謎の陰陽師と斎宮の白拍子

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 欠けた月が昇る夜。  満月まであと幾日でしょうか。  私は御簾(みす)をめくって夜空に浮かぶ月を眺めていました。  都といえど夜ともなれば闇が視界を覆うほどに暗くなります。しかし庭園に面した寝殿(しんでん)では昼から続いていた酒宴がいっそう騒がしいものになっていました。  闇夜の中でも屋敷は煌々とした明かりが灯り、その(にぎ)やかな声と明かりは私の休んでいる床の間まで漏れ聞こえていました。 「……都とはこれほど無粋(ぶすい)な場所でしたか。これが(みやび)とは笑わせる」  これでは輝く月も色褪(いろあ)せて見えてしまいます。  御簾を下ろしました。  もう眠ってしまうことにしましょう。  ()いあげていた長い黒髪を下ろして寝具を整えます。枕元に護身用の小太刀(こだち)を置いて、燭台(しょくだい)の明かりを消して寝床に入りました。  夜明けとともに屋敷を発ち、都を離れましょう。ここより遠くへ、うんと遠くへ逃げなければいけません。  明日に備えて早く眠ろうと目を閉じました。  しかしうつらうつらとし始めたころ、御簾の向こうに人の気配を感じました。  薄っすらと目を開けると、御簾には月明かりに照らされた男の影が見えました。 「鶯殿、起きておいでか?」  小声で声をかけられました。  眉をひそめてしまう。  寝殿で開かれている酒宴の騒がしい声を背景に、男の声は密やかに響いて、……不快です。  無視したいのに「鶯殿、鶯殿」としつこく声をかけられます。 「……なにかご用ですか?」  私は上体を起こし、御簾に映る影を睨みました。  でも睨まれていると気づかない男は密やかに続けます。 「今宵、鶯殿の花のような尊顔を拝し、春に鳴く鶯のような艶やかな声を独り占めしたい。この御簾をくぐることを許してもらえるかな?」 「お引き取りください」  ぴしゃりと返答しました。  男は夜這いにきたのです。悩むまでもなくお断りです。  この拒否を素直に聞き入れてくれればいいけれど警戒するにこしたことはないでしょう。  こういった夜這いは初めてのことではありません。生まれ育った山奥を出て一人旅を始めてから、私は(ちまた)での白拍子の立場を知りました。それは芸と体を売る(あそ)()というものだったのです。  本来、白拍子とはいにしえの時代まで(さかのぼ)ると巫女に原点がありました。神事で舞いの役目を担っていたのが白拍子だったのです。しかし幾多(あまた)の白拍子が布教(ふきょう)行脚(あんぎゃ)で舞いを披露していく中で、しだいに芸と体を売る遊び女へ転化していきました。  私が生まれ育った伊勢は、この日本のすべての巫女や白拍子を従える斎王の座する土地です。伊勢では斎王と巫女は天上の天帝に仕える尊い存在でした。そして白拍子も天帝に舞いを奉納する役目を担い、近隣の村々から尊敬を集めていました。  それがどうでしょう。伊勢を出てから知った白拍子の立場は遊び女で、私の白拍子の矜持(きょうじ)を汚すものだったのです。  そもそも神聖な巫女や白拍子は処女であらねばならないというのに、それを金銭に替えるなど(なげ)かわしい愚行(ぐこう)ではないですか。  私は厳しい口調で拒絶します。
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