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2 フリースロー
午後の自由時間、病室の叶愛は愛読する恋愛小説を机に置いた。半年ほど前、三十分で読める短編を桜井さんが渡したという。記憶が残らない叶愛に、本は一冊で十分だ。
「バスケしたいんだけど、いいかな」
職員用体育館での車いすバスケは、叶愛の日課だ。中学高校とバスケ部で、県の有望選手だったらしい。
「ボールの匂いも手触りも久しぶり。病院に体育館があってよかった」
本当は昨日も一昨日も練習している。「久しぶり」というのは高校以来のバスケと信じているからだ。
「フリースロー、挑戦していい?」
「どうぞ」
叶愛の練習はフリースローから始まる。
ボールを二、三回つき、リングを見つめる。腕の角度も背筋も完璧な体勢。
狙いを定め、腕が優雅に伸び、放たれたボールがふわりと浮く。
リングにまっすぐに向かい――
いつもと同じように、はるか手前のコートではずんだ。
「あれ? 筋力落ちたかなあ」
「フリースローはひざや足腰の筋力を無意識に使うんだ。車いすだと上体の力しかないから、名選手も初回はまず届かないよ」
「へー、先生詳しいね」
本当は叶愛が過去に自分で気づき、僕に話した知識である。
二度目のスロー。今度は上半身を大きく使い、腕を強く押し出す。ボールは大きな弧を描き、リングに触れずネットを揺らした。
「よし、あと十本いきます!」
結局、シュートは八回決めた。
「私、才能あるんじゃない?」
「昨日は九本決めたよ」
「マジ?」
「この半年の成功率は八二・六%」
「は、半年も???」
「記憶はなくても体が覚えて上達しているんだよ」
「そっかあ。じゃあ私パラ選手になれるかなっ」
いつもの希望に、同じ回答。
「ごめん。車いすバスケは体をぶつけあう激しいスポーツだ。君の頭に衝撃を与えるプレーは許可できない」
少しがっかりした表情を見せるが、すぐに気を取り直す。
「でもバスケが楽しめるとわかって、生きる元気が湧きました。先生、バスケのことは明日の私に秘密にして。ノートにも書かないから」
「その約束も半年守っているよ」
「それも私が言い出したこと? まいったなあ」
記憶が積み重ならない一日一日を、そうして過ごす。
そんな叶愛に毎日会えることに、僕は満足していた。
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