たちつテテ

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ボクには今でも大切にしている相棒が居る。 田舎のスーパーの一角にある小さなゲームセンター。 そこにある、UFOキャッチャーの景品には居た。 彼は有名なキャラクターではないし、皆が皆、可愛いと思うような見た目でもない。 両親が買い物に行っている間、ボクは筐体の中に鎮座する彼に夢中だった。 今のボクの小さな掌には収まらないサイズ感。 熊のような、猫のような、謎の生き物。 だけど、ボクにとっては天使のように見えたし、彼のその目は輝いて見えた。 こんなに近くにいるのに、抱き締める事が出来ないもどかしさにボクは居ても立っても居られなくなった。 すぐさま駆け出し、買い物中の両親を見つけ出すと、何も言わずに先程の筐体の前まで二人を引き摺って来た。 「えっ? あの子が欲しいの?」 「もっと可愛いぬいぐるみ、他にもあるぞ?」 ボクは大きく首を横に振る。 「あのコがイイ!」 普段から悪戯もせず、ちゃんと親の言う事を聞いてここまでやって来たので、少しばかりのボクの我儘にも両親は嫌な顔を見せず、向き合ってくれた。 「分かったわ。それじゃあ、300円だけね」 母親は小さく頑張ってねと呟いて、ボクに三枚の硬貨を渡してくれた。 ボクはじっと硬貨を見つめ、今まで見せた事のない鬼気迫る表情を浮かべる。 (絶対にゲットするんだ) だが、現実はそう甘いものではなかった。 意気揚々と100円玉を機械に投入し、アームを動かすボタンを押すが、今のボクに上手く距離感を掴む技術はなかった。 アームは彼に触れることなく、虚しく空を切るばかりだった。 あっと言う間に母親から貰った硬貨はボクの小さな手から消え去った。 もう一度筐体の中にいる彼と目が合う。 彼は何故か泣いているように見えた。 ボクはハッとする。 もう彼と二度と会う事が出来ないと言う絶望感がふつふつと心の奥から湧いて来て、自然と大粒の涙が零れていた。 泣き叫ぶ訳じゃない。 声にならない声でただ涙を流す。 嗚呼、なんて世界は残酷なんだ。 天使のような彼を抱き締める事が出来ない世界なんて、大っ嫌いだ。 ボクは初めて世界の不条理を知った。 それからどうやって家まで帰ったか、全く覚えていない。 意識が戻る頃には、ボクはいつものベッドで寝ていたらしい。 真夜中の真っ暗な部屋で、じっと天井を見つめる。 (テテ…) ボクは彼の名前をすでに決めていた。 いや、一目見た時に、彼の名前は決まっていたと言っても過言ではない。 今すぐ会いたくて仕方がない。 すると、ボクの枕元の隣で誰かの視線を感じたのだ。 (お、お化け!?) そう思っただけで、息が止まるくらい怖い。 薄暗い部屋の中、ゆっくりと視線を横に向けてみると、そこには何処かで見覚えのあるモノが横たわっていた。 「テテ!」 まるで宝石のような優しい目がじっとこちらを見ている。 ボクは思わず飛び起きた。 そしてすぐさま、子供とは思えない力で、僕はテテを力強く抱き締めた。 嬉しいはずなのに自然と涙が出てしまう。 ああ、なんてキミはフワフワで柔らかいのだろう。 彼に顔を埋め、匂いを嗅ぐだけで、どうしてこんなにも優しい気持ちになれるのだろう。 「ボクに会いに来てくれてありがとう! テテ、大好き!」 こうしてボクに、テテ、と言う最強の相棒が加わったのだ。 後から聞いた話であるが、ボクが悲しみのあまり気絶してしまった後、父親が悪戦苦闘しながら、テテをあの筐体から救出したらしい。 この点において、父親は永遠のヒーローである。 それからボクは、家に帰れば、一目散にテテの元へ行き、一緒の時間を過ごした。 寝る時も一緒。家族で旅行に行くときも一緒。 特に、ボクの両親はドライブが好きだったので、何処に行くにも車で出かける事が多かった。 