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家を静かに出て駐車場へ向かって歩く。
空はまだ大部分で夜の闇を残していたが、東の方がうっすらと白々明けてきていた。寒いと震えるほどでもない冷たい朝の空気が気持ちよく澄み切っている。林の中で聞く朝を知らせる磯鵯の声が清々しい。
「ん?」
大きな石鳥居の前で幸紘は立ち止まった。随神門で人影が動くのを見た気がした。スマートフォンで確認するまでもなく、人がうろうろするような時間では到底ない。もちろん浩三もこの時間はまだ眠っているはずだった。
「誰? 媛? 八幡さん? 神様?」
幸紘は少し声量を抑えて尋ねる。瀬織津媛のはずはなかった。彼女が出て行くということは人死にが出ることだ。だから大祭の時以外は本殿に封じているのである。なので考えられるのは八幡神か神様だが、神様はともかく八幡神がこんな早くにうろうろする理由がなかった。ただ御社殿はもう静寂の中にあって返事はない。
「気のせいか」
幸紘は軽く首をかしげて石畳を越え駐車場へ向かう。車庫のシャッターは閉じられていた。
どうやら運転が確定したな、と幸紘は小さく肩を竦める。先ほどの人影は神様だったのだろう。今日は何か用があるのかもしれないと幸紘は思った。
幸紘はギプスで不自由な手でギアを握るイメージトレーニングをし、四苦八苦しながら右手と肩を使ってシャッターを押し開ける。中に入ると運転席側のドアの鍵穴に鍵を差し込んだ。そうして車内を覗いて幸紘は思わず笑みが零れた。
「またこんなところで眠って」
ジーンズとトレーナー姿の神様が運転席の座席を限界まで倒して、ブランケットに包まれて眠っていた。だとするとさっきの気配は誰だったのかが気にはなったが、それよりも神様の存在に幸紘はほっとして軽くドアを叩く。
神様は全く目覚める気配がない。ショートスリーパーだと自認するいつもの彼なら、すぐにパチッと目を開けるのに、今日は身動き一つしなかった。
「神様?」
ぞっとして幸紘は慌ててドアを開けると神様の肩を揺すった。そこまでしてようやく神様は薄ら目を開ける。眠たげな目をこすり、ゆったりと身を起こした。
「は……よ」
「おはようございます。どうしたんですか?」
「何が?」
「何が……って。大丈夫、ですか? なんか、体調悪そうですが」
「大丈夫。ちょっと寝るのが遅くなっちまっただけ。もう出社時間?」
「少し早いですけど。ご飯は?」
「んー……あんまり、食欲……ないんだよな」
普段の神様にあるまじき言葉に幸紘は頭が真っ白になった。
まだ暖かくなるには季節的に早い。寒い季節に食を切らせば本体が浮いてしまうと言ったのは彼なのだ。由々しき事態である。幸紘の心中と体が不安でぐらぐらと揺れていた。
「俺、朝ご飯まだなんですよ。コンビニ、いきましょう。神様は?」
「う~ん……飯はまだ、だけど……」
「じゃあ食べましょう。俺と一緒に。ね?」
「あ、うん」
幸紘は慌てて助手席に乗り込む。神様はくあっとあくびをしてから緩慢にエンジンをかけた。
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