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ついに恐れた日がやって来た。
お見合いの顔合わせにどこかの子爵の息子が家まで来るという。
「初めまして――」
丁寧に挨拶する男性は少し年上のように見えたが、外見は合格。向こうからしたらこちらが不合格かもしれないが、とパンゼロッタは心の中で苦笑する。
顔合わせは無難に乗り越えてお見送りをするため外に出るが、気がついたことがある。彼はかなりできた青年だった。経営学や経済学にも詳しく、その他の知識も豊富で話も上手い。これを逃してはだぶんもう……パンゼロッタの潤った瞳がキラリと光った。
*
「パンゼロッタ、お客様よ」
母はいつも以上にニコニコしていたが、一日に連続で来客など珍しいこともあったもんだと驚いて、部屋の外を見る。
するとどうだろう。あろうことか第二王子ロアール殿下が立っていた。
「えっ!嘘でしょう」
「久しぶりだものねぇ、家に来るのは」
天然な母親がへんてこなことを言い出すので、反論の声を上げるタイミングを失った。
久しぶりもへったくれもあるものか。第二王子が家に来るのは今日が初めてだ。そう何度もあってはたまったものではない。今まで来たことがあったのなら、それはそれで恐ろしすぎる。
「すぐにお茶をお持ちしますね」
母親はドアを開けたまま部屋を出て行く。ドアの外には殿下の従者がいたが、特に部屋の中を注視するような様子はない。
「きょ、今日は一体何の御用でしょうか」
「お見合いだったんだろう?」
「よくご存知で」
「ミーノは素晴らしい友人だな」
あんの裏切り者めぇ、お見合い話だけでなく家の場所まで教えるなんて!と心の中で叫ぶが、後の祭りである。
「……私がお見合いだと、何かあるのでしょうか」
「大いにある」
「はあ、何でしょう」
「お見合いを邪魔しに来たのにもう終わってるなんて、どんな相手だったか見ることもできなかった」
殿下は子どものように頬を膨らませていた。
「知りたいのですか?」
軽い気持ちで殿下に尋ねる。
「知りたい」
「ショックを受けることになっても?」
「知らない方が嫌だからな」
「そうですか。わかりました。では発表します」
「ふむ」
「実は……これを逃したらヤバいってくらい素敵な人でした」
ロアールは衝撃のあまり、パンゼロッタを睨んだまま固まった。無論、パンゼロッタはなぜ睨まれているのかわからない。
怖すぎる。殿下が見た目のわりに怖い人でないことを知っていたとしても。
「それは……上手くいきそうだということだな?」
王子の睨む目にはなぜかうっすらと涙が浮かんでいた。
「あー、いえっ、もう振られました」
気まずそうに笑うパンゼロッタ。
「……ん?」
「破断です。私が経営学が好きで商売が好きで、それは喜んでいただいたのですが、社交を好まないと言ったら破断になりました。夜のパーティーとかにじゃんじゃん出て顔を売って、商売につなげてほしいらしいんです。なるほど、と思いましたね」
パンゼロッタは感心しながらうなづく。
「顔は広い方が商売につながりますよね?反省しました。学があればいいというものでもないですね」
パンゼロッタにしては珍しく、ずいぶん落ち込んでいるようだった。幼いころのいじめを乗り越えて以降はいつも前向きな彼女だった。
「交渉も苦手ではないんですけど、夜会のことを言われてしまうと反論できず。ダンスも苦手ですし、確かに顔を売るチャンスの逃していましたよね」
話せば話すほどに自分の無能さに嫌気がさす。勉強すればいいというものではなかったのだ。実用できなければ意味がない。パンゼロッタは大きなため息をついた。
「……サーラス、少しの間扉を閉めてくれないか」
ドアの外で待つ従者に声をかけるロアール殿下。サーラスは会釈をしてから、迷うことなく扉を閉めた。
「え、え、何ですか?密室?(怖い)」
「そなたが落ち込んでいるようだから、少しおもしろいものを見せてやろうと思ってな」
ロアール殿下が右手の人差し指をひょいっと指揮棒のように振るった。するとどうだろう。
急にピアノの伴奏が聞こえ始める。さらに、どこからともなくヴァイオリン、フルート、トランペットのような音色まで聞こえ、ついには打楽器やハープの音まで重なった。
「え、これって……」
パンゼロッタは幼いころの記憶を蘇らせた。
成り上がり男爵の娘、成金の娘だと言われて毎日のようにいじめられていたあのころ。唯一の安らぎは、家に帰ってあの女の子と話すこと。さらにその女の子が奏でてくれる名曲たちだった。
そういえば、あの女の子はどうやって奏でてくれたのだっけ?名前は何と言ったのだっけ?
「ろ、ロアちゃん?」
「……ああ、ようやく思い出したか」
「え、でも、あれは女の子で……殿下にロアという妹殿下がいらっしゃるのですか?」
ロアール殿下は思い切り眉をひそめる。
「あれはオレだ」
「は?殿下??殿下は……女の子だったのですか?」
吹き出すロアール。
「今も昔も男だ」
パンゼロッタはぽかんと口を開ける。
「殿下?あれが?あのかわいらしい女の子が?」
「そう、オレ。男だけどな」
ロアールは鋭い目を弓なりにして、くしゃっと笑ってみせた。
「え、でもそれじゃあ、なぜ我が家によくいらっしゃっていたのですか?」
「オレもグレてたんだ」
「は?」
「兄貴の魔力は災害予知だろう?それに比べてオレの能力はこんなちっぽけなものだ」
そう言って指を振った瞬間、トランペットの音が高鳴る。
「だが、これをパンゼはすごく喜んでくれた。素晴らしい力だと。私に勇気をくれる、がんばれると。だからそのおかげでオレも自分の力を好きになれた。誰かを勇気づけられる力なら捨てたもんじゃないなと。国民に公表はしないが、こうやって国中に音楽を流してみなを癒やしてやりたい」
微笑む殿下は、普段放つ冷たい空気とはかけ離れた温かさがあった。
「全てパンゼのおかげなんだ。だから学園で再会するのを心待ちにしていた。お前はオレのことなど忘れていたけどな」
「そんなことありません。ロアちゃんのことは一度たりとも忘れたことはありませんでした。ただ、あまりにあのころと違っていたので……」
パンゼロッタは急に恥ずかしくなり、頬を赤らめる。
「ではもう一度考え直してはくれないか。オレは顔も悪くないし、王子教育で、経営学、政治、軍事など知識はそれなりにある。剣の腕も立つし、こうやってそなたを癒やすこともできる。パンゼが経営に興味があるのはおおいにけっこう、好きに商売してくれ。社交も無理せず徐々に始められるぞ?顔が広くなる。ダンスだってオレと練習すれば上手くなる。あ、だが他の男とは踊るなよ?腹が立つからな。どうだ、優良物件だろう?お見合いしてみないか」
にっと笑うロアール殿下は、すでに勝ち誇った顔をパンゼに向けている。それはそうだろう。こんな優良物件が今後現れるはずもない。
パンゼロッタはムッとしかめ面のまま、頭の中で素早く計算をした。そして笑顔で答える。
「では、お見合いからで!」
(了)
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