車窓から流れゆく春夏秋冬の景色をテテと一緒に眺める時が一番楽しかった。 テテの容姿は変わらないが、ボクはだんだんと成長していく。 小学生になり、今までなかった集団生活が始まった。 色んな子が居て、皆、性格もバラバラ。 友達も出来たが、ボクはちょっとだけ、その雰囲気に馴染めなかった。 だけど、学校生活は毎日学ぶこともあるし、新しいことが出来るようになっていくので、とても楽しかった。 そんな最中、いつからかわからないが、僕の容姿について揶揄される事が増えて来た。 髪を染めている訳ではないのに、周りより茶色に見えたし、見た目も華奢だったせいか、女の子と間違われる事もあった。 その事に対し、必要に迫って来るヒトがボクの近くに取り巻く様になった。 子ども時代特有のからかい。 それは意図せぬまま、言葉のナイフとなって相手に突き刺さる。 どんよりと落ち込んだまま、ボクは静かに自分の部屋のベッドに倒れ込み、大好きなテテを抱き締める。 「今日ね、ちょっとだけ嫌な事があったんだ。聞いてくれる?」 (うん。どうしたの?) 周りには聴こえない、テテの優しい声。 少し草臥れたフワフワの彼に顔を埋めれば、自然とボクの心は晴れやかになった。 そう。テテが居てくれれば、ボクは決してくじける事はないんだ。 「ありがとう。ボク、頑張るからね」 (うん。頑張ってね) テテがくれた愛と勇気を携えて、一日一日を過ごして行くのだ。 テテの容姿は少し薄汚れて来ているが、ボクは着実に大人へと近づいていく。 中学生になると、ボクの心は大きく変わった。 所謂、反抗期と言うものである。 両親の事は嫌いではないのに、何か言われるだけで、ボクの心は荒ぶり、強い言葉が飛び出してしまう。 誰かを好きになったりもしたし、性の目覚めもあった。 今まで経験した事のない、あまりにも多い変化点。 加えて身体的にも変化があったことで、心と身体のバランスは大きく乱れた。 ボクにはキャパオーバーだった。 何に対しても攻撃的で、気持ちが抑えられない。 本当はそんな台詞、言いたくないのに、勝手に溢れ出てしまう。 まるで本音と建前が反対になっているかのようだ。 そんな中でも、部屋に戻れば、ボクの事を待っていてくれているテテが居た。 だけど、彼の透き通る目を見つめても心は晴れないし、彼の声も聴こえない。 寧ろ、テテと言う存在自体に疑問すら抱く様になっていた。 あんなに大好きだったのに。 何故? そしてボクはテテに対し、やってはいけない事をしてしまう。 (思い返す度に、僕は後悔し胸が締め付けられる気持ちになる) その日のボクは終始イライラしていた。 テテと目が合った時、何かのスイッチが押された感覚に陥った。 次の瞬間、あろうことか、テテを掴んでそのまま部屋の壁に投げつけていた。 何故そんな事をしたのか分からない。 だが、その手にテテを投げた時の感触がこびりついていた。 床に倒れ込む彼は潤んだ目をしていたように見えた。 しかし、ボクは相棒から視線を逸らしてしまった。 この瞬間、ボクとテテの間に大きな溝が生まれてしまったのだ。 その日を境に、テテはボクの部屋の暗いクローゼットの中へ追いやられた。 何の光も差さない、冷たい筐体(はこ)の中に。 そんな彼とは対照的に、ボクは一気に煌びやかな大人の階段を上って行く。 高校へ進学すると新しい友達が出来たり、甘酸っぱい恋愛を経験したり、部活に勤しんだりと反抗期の鬱屈とした性格は何処かへ吹き飛んでいた。 年齢に反比例するかのような幼顔はずっとコンプレックスであったが、友人のおかげで、ボクの個性として認識出来るようになった。 青春と呼べるキラキラした時間は、全ての出来事が新鮮で楽しく感じられた。 嫌な事があったとしても、自分自身の力で解決出来るようになっていた。 