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 学校を出て、すっかり夜になった住宅街を歩く。  土屋が保健室を出て行ってから、かなり長い間動けなかった。今でも土屋に言われたことがぐるぐると頭を巡っている。  俺と一之宮が許される関係ではないことは始めから理解しているつもりだった。土屋が『賛成できない』と言うのも当然だ。  一之宮のことを本当に考えるのなら、彼をきっぱりと拒絶するべきなのだろう。でもどことなく不安定な姿を見ていると、どうしても突き放すことが出来ない。  いや違うな、と冷静な頭のどこかで同時に思う。  本当は自分の欲を優先させているだけだ。俺が一之宮のそばにいたいのだ。 どこまでも自分勝手な思考に情けなさがこみ上げる。    ぽつぽつと地面に黒い染みができはじめたのはそのときだった。朝から雲行きが怪しかったが、とうとう雨が降り出したのだ。  学校からアパートまでは歩いて十五分の距離だ。傘は持っていないが、残り半分の道のりならばそれほど濡れないだろう。そんな予想を裏切って、すぐに容赦ない本降りになった。  さあさあと空から雨が打ち付ける。あっというまに濡れねずみになったが、今更走る気力も湧かない。  のろのろと雨の中を歩き、やっとアパートの前の児童公園に差し掛かる。  何気なく公園の中を見ると、ブランコのわきで立っていつ人影が見えた。傘もささずにじっとアパートの方を見上げ、身じろぎもせずに立ち尽くしている。  不審者だろうか。俺は立ち止まって目を細めたが、焦点があって見えてきたのがよく知った姿だったので、慌てて公園の中へと駆け込んだ。 「一之宮!」   雨が降りしきる中、彼は傘もささずにぼうっと立っていた。声を掛けるとゆっくり振り返る。 「先生……」  暗い中でもわかるほどに顔が真っ青だった。肩に触れると氷のように冷たい。いったいどれくらいの間ここに立っていたのだろう。 「こんなところで何やってんだよ⁉ 傘ぐらいさせ!」 「先生もずぶ濡れじゃないですか……」 「うっさい! 俺はいいんだよ! それより一之宮のことだ。どうしたんだよ?」  しばらく一之宮は押し黙っていたが、ぽつりとつぶやいた。 「親父が」 「え? お父さんがどうしたの?」 「出て行った」 「……出て行った? どういうこと?」 「わからない。帰ったら家の中がぐちゃぐちゃで、親父の荷物だけすっかりなかった。引き出しに置いてあった預金通帳も、隠しておいた金もぜんぶないんだ」  俺は言葉を失った。
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