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俺の涙が止まったのは、辺りがすっかり暗くなってからのことだった。
木のベンチに横並びに座って海を眺めながら、一之宮は俺の右手を離そうとしない。にぎにぎと握ってはすりすりと自分の指を擦りつける。にこにこと嬉しさを隠そうとしない彼の様子に、こそばゆくなってしまう。
「……なあ、これからどうすんだよ」
俺が問うと、一之宮は「え?」と首を傾げた。
「今日だよ、今日。これからどうすんの」
「今日? …………電車で帰りますけど」
「……」
なんだよと俺は思わず口を尖らせた。
久しぶりに会えてようやく思いが通じたのだ。もうちょっと一緒にいたいと思うのは俺だけじゃないはずだ。俺は気恥ずかしさに俯きながら、小さな声で言った。
「俺の家に泊まってけばいいじゃん」
「えっ」
一之宮が目を瞠り、黙り込んだ。
「だってもう駅までのバスもないし……。田舎だから泊まれるホテルなんてないぞ」
妙な沈黙に、俺は汗をかきながらもごもごと言い訳をした。バスやホテルがないのは本当だけど、駅まで行けばまだ電車は通っている。十分帰れる時間だ。
だけどそんなこと教えてはやらない。だって正直離れがたいのだ。
繋いでいる手が熱い。大量の手汗が噴き出してくる。これはどっちの汗だろうと思ったが、緊張でよくわからない。
「あ……ええと、……それじゃお世話になります」
「……ん。じゃ、こっちだから……」
ようやく頷いた一之宮の手を引き、ベンチから立ち上がった。
俺が住むアパートはここから歩いて五分ほどだ。暗くて人通りがないのをいいことに手を繋ぎながら海沿いの道を歩き、急な坂の階段をのぼる。やがて白い横板張りのしゃれたアパートが姿を現した。
「おしゃれなところですね」
「だろ? 勤め先の園長のコネで安くしてもらってる。園長にはすごい世話になってるんだよ。もう頭上がんない」
一階の一番奥のドアにカギをさし、扉を開ける。
「狭いとこだけど、我慢してくれよな」
そう言って振り返ると、一之宮は拗ねたような顔をしていた。
「『園長』って、男ですか?」
「え?」
俺は目を瞬いた。なんでいきなり不機嫌になったんだろうと考え、すぐに思い当たった。これはきっと嫉妬ってやつだ。
「ばーか。園長はひげもじゃもじゃのじいさんだよ」
こんな小さなことに嫉妬して口を尖らせる一之宮が可愛くなって、俺は伸びあがり彼の唇にすばやくキスをした。一之宮が「えっ」と固まって驚く。
いきなり会いに来て驚かせた彼に対する仕返しだ。……なんて言いながら、妬いてくれたのが嬉しかったのだ。かなり浮かれているらしい自分に笑ってしまう。
「ほら、ぼーっとしてないで中に入れよ」
いつまでも固まっている一之宮の頭を撫でようと手を伸ばしたが、その手を取られ、玄関の中に押し込まれた。
ばたんとドアが閉まり、太い腕が背中と腰に回ってくる。拘束する腕は強く、そのまま荒々しく壁に押し付けられた。
「ちょっと一之宮、お前いきなり……」
彼の顔を見上げてぎくりとした。その瞳の中には明らかな情欲がたぎっていたのだ。さっきまで子どもみたいに拗ねていたのに、なんだこの変わり身の早さは!?
