さようなら、私の愛しい御方。どうかおげんきで。

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「鶯、聞いてくれたとおりだ」  話しかけられて私の肩がぴくりっと()ねました。  ゆっくりと顔を上げて黒緋を見ます。  そこには長年探し求めていた天妃を見つけ、とても嬉しそうに微笑む黒緋がいました。  その微笑みに心が引き千切られる。  大きな声で泣き(わめ)いてしまいたくなる。  でも震える指先を痛いほど握りしめて、なんでもない振りをして微笑みました。 「おめでとう、ございます」  声が少しだけ上擦(うわず)ってしまいました。  でも(にぎ)やかな紫紺の声がそれをかき消してくれます。 「おどろいたぞ! もえぎがてんひだったんだな!」 「う、うーん、天帝がそうおっしゃるなら……」  萌黄が答えて、黒緋が優しく微笑んで、紫紺がびっくり顔でした。  この出来事は私以外にとって幸せな報告なのです。 「それなら、ちちうえはもえぎとけっこん?」 「ああ。人間の婚礼に則って三日夜餅(みかよのもちい)をしようと思う」 「みかよのもちい? なんだそれは」 「俺が萌黄の部屋に三夜通い、三夜目に(もち)を食べる儀式だ。これで婚姻成立になる」 「ふーん、そうなのか」  紫紺は首を傾げながらも答えました。三歳には少し難しかったようですね。  でも当然です。それは三夜も夜這(よば)いをするということですから。  こうして黒緋は三日夜餅(みかよのもちい)を宣言すると、また私たちを見回します。 「話はこれだけだ。みな、よろしく頼む」  黒緋はそう言うと、「鶯、萌黄を頼んだ」といつもの穏やかな口調で言いました。  その言葉に胸が()(つぶ)されそうになる。  ぎりぎりと締め付けられていく。  でも拒否することはできません。  私は(わず)かに頷いて、逃げるように顔を()らしました。そしてまだ赤ん坊の青藍のお世話に没頭(ぼっとう)します。 「……ああ青藍、野菜をべーしてはダメじゃないですか。せっかくあなたでも食べられるように長く煮込んだのに」 「あうー。……べー」 「ほらほら、またべーして。ダメですよ?」  私は忙しく青藍のお世話をします。  忙しいので黒緋と萌黄が視界に入ることはありません。  そう、私は忙しいのです。青藍のお世話で忙しいのです。紫紺だってまだ三歳なんですからお世話が必要です。だから忙しくて傷ついている(ひま)もないのです。  私はお世話に没頭(ぼっとう)して無理やり黒緋と萌黄を頭の片隅(かたすみ)へ追いやりました。  そもそも私が勝手に黒緋に恋しただけなのです。  天帝とは知らずに勝手に恋をし、天帝だと知ったあとも忘れることはできず、それどころか青藍を誕生させてまで側にいようとしました。  だから、だからこうして傷ついているのも私の勝手で、誰も悪くない。誰も悪くないのです。  私は握りしめた()(ひら)(つめ)を立てる。(つめ)を立てた痛みで胸の痛みを誤魔化しました。  そうでもしていなければ、天妃なんか見つからなければ良かったのにと罰当(ばちあ)たりなことを思ってしまいそう。黒緋のことをなんて酷い男だと、なんて残酷な男だと、理不尽に(ののし)ってしまいそうだったのです。
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