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完璧すぎる。そう称するほど、彼との生活は順風満帆だった。
毎日七時半に家を出て、きっかり八時には帰ってくる。彼が住んでいた(そして私が新婚で転がり込んだ)アパートは古いものの綺麗で、他に住人もいないので多少五月蝿くしても咎められる心配はない。
彼は仕事の不満は一切家に持ち込まず、朝は朝食を作ってくれ、休日は三食美味しい手料理を披露してくれる。
朝はおはようのキス。夜はおやすみのキス。ベッドの上でも、私が求めれば求めるだけ愛してくれる。
まだ大学を卒業して間もない若者とは思えないほどデキた青年だった。あまりにも完璧すぎて、逆に私が不安になってしまうほどに。
――私は幸せ。幸せすぎる。でも本当にこんなに幸せでいいの?私、風一郎さんに助けて貰ってばっかりで何もできてはしないのに。
彼のために、自分ができることはないのだろうか。彼のためならこの命さえ投げ出せるのに。自分は支えられてばかりで何もできていない。それで、本当に対等な夫婦と言えるのだろうか。
その気持ちが膨らみ続けて、もうすぐ結婚生活も三年になろうという時だった。
「風一郎さん。……私、なにか……貴方のためにできることはないの?私、貴方に助けられてばかりで、何もしてあげられないわ」
もう、私の年齢では子供を作ることもままならない。それは結婚前に話して、了承してもらっていたことだった。
専業主婦なのに、洗濯、掃除、料理、全てのスキルで私は彼を下回っている。これではいけない、何か圧倒的に、もっともっと彼に奉仕できる何かが欲しい。そうでなければ、彼と本当の意味で愛し合うこともできない――いつの間にか、そんな焦燥が身を焦がすようになっていたのである。
おかしなことだ。何もかも満ち足りているせいで、怖くてたまらなくなるだなんて。
「……公子さん」
リビングで、私にしがみつかれた彼は。少し困ったように笑って言ったのだった。
「不思議ですね。……いつもなら、もう少し時間がかかるのに。貴女は僕の力の影響を誰より受けてくれるようだ。まだ三年過ぎていないのに」
「風一郎さん?」
「何もかも満ち足りて、何もかもが満足で、何一つ不満がなくて。……不思議なことに、そういう環境に置かれるとみんな怖くなって僕に言うんです。お願い、何でもするから貴方に全てを捧げさせてほしい、何かさせてほしいと。僕はそんな人達が、いつもいつも、たまらなく愛おしいんです。……公子さん、大丈夫。貴女にしてほしいこと、ありますよ」
「ほ、本当に?私、貴方に何かをあげられるの?」
「もちろん」
彼が何を言っているのか、半分も理解できなかった。それでもただ、一つだけ分かったことがあって。
「貴方の素敵な声を、僕に捧げてください。その血と、骨と、肉と、内臓と一緒に」
彼のためにできることがある。
それさえ確かなら、もう十分なのだ。例え、脳みそが甘ったるい砂糖菓子のように溶けてしまっていたとしても。
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