驚きに息をのんだ俺だったが、すぐに一之宮の唇が近づいてきて混乱しながらもなんとか目を閉じた。
すこしかさついた唇が触れる。途端に背筋に甘い疼きが走った。
「ん……」
思わず声が漏れた。それに呼応するように一之宮の手のひらが俺の後頭部に回り、強い力で押し付けられる。開いた唇のあいまから大きな一之宮の舌が滑り込んできた。
湿った音が狭い玄関に反響し、かあっと身体が熱くなってくる。遠慮もなにもない熱い舌は、俺の口腔を好き勝手に舐め回してようやく離れていった。
「はぁっ、は……」
なぜか息が上がっているのは俺だけで、一之宮は俺の顔を凝視している。その瞳は燃えるように熱い。
「千草さん……」
耳元で名前を囁かれてぞくりとした。
一之宮が耳から首筋にかけてキスを落としていく。背中を壁に押し付けられ両足の間に一之宮の太ももが割り込んできた。そのまま熱くなった下半身を当てられてうっとりしかけたが、はっと我に返った俺は一之宮の胸を押した。
「ちょっと待って!」
俺が制止の声をあげると、一之宮は不服そうな様子で顔を顰めた。
「どうしてですか? やっと先生に触れられるんですよ。もう待てない」
「……なっ。そ、それは俺も同じだけど……」
「だけど?」
べろりと首筋を舐め上げられ、俺は「んっ」と声を上げてしまう。慌てて一之宮の胸を叩いた。
「準備がいろいろあんだろ! 俺シャワーも浴びてないっての」
俺の言葉に一之宮はぴたりと動きを止めた。ずいぶん明け透けな言葉だけど、このままの勢いだと玄関先でやられてしまいそうなのでしょうがない。シャワーくらいは浴びたかった。
一之宮は一応納得したようで、不満そうにしながらもわずかに身体を引いた。いそいで彼の身体と壁の間から逃げ出す。
「すぐ、すぐ済ませるから」
一之宮の背中を押して部屋の奥に押し込むと、俺は慌てて洗面所に駆け込んだ。
洗面所のドアにもたれて俺は大きく息を吐く。
心臓が早鐘を打っていた。無理もないだろう。職場にいきなり一之宮があらわれ、こうして部屋の中に一緒にいる。展開の早さに頭も気持ちもついていかないのだ。
しかしここでこうしてもいられない。ぐずぐずしていたら一之宮が扉を突き破って入ってきそうだ。
「よし!」
俺は頬を両手でパンと叩くと、服を脱ぎ捨てた。
気合いだ気合。俺は呟きながらシャワーのお湯を頭からかぶる。わしゃわしゃせっけんを泡立てて、身体を隅々まで洗う。
しかし曇った鏡の向こうにうっすらと映る自分の裸体を見つめていたら、ふと疑問が沸き上がってきた。
……っていうか一之宮って、ゲイじゃないよな。俺のこと抱けんのかな。
自分は正真正銘のゲイだし、抱く抱かれるでいったら、ずっと抱かれる方だった。でも一之宮はどうなのだろう。こんな男の身体を抱きたいと思うのだろうか。
実際に抱き合ってみてやっぱり女の方がいい、なんて思われでもしたら。そう思うと恐怖心が沸き上がって来る。
さっきキスはしたけど一之宮はどこまでしたいとかって考えてるのかな。聞きたいけどそんなこと聞いたらムードってやつがだいなしだろうし。
うーんと首を捻りながら浴室から出ると、洗面所に一之宮が立っていた。
「わーっ‼ 一之宮⁉」
部屋の中で待っているとばかり思っていたので仰天してしまった。慌ててタオルを下半身にまく。彼は俺の身体を凝視しながら近づいてくると、力いっぱい俺を抱きしめた。
「千草さん、千草さん」
そう言いながら俺の顎を掴んで唇を塞いでくる。すぐにキスは深まり、両手は俺の肌を這い回す。一之宮の息は荒い。
「……っ、あ」
一之宮の指が胸の先に触れた。俺がびくんと身体を揺らすと、乳首を摘ままれる。きゅ、きゅ、と何回か指の腹で捏ねられると、固く芯をもちはじめ、ぷくっと立ち上がってくるのが自分でもわかる。肌の上に走り始めた快感に身を任せはじめたとき、はたと我に返った。大事なことを思い出したのだ。
「ちょ、ちょっと待って!」
制止の声を上げると、一之宮は「またか」とばかりに眉根を寄せた。
「ちょっと聞きたいことあるんだけど。お前って男初めて?」
「はあ?」
ぐぐっとさらに眉根が寄り、一之宮の眉間には深いしわができた。どうやら言い方が悪かったらしい。
「そうですけど。男も女もないです、あなたが全部俺の初めてですよ」
俺が、全部、初めて。
むすっと吐き出された言葉に天に昇るほど嬉しくなったが、いやいや違うと自分を戒める。
「じゃあちゃんと確認しておきたい。お前、俺に挿れられる?」
「……え?」
ぽかんとされて一気に羞恥が襲ってきた。もしかして違かったのか。やっぱり男に挿れるだなんて考えてなかったのだろうか。
と思ったが、次の瞬間がっと肩を掴まれた。顔を上気させた一之宮が俺の目を覗き込んでくる。
「ずっと想像してました。あなたの中に入って、めちゃくちゃにしたいって」
熱っぽい視線に捉えられて腰が砕けそうだ。俺は一之宮の首に腕を回し、耳元でささやいた。
「嬉しい。俺のこと、ベッドでちゃんと抱いて」
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