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 西日が差し込む学校の会議室の中に、重ぐるしい空気が漂っている。  長方形の部屋には長机がコの字の形に置かれ、黒板の前には校長、窓際の席にはそれぞれ教頭、担任の佐々木先生。廊下側の席には俺と、緊急で召集された土屋が並んで座っていた。  一之宮の父親が失踪してから三日が経った。  いっしょに俺の部屋で過ごした次の日、俺は一之宮に付き添って、校長と教頭に事の経緯を説明した。父親とはいまだに連絡が付かず、学校と相談して失踪届を出すことにした。校長が児相――児童相談所に連絡を入れ、そして一晩明けた今日の午後、児相から職員がやってきた。それが二時間前のこと。一之宮はまだ職員と面談中だ。    「しかし、父親が失踪とは」  教頭が呻くように言い、隣の担任の佐々木先生に顔を向けた。 「以前からネグレクトとか虐待行為があったってこと?」 「いえ、それは……なんとも。一年の担任の先生からも何も引き継ぎはありませんでしたし」 「だからって現担任が何も把握していないのは問題でしょう」  教頭に言われ、佐々木先生は視線を落とす。俺はすばやく二人の間に入った。 「そんなことを言っていても仕方がないですよ。今後の学校としての動きを考えないと」  しかし教頭は眉を寄せて不愉快そうに俺を見る。 「学校としての動き? まずは児相の方からの決定が先でしょう。まあ彼は施設に入るしかないんでしょうがねぇ」  やはりか、と俺は内心でため息をついた。  最近は多少真面目になったとはいえ、もともと成績や授業態度が悪かった一之宮に、教頭はあまり関心がないのだろう。模試の成績や大学の合格実績がなによりも大切な人なのだ。本気で彼のような生徒を守ろうとは思っていない。俺はいら立ちを抑え、口を開いた。 「俺は反対です」  教頭が驚いたように眉を寄せる。 「児相も施設も、どこも一杯です。余裕のある施設なんて稀だし、中には劣悪な環境のところもあります。俺は施設出身なのでそのへんはよくわかります」  教頭と佐々木先生が驚いたようにこちらを見た。  俺が施設出身だということを知らなかったのだろう。二人は気まずそうな顔をしているが、そんな反応に構っている場合じゃない。俺はさらに畳みかけた。 「それにこの学校が通える範囲内に入所できる施設があるとも限らない。現にこの高校に一番近い施設でも電車で三時間ほどかかるようです。しかもそこも受け入れる余裕があるかというとわからない、ということでした」 「え? 鶴見先生、施設に問い合わせたんですか?」 「ええ、昔の伝手があるので」  教頭は腕を組んで困ったように唸りながら言った。 「いやでもしかし、彼には他に面倒を見てくれるような身内もいないし、施設に入るしかないでしょう。転校になったとしても仕方がないことで……」 「生活保護を受ければいいんですよ」  教頭の言葉に被せるように俺が言うと、会議室の中はしんと静まり返った。 「今度は一之宮くん自身が生活保護を受けて、一人暮らしをしながらこの高校に通えばいいんです。彼は父親を支えながら生活していたんですよ。そんな彼なら一人暮らしも出来るはずです。高校に通うのも後一年ちょっとですし、生活の環境を今変えるのは彼にとって得策ではないと思うんです」  教頭が口をあんぐり開けた。 「せ……生活保護? 高校生が生活保護なんて聞いたことがないですよ」  教頭の言葉に、担任の佐々木先生も恐る恐る付け足す。 「それに高校生のうちから生活保護を受けるなんて、なんていうか……その、本人に良くないんじゃないですかね。癖になる、というか……」 「佐々木先生の言う通りですよ。仕事もしないのにお金もらって一人暮らしだなんて……。学生のうちからそんな贅沢を覚えたら、甘えた人間になって生活保護から抜け出せなくなりますよ。 頑張って仕事をして生きていこうっていう気概がなくなるじゃないか」  癖になる? 生活保護が贅沢? 「何言ってるんですか! そんなことを言う人がいるから、本当に必要な人が生活保護を受けるのを躊躇してしまうんですよ! 困窮している人が受けて何が悪い! それに生活保護から抜け出せなくなるのは本人の怠けや甘えのせいじゃない。周りの人間がそうやって理解しようとしないからじゃないか!」   「……鶴見先生、ちょっと落ち着いてください」  土屋の静かな声にはっと我に返った。言い過ぎてしまったと後悔したがもう遅い。  教頭も佐々木先生もぽかんとしている。完全にから回ってしまった空気だった。  しかしそのとき、それまで腕組みをして話を聞いていた校長が口を開いた。 「それが、鶴見先生のお考え?」  目を開き、口には笑みを浮かべながら、俺をじっと見据える。  校長は頭に髪の毛が少なく首が細く長いことから、生徒には鶴じいさんと陰で呼ばれている。変なあだ名はあるものの、ユーモアにあふれ、生徒にも教員にも気軽に声をかけるような陽気な人だ。  しかし今は見たことがないほどに眼光が鋭い。その重い視線を受け止め、俺は頷いた。 「はい、そうです」  校長は首を伸ばし、「ふむ、ふむ」と言っただけだった。次に土屋に目を向ける。 「土屋さんはどう思う?」 「今の段階でそこまで言及するのは早いかと。まずは児相の方の話と一之宮くんの気持ちを聞いて、それからだと思います。私としてはまず一之宮の心のケアを優先したいですが」  土屋の答えに校長はまたふむふむと頷いた。 「そうですね、その通り。まずは一之宮くんの気持ちと心のケアが優先。私たちは一之宮くんのために最善を尽くしましょう」  早急に土屋によるカウンセリングの予定が組まれ、会議は重ぐるしい空気の中で終わった。俺の意見は校長に流されて歯がゆくなったが、はじめからそう簡単に進むとは思っていない。  次の一手を準備しようと保健室に向かって歩きだしたとき、土屋が追いかけてきた。 「ちょっといいか?」と言って俺の腕を掴むと、カウンセリング室の方にそのまま引っ張っていく。 「なんだよ、話ならここでいいだろ? 俺保健室に戻っていろいろやることあんだけど。今日中に市役所に行きたいし」 「いいから黙ってろ」  ぐっと掴む手に力がこもった。驚いて見上げた土屋の横顔は無表情だ。  訳がわからないままカウンセリング室に引っ張り込まれ、乱暴に椅子に座らされた。 「なあお前、なんで一人で突っ走ってんだよ」  目の前で仁王立ちになった土屋に言われ、俺は目を瞬いた。 「俺、突っ走ってる?」 「ああ。生活保護をすすめるとか役所に行ったりするのって、お前の仕事なのかよ」 「俺の仕事かどうかは関係ない。一之宮のために出来ることなら、俺は何でもしたいと思ってる」  俺の言葉を聞くなり土屋は眉を顰める。 「千草、冷静になれよ。そんなふうにしてたらお前も一緒に潰れるぞ」  潰れる? だとしても、一之宮のためになるなら本望だ。 「だってあいつには、もう俺しかいないんだ」  土屋を押しのけて俺は椅子から立ち上がった。土屋はもう、呼び止めてはこなかった。
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