ケンカしてない?」 「今度は大丈夫──誓うって」 ともにほんの短い間があった ふたりの思いが集約していた 互いに痛いほどよくわかった ピーンと空気が張りつめた 彼は上着のポケットから タバコの箱を取り出すと 残りは数本だったので 箱をぎゅっと握りつぶした 「切れちまった ちょっと買ってくる」 言うと同時に席を離れ 入口の販売機まで走った 彼女は後ろ姿を見つめた どちらかと云えば優男なのに なぜあんなパワーがあるのか? 工場でのケンカ騒ぎが(よみがえ)った
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