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「そういうときは、大丈夫? って聞かないの。何が欲しいとか? 何したい? とか、何ができる? って聞かないと」
「あ……」
幸紘はぽかんとしてしまう。
昔から欲求が薄かったからそういう発想ができなかったし、周りも幸紘の反応が薄いのでそういう聞き方をいつの間にかしてくれなくなっていた。
「……思いつきもしませんでした」
「あたしも子育てしていく中で初めて知ったことばっかりよぉ。でもうちなんて離婚してるじゃない。親が揉めてる家庭でさ、子供は我慢ばっかりするわけじゃない。大丈夫? なんて聞いても素直に大丈夫じゃないなんて言えなくなるのよ。大人もそうよね。重ねた年月分、いろんなことを背負いすぎて、安易に弱み見せられなくなっちゃって、つい大丈夫なんて言っちゃう。そういうものじゃない?」
だとすれば、人々を昔から見続けてきたであろう神様は、その肩に幸紘が背負うよりもずっとたくさんのものを背負っているはずだった。その上で淵上の土地は年々『力』を失おうとしている。弱くなっている自覚があるほど、なおさら幸紘の問いかけに、大丈夫じゃないなんて言えるはずはなかったのだ。幸紘は気遣いの足りなさに唇を噛んだ。
「俺、何ができるんでしょう?」
「それは相手に聞いてごらんよ。何ができるかわからないから、教えてほしいって、聞けばいいの」
「でも教えてくれないんすよ。俺に助けてもらわなくても大丈夫って、いつも」
「それもわかるけどねえ。遠野君だって、ついこの間までは誰にも仕事任せなかったじゃない。余裕がない時ほど任せることってできないんじゃない? だからほら、そこは遠野君が今度は私みたいにお節介してみたら? 本人が教えてくれなくても意外とこっちがその周りでうろうろしてる間にできることもわかってくるかもしれないし、そういう姿を見て、向こうも助けを求めてくれるのかもしれないし」
畑中はコーヒーを飲んで穏やかに笑ってみせる。そうして、
「大丈夫よ」
たったその一言で、幸紘の不安に高ぶった精神がすうっと凪いでいった。
大丈夫だと、今ならまだなにもかもに間に合うと、畑中が言葉に込めた優しさを感じて、幸紘は心の澱が軽やかに昇華していくのを感じた。泣かずに前に進むための熱が、ぽっと幸紘の心の中に内に生まれた。
「あ……りがとう、ございます」
人から与えられる強さを受け取る嬉しさと恥ずかしさに、慣れていない幸紘はどういう顔を畑中に向けていいかわからずに、少し俯き気味になってずずっとコーヒーを啜った。
「まあ、どっちにしろ、あんたがまずそのギプスなんとかしないと。介護してもらってる身で、看病なんてできないんじゃない。友人って、例の坊さんなんでしょうし」
「なんでわかるんすか?」
幸紘は顔を上げて長い前髪の中で目を瞬かせる。畑中ははははと笑ってからコーヒーを口にした。
「こう言っちゃなんだけど、遠野君の知り合いって、家族じゃなけりゃあの人くらいしかこれまで話を聞いたことないもの」
「そんなに俺、その人のこと言ってました?」
「聞いたのはあの坊さんがあんたの身の回りの世話してるって話だけだけど、風呂の世話までさせてる人がただの知り合いであるわけないじゃない? あたしなら女友達にだってそこまでは頼まないわ」
「あ、はい」
神様がそれくらい普通だと言ったのを鵜呑みにしていたのを幸紘は恥じる。人間関係が希薄で、家族くらいしか人付き合いが無いので、どの程度の距離感が他人とは普通なのかを幸紘は正直知らない。神様が何の気負いも無く、何の掛け値もなく、これくらいは当然だと言うから、素直に受け入れてしまっていた。
神様はいつも自然体で惜しみなく人を慈しむ。その礼を次は自分が返す番だ、と幸紘は手にしたコーヒーをぐいっと飲みきってすっくと立ち上がった。
「これ、ありがとうございました。なんか、見えてきた」
「どしたの? 休憩時間、まだあるけど」
「もう戻ります。巻きで仕事を片付けないと。それと明日は朝から病院へ行くので、有給を総務に申請します。ギプス、外すために」
「できるの?」
「先月の段階でもう外してもいいくらいだとは言われてたんで頼んでみます」
幸紘は食堂を出る。
しっかりとした足取りで仕事へ戻るその目元では、涙の跡はもうすっかり乾いていた。
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