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「おらおらおら、どこ走ってるんだよ。チョロチョロすんな。あん?ゲジゲジか?(滋賀県ナンバーか※さんずいと糸糸みたいな文字から)。やっぱり、道に迷ってウロウロ。邪魔なんだよ、端っこ走れ、端っこを」と声を出すことなく表情にも出さず、平静を装う。感情を顔や行動に出さない。幕末の舞台となった京都。右を見ても左を見ても過度な思考に邁進する人切り包丁を持つ者ばかり。身を守るため、余所者に道を聞かれれば、右は左、左は右。御所に向かって上ル、反して下ル。嫌な客に「ブブ漬け如何どす」。その意味は水に流されるようにサッサと去れ。それでも去らなければ箒を立てる。それでも気づかなければ放置。これは馬鹿に関わらないの意味。
滋賀県は近畿地方でも気に留められていない。着倒れの京都、食い倒れの大阪。三都と呼ばれるのは、京都・大阪・神戸だ。神戸は関東でいえば横浜。兵庫県も神戸がなければ滋賀県になったかも。
近江の北半分が「長浜県」。南半分が「大津県」。それが滋賀郡にあったところから併合して滋賀県となった。滋賀とは岩の多い所とも言われている。
滋賀県と言えばゆるキャラの彦ニャン。彦根ってどこ、何県レベルか。昔は近江商人。罰ゲームで有名だった強烈な匂いを放つが癖になる「くさや」。鉄砲製造もアピールポイントにならず。餌を選ばず食いつく「ぼてじゃこ」のような節操のなさ。
滋賀県民は京都への不満とともに育つ。京都には海外の方も憧れて訪れる。その隣にあるのに誰も気づかない。奈良は鹿が頑張っている。横断歩道を渡る。お辞儀をする。滅多に人間を襲わず共存している。奈良の大仏や四天王寺・法隆寺を上回る人気を得ている。鹿と言えば、襲われることもある。その被害者は圧倒的に中国人が多い。餌を与えずお辞儀を迫る。それにイラついて襲う。鹿にも嫌われる中国人は、自尊心の言葉を知ってもらいたいものだ。中国・韓国は世界に好かれる日本に焼きもちを焼く。その構図に似ている。
滋賀県民もあまりにも良くない印象が付きまとう名前に嫌気がさしている。県知事が滋賀県を「近江県」にと訴える程だ。
有名なのは京都に弄られた滋賀県民は、ことあるごとに
滋賀「琵琶湖の水を止めるぞ!」
京都「それで生きていける?お金を渡せなくなるけど。稼げる。それに滋賀県
に水を止める権利がないんですけど。権利は国と京都にあるから、知っ
ていた」
滋賀「…」
京都「仮に水を止めたら滋賀県も沈むよ・湧き出る水を下手に留める止めると
ひやがるかもしれないね。自然の恵みに自分の物のように扱うより、自
分で生きられる何かを身につけた方がいいと思うけど」
何時から京都と滋賀の仲が冗談範疇で悪くなったのか。それは多分、本能寺の変の後だろう。滋賀県出身とも言われる明智光秀が京都にいる織田信長を焼き討ちした。実際は信長が火を放ったが京都人は明智が襲ったから火が放たれたと考えた。それを決定づけたのは豊臣秀吉だったろう。余所者が入り込んできて威張り散らす、それが京都人には許せなかった。秀吉の没後、秀吉が変革した京都を秀吉の痕跡を消し去り元に戻した。京都人が大阪人をがめついと思うのはそのせいだろう。
京都人は余所者を嫌うのは、脈々と受け継がれてきた伝統をその尊さを知らない者に汚されたくないとの思いからで、他を見下げているのではない。その態度が他から見ればお高く留まっているように見える。
滋賀県も中酷も缶酷も名前を隠したり、変えたがる傾向にある。中酷産・MADE in CHAINAと謳えば売れない。自分たちでホームページに名乗っているSINAの呼び方を嫌っている。缶酷では財閥の寒損は社名を隠して銀河系として売っている。米国ではホンダのHに似させた現代自動車。CMでは富士山と 芸妓を用いて米国人に日本製と思わせている。自信があればなりすましはしない。口では我が国は優秀だと吠えてもその実情は、アピールするものがないことを自覚しているいい表れだ。
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