世界で一番優しくて、世界で一番ひどい男

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「斎宮のみんなは変わりありませんか?」 「うん。斎宮のみんなも、手習(てなら)いに通ってる子たちもちゃんと元気にしてるよ」 「そうですか。安心しました」  伊勢での暮らしを思い出してほっと安堵しました。  私は斎宮で白拍子をする(かたわ)ら、孤児を集めて食事を与えたり手習(てなら)いを教えていました。最初は私が勝手に始めたことですが、それを知った萌黄も手伝ってくれるようになったのです。斎王の援助を得られたことで、孤児たちに住む場所や充分な食事を提供できるようになったのです。 「みんな一生懸命に手習いしてるよ。私もあの子たちと一緒にいる時間が大好きなの」 「良かったです。あなたのおかげであの子たちも安心して暮らせるようになりました」 「鶯、それは違うわ。鶯が最初に孤独だったあの子たちを見つけてくれて、最初に大事なものを与えてくれた。あの子たちにずっと()()っているのは鶯だよ」  萌黄が説得するように言ってくれました。  私は苦笑して萌黄の頭をなでなでしてあげます。  あなたはそう言ってくれるけれど、なんの力も持たない私が出来たことは自分に配給(はいきゅう)された(わず)かな米を使って水でひたひたの(かゆ)を作って配っただけ。それがいったいなんの(はら)()しになったでしょうか。 「萌黄、どうかあの子たちをお願いしますね。あの子たちに手習いを教えて、ちゃんと生きていけるように」 「うん、大丈夫。こういう時の斎王権限だもんね。鶯が守ろうとしてたものは、私もちゃんと守るよ」 「ふふふ。あの鈍臭(どんくさ)かったあなたが言うようになったじゃないですか」 「鶯だって不器用なくせに」 「私のどこか不器用なんです。針仕事(はりしごと)だって得意ですよ」 「そういうことじゃなくて……」  萌黄がなにか言いたげに私を見ます。  どうしました? と問うと、萌黄がううんと苦笑して首を横に振りました。 「それにしても、鶯に子どもが出来ててびっくりしたわ」 「紫紺のことを黙っていてごめんなさい」 「ううん、理由は聞いてるよ。ありがとう。斎宮を守ってくれて」 「斎宮の白拍子として当然のことです」  私がそう言うと、萌黄が少し困った顔になってしまいました。  そんな顔をしてほしくなくて、萌黄のおでこを指で撫でてあげます。  萌黄はくすぐったそうに肩を竦めて聞いてきます。 「鶯は天帝の妻になったの?」 「それは……」  答えられませんでした。  高貴な身分の殿方は正妃がいたとしても、気に入った女性がいれば妻に(めと)ることもあります。  私は紫紺を生んだことでその気になったけれど、……どうなのでしょうね。相手が天帝だと思うと自分が妻だなどと烏滸(おこ)がましいことは言えませんでした。 「……分かりません。でも黒緋様は優しい御方(おかた)です。私たちを助けてくれました」 「そっか、そうだね。うん、天帝は優しかったね」  そう言って萌黄が微笑みました。  その微笑に胸がツキンと痛くなる。今、萌黄は黒緋のことを思い出しているのでしょう。  萌黄は微笑みながら続けます。 「ずっとお(つか)えしてきた天帝があんなに優しくて良い方だとは思わなかったわ。今まで一生懸命お(つか)えしてきて良かった」  萌黄の口から『天帝』と言葉が紡がれるたびに心臓がきりきり締め付けられるようでした。  でも私は顔に笑みを貼りつけたままで、布団を萌黄の肩までかけてあげます。 「……そろそろ眠った方がいいです。寝坊してしまいますよ?」 「まだ眠くないわ」 「緊張して少し興奮しているだけですよ。目を閉じていれば眠れますから」  私はそう言うと燭台(しょくだい)の明かりを消しました。  明かりが消えると淡い月明かりが床の間に差し込みます。  月明かりに照らされた萌黄はまるで自身が輝いているかのように見えました。神気の輝きを放っているかのように見えて。 「鶯、おやすみなさい」 「おやすみなさい、萌黄」  萌黄を見つめながら、良かった……と内心で安堵(あんど)していました。  だって今、月が萌黄を照らしているなら、逆光になっている私の顔は見えないはずですから。  今の私はきっと……ひどい顔をしているはずですから。
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