そして、いつの間にかボクは「大人」になっていた。 大学へと進学し、順調に単位を取得し、いよいよ就職活動が本格化した最中、それは突然起こった。 は気が付くととある病院のベッドの上で寝ていた。 ある一定期間の記憶が全くない。 それに、身体のあちこちが痛い。 一体何が起きたのか。 あとで分かった事であるが、たまたま居合わせた近所のコンビニに、アクセルとブレーキを踏み間違えた高齢者が運転する車が突っ込むと言う事故があったらしい。 その奇跡のようなシチュエーションにどうやら僕は巻き込まれたらしい。 嗚呼、何てツイていないのだろうか。 自分の運のなさに自らを呪い、大きくため息をつく。 でも、生きてて良かったとも思えた。 すると、枕元の近くで誰かの視線を感じたのだ。 その時、全身が身震いし、幼い時に体感した感覚が蘇ったように思えた。 軋む身体を動かして、横を向いてみると、そこにはすっかり薄汚れてしまったが宝石のような優しく純粋な目をしたが居るではないか。 僕の心は激しく震える。 脳裏に、彼と過ごした風景が鮮明に蘇ってくる。 「テ…テ…?」 何年ぶりに彼の名を口にしただろう。 テテは僕の事を心配そうに見つめていた。 僕が彼にしたことを忘れた訳じゃない。 寧ろ、僕自身がテテを遠ざけたのに。 それでもテテは、全てを赦すような温かい目でじっと僕を見ていた。 僕は静かにその手を伸ばし、彼に触れた。 久し振りに感じるあの頃の感触。 (あれ、こんなにテテって小さかったっけ) 僕はそのまま彼を抱き締める。 少し草臥れたテテの感触。 やや埃っぽい柔らかな匂いをかぐと、全身に温かい力が流れ込んだ。 そして僕は、何故か涙を流していた。 懐かしさと、しばらく感じていなかった優しい雰囲気に心がざわついたせいだろうか。 「ごめんな、テテ。それと、本当にありがとう」 もしかしたら、テテが居なければ僕は死んでいたかも知れない。 今はそんな風にも思えるくらい、テテの放つ愛の波動に僕は包まれていた。 退院してから分かった事であるが、例の事故のせいで、僕は丸3日、目を覚まさなかったらしい。最悪の事も考えた母親は、とあらぬ事を考えた結果、テテをあの暗く冷たい場所から連れ出し、僕の枕元にそっと置いたそうだ。すると、その日の夜に僕は目覚めたらしい。 これはもう、運命とか奇跡とかではなく、テテのおかげとしか言いようがない。 それから怪我も治り、僕はいつもの日常を取り戻す事が出来た。 (怪我の治りは驚異的であると医師に太鼓判を押された。もしかして、テテのおかげなのかも知れない) 加えて就職先も無事決まり、晴れて社会人になった。 それと同時に僕は親元を離れ、一人暮らしを始めた。 新天地での新しい生活に胸を躍らせて。 だけど、社会人一年目は仕事で何度もミスをしたし、慣れない生活にくじけそうになった。 負けそうになる心を鼓舞するため、僕は静かに狭い寝室のベッドへ向かう。 「テテ。今日もやらかしたよー。もう駄目かもー」 (全く、しょうがないね) ベッドの傍で鎮座するテテの草臥れた身体に触れながら、ずっと変わらぬ透き通った目を見つめながら、二人で反省会をするのが日課になりつつある。 傍から見れば奇異の目で見られるかもしれない。 いい歳して、と後ろ指を指されるかもしれない。 でも、そんな事はどうでも良いのだ。 僕はただ、今のテテが大好きと言うだけのこと。 誰にも文句を言われる筋合いはない。 キミはいつだって僕の大切な相棒なのだから。 「それじゃあ、テテ。今日も行って来るよ!」 僕は彼に元気に挨拶をしてから玄関を飛び出して行く。 そんな僕をテテは穢れのない純粋な目で静かに見つめていた。
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