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「はーいそれでは、第一回保健委員会を始めまーす」  黒板の前に立った俺は教室の中を見回して、声を張り上げた。  委員会のために借りた特別教室の中には三十人ほどの生徒が座っていた。廊下側の席には一年生、窓側の席には三年生。その中央には二年生が腰を下ろしている。  その中央あたりの二年生の列の後方から、若干前のめりになってじっと熱心に見つめてくる視線がある。言わずもがな一之宮だ。 「一学期からほとんど顔ぶれは変わってないね。とは言っても二学期から新しく保健委員になった子もいるから、軽く説明しようかな」  俺は黒板に向き合い、チョークを握る。少し考えてから書き始めた。 「まずはクラスの保健委員としての活動だね。一番大事なのは毎朝各クラスで朝会のときに健康観察と、怪我や具合悪い人への対応。教室の中の温度管理と換気と、冬場は加湿器の管理。委員会の方の仕事としては月一回の委員会出席と、保健便りと掲示物の作成。十月の体育祭では毎年怪我人出るから、気合入れてね!」  板書の手を止め、両手を叩いてチョークの粉を落とす。そして部屋の中を見回し、俺はにっこり笑った。 「――と説明はこれくらいにして、それじゃさっそく委員長を決めようかな? 誰かやりたい人いる?」  しんと教室が一瞬静まり返った。  にやにや笑いながらお互いを小突き合う生徒たちもいるが、自薦の手は上がらない。まあこれは予想の範囲内だ。この高校の委員会活動は強制ではないので、この場にいる保健委員は一応希望者ということになるが、委員長がなかなか決まらないのはいつものことなのだ。 「え~誰もいないの? それじゃあ、俺が勝手に決めようかな……。ええと、二年の一之宮くん! 委員長やってくれる?」  俺が指名すると、一之宮は口をぽかんと開けた。 「……いや、俺なんかじゃ務まらないと思うんですけど」 「大丈夫大丈夫! 俺もフォローするし! ね、やってくれるだろ?」  俺が顔の前で手のひらを合わせてお願いポーズを作ると、一之宮は渋々ながら頷いた。しめしめ、計画通りだ。 「副委員長はそうだなあ。輪島、お願いできる?」  と去年委員長を務めたしっかり者の二年生を指名すると、彼はしっかり「わかりました」と頷いてくれた。それじゃあ決まりね! と俺が宣言すると、教室にはパチパチパチと拍手が響いた。  あーよかったよかった。  俺はうんうんと満足して頷いた。いつもは委員長が決まるまで結構な時間がかかるのだ。一之宮はもの言いたげにこちらをじとっとした目で見ているが、気にしないことにする。  委員長と副委員長が決まってしまえば、委員会は滞りなく終わった。委員会の記録のファイルに書き込みをしていると、俺のところにむっつりした顔で一之宮がやってきた。 「委員長ってなにすればいいんですか」  顔には不満だと書いてあるのに、さっそく仕事内容を聞きに来るあたり本当に真面目な奴だと思う。こみ上げてくる笑いをかみ殺して、俺は一之宮に向かって頷いた。そして帰り支度をしていた副委員長の輪島に「おーい輪島!」と手を上げる。  素直にやってきた輪島を加え、俺は新しい委員長と副委員長に向き合った。 「一ノ宮、輪島。ふたりとも、役職を引き受けてくれてありがとう」  すっと背をのばし、二人に向かって礼をする。 「保健委員っていうのは、怪我した人の手当や具合の悪い人の看病だけじゃなくて、この学校の生徒を根本から支える必要があるって思ってる。二人になら、それが務まると思ったんだ。っていうことで、二学期の間よろしくな!」  二人の顔を順繰りに見る。輪島はなにもかも承知したようにゆっくりと頷き、一方で一之宮は驚いたように何度も目を瞬いている。  机の上のファイルから数枚の紙を取り出した。 「さっそくだけど、保健委員の大事な仕事の一個目だ。まず二人には、保健便りを作ってもらう」  俺は持って来たファイルを広げた。そこには、過去生徒が作っていた保健便りがファイリングしてあるのだ。 「こういうのあったんですね」  一之宮がぱらぱらファイルをめくりながら驚いたようにつぶやいたので、俺と輪島は顔を見合わせて苦笑してしまった。 「一応全生徒に月一で配ってるんだけどな。あんまり見ないで捨てちゃう生徒もいるかもしれないけど、これは保健委員が毎月心を込めて作ってるんだよ」 「……すみません」  一之宮はきまり悪そうに小さく頭を下げた。素直なので許すこととしよう。 「テーマは二人で考えてもらってもいいし、このファイルの中から抜き出してもいいし、基本は二人にお任せしようとは思ってるんだけどさ。どうする? 輪島、一之宮?」  輪島が腕を組んでうーんと唸った。 「テーマか……。そうですね。夏の疲れが出る時期なんで、その対策なんてどうでしょうか」 「ああ、それいいね!」  俺は輪島の案に頷いた。 「夏の疲れを取る食べ物とか、足つぼとか」 「夏の疲れをすっきり取る夏バテ体操とか?」 「ええ? そんなのあるんですか?」  輪島と二人で盛り上がっていると、一之宮が不思議そうに言った。 「栄養ドリンクを飲むとかじゃダメなんですか? そっちのほうがもっと効きそうだし手っ取り早い」 「ああ、う~ん……。確かに栄養ドリンクとかエナジードリンクは一時的には効果はあるけどねえ」  一之宮の言葉に俺はちょっと考えた。 「あれは興奮剤の一種なんだ。効果が切れたあとにはどっと疲れたりする。急場をしのぐくらいならいいかもしれないけど、日常生活でそういう体の使い方してちゃ駄目なんだよ」  輪島は俺の説明にうんうんと頷いたが、一之宮は相変わらず要領を得ないといった顔で首を捻っている。なんだかこの反応が切なかった。  こういうことは、学校で習わなくても、家庭の中で親からなんとなく教えてもらえることだ。反対に言えば、そういう感覚を養えなかった人間は、大人になっても理解できないことが多い。言葉や知識として知っていても、本当の意味でわからないのだ。自分には関わりのないことだと考えてしまう。 「人間の体ってさ、小さな積み重ねから出来てるんだよ。夜はきちんと眠って、朝はきちんと早く起きて日の光を浴びる。朝食をちゃんと食べて、歯をきちんと磨く。一見つまらないように見える地味な毎日の繰り返しっていうのが、大事なわけ。よりよく生きるための礎になる」 「よりよく生きる、ですか?」 「そう、よりよく生きる。生徒にはそういう大事なことを本当の意味で理解してもらいたいし、自分のことを大事にしてほしい。俺はそう思ってるよ」  一之宮はしばらく黙り込み何かを考えていたようだったが、やがて保健便りのファイルをめくり始めた。
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