終末は神とワルツを

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西園寺が水無瀬玲と出会ったのは、高校に入学してすぐだった。 自分の席の前に彼女は座っていた。 恐らく席が近くなければ彼女と親しくなる機会はなかっただろう。 それほどまでに自分と彼女の性格は、そしてとりまく世界は真逆だったからだ。 誰とも会話をする気のない自分は中学のときと同じように本を読んでいた。 突然、追っていた文字が長い指に遮られる。驚いて顔を上げると、悪戯を見つかった子供のような、くりくりとした二つの澄んだ目と目が合った。それはとても綺麗だった。 そして彼女は言ったのだ。 「ね、そんな本を盾みたいにしてないで、ちょっと話そうよ」 その言葉にひどく動揺させられた。 本に集中しているふりをして、周囲の会話や空気の気配を探っていた自分を言いあてられたようだったからだ。 それから、玲と他の何人かのグループと行動を共にすることになった。 玲は明るくいつも輪の中心にいた。 短く切った髪、長く細い手足。自由で美しい獣を見ているようだった。眩しかった。 でも、それは玲の一面にすぎないことは、次第に少しずつわかりはじめる。 玲は自分にだけ秘密を打ち明けることがあった。 活発で行動派だった彼女は、イメージと違って本を読むことを好んでいた。自分しか知らないと思っていたマイナーな小説家で意気投合したこともある。 その著者の彼女の持っていない本を貸したことがあった。 渡した本をまるで宝物のように抱きしめてやや大げさに感じるような感謝の言葉を言われ驚いた。 そんなに好きなら買えばいいのにと言った時だ。 少し躊躇しながら、彼女にしては珍しく目を逸らした。 「家、実はあんまり余裕なくてさ」と小さな声で呟く。 「このこと知ってるの明美だけだから。秘密ね」と恥ずかしそうに笑った。 それからだった、彼女が時折自分だけに零す話から、家庭環境があまりよくないことがわかったのは。 それでも、あんな悲劇につながることになるとは、その時は夢にも思わなかったのだ。 高校2年生の年末のことだった。 学校も冬休みに入った日の夕方、リビングでテレビを見ていた母親が「ねえ」と呼んだ。 「これ、あなたの学校の生徒じゃない?」 母の言葉に画面を見て、息が止まった。 交通事故。水無瀬玲さん(16)。無理心中の可能性。 慌てて玲の名前を呼び出して通話ボタンを押すが、無機質なアナウンスが繰り返されるばかりだった。 母親が呼ぶ声を振り切って、外に出てみたものの、玲の家など知らないことに気付いた。 何処に行ったらいいかわからず、呆然とその場で立ちつくすしかなかった。 その時の不思議なほどに澄み渡った冬の青空だけ、何故か今でもありありと思い出すことができる。 学校に行くと、玲は交通事故で亡くなったと担任が告げた。 けれど教室のあちらこちらから「無理心中」という単語が囁く様に聞こえていた。 そのうち、ひと月、ふた月も経つと玲のことは、話にものぼらなくなった。一緒にいたグループの子たちでさえ、玲の話をするのは避けた。 まるで最初から水無瀬玲は存在しなかったように。 人間が環境に順応するためにあらゆる物事に「慣れる」という才能があることは分かっていた。 けれど、自分だけは水無瀬玲のいない世界に慣れることができなかった。 玲がいなかったように進んでいく日常に、吐き気を覚えるようになった。 最終的にほとんど学校には行けなくなった。 そんな時、この本を見つけたのだ。それは本当に偶然だった。 突然の夕立に駆け込んだ軒先は、小さな古書店だった。 カラカラという古めかしい引き戸を開けて、薄暗い中にそっと足を踏み入れる。 外は今だ雨が止む気配はなく、雷鳴が遠くに聞こえた。 明かりの少ない店内で、本棚のタイトルに目をこらした。 その中で、皮張りの箔押しの装丁に惹かれ吸い寄せられるように手に取ったのが、その本だった。 パラパラと頁をめくり、鼓動が早まるのがわかった。 これは、自分が知りたいことが書かれているという確信があったからだ。 急かされるように代金を払って、ずぶ濡れになるのも構わず、大事に本を抱えて家に帰った。 何故か、その店の場所も店主の顔も想い出すことはできない。 そしてついに時は満ちた。 暗い部屋で、古びた本を開く。 何度も何度も読んだから、もう中身を暗記しているほどだ。 月明かりを反射して銀色に光るナイフを掲げる。 恐怖はなかった。 玲がいなくなってから部屋の中でずっとずっと考えていた。どうして玲が死ななければいけなかったのか。玲のいない世界にどうして自分は生きなければいけないのか。 玲が死ななければいけなかったことに納得がいかなかった。許せなかった。 この苦しみを断ち切るには、答えは一つ。 玲は生きていなければならない。 ふと、別な面影が脳裏を過った。 数少ない学校に行った日に、唯一の居場所だった保健室の養護教諭。 白衣に長い金の髪をして、いつも薬草のような不思議な香りがしていた。 吐き気を堪えながら保健室に辿り着くと、いつも穏やかに迎えてくれた。 彼女の淹れる特性のハーブティーを飲むと、その日はよく眠ることができた。 学校において、唯一の自分にとっての安全地帯だった。 あの人は、悲しむだろうか。 今更そんなことを考える自分が少し可笑しかった。 やめる気など微塵もないくせに。 そうして、西園寺明美は、柔らかい皮膚にそっと銀の刀身を当てた。
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