終末は神とワルツを

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まだ、神から授かった名で生きていた時の話だ。 主、つまり神の命を受けて、天使の集団が人間の集落に下りたことがあった。 目的は監視。決して何も手を出してはならないと、厳しく言い含められていた。 当時の人々の営みは、山に成るものをとり、海に潜り、川で銛を使って食料を確保するような原始的な生活だった。 当然、荒々しい自然に翻弄され、食べるものがない時は、木の根さえも食べた。病に対する手段も乏しく、子どもも大人も沢山死んでいった。 それを「ただ見ていろ」というのが使命だった。 徐々に、それに疑問を呈する者が出始める。それらは、人の中に混ざって、禁じられた知恵を授けていった。 その中に、自分も親友であったシェムハザもいた。シェムハザは先頭を切って人と接していった。 彼曰く、「残酷な運命を見捨てるということこそ主の命にそむいているはず。これは試されているのではないか」と主張していた。 彼に賛同するものが増え、結果集団のほとんどの天使が人と交流を深めた。 人間の中にリエルという娘がいた。 外見だけでなく、心根も美しく優しく、誰からも好かれていた。 自分も彼女に惹かれていた。けれど、彼女が選んだのはシェムハザだった。 二人は結ばれ、子どもも生まれた。 他の天使と人間たちの間でも多くの番ができた。 生まれた子どもは、天使と人間の両方の特性を持っていた。翼をもち、飛ぶこともでき、力も強く、そしてなにより性別があった。それはつまり、子を成すことができるということだった。 天使たちの授けた知恵によって、人々は豊かになり、増えていった。 が、残念なことに同時に人同士の争いごとも増えるようになった。天使との子どもであるネフィリムの能力は争いを激しくした。 そんな混沌とした世界を、大洪水が全て押し流したのだ。 阿鼻叫喚溢れる世界が濁流に押し流されるのを、ただ震えながら見ていることしかできなかった。 上空を見上げると、熾天使、智天使をはじめ通常拝謁も叶わないような、上位天使たちが空に輪になってこの洪水を見つめていた。その整った顔にはなんの感情も浮かんではいない。 そこに一筋の光の矢が放たれた。 光に見えたのは、怒りに駆られたシェムハザだった。 智天使のもとに届く寸前で、火花が散る。 「血迷いましたか!シェムハザ!」 大天使が剣で迎え撃つ。 「ふざけるな!なぜこんなことができる!」 シェムハザは吼える。 「全て人の愚かさのためだ!もとはと言えばお前たちが命に背いてあれらに余計な知恵をさずけたことが原因でしょう!」 「では、ただなすすべもなく彼らが野垂れ死んでいくのをただ見ていろと?」 「そうです」 「……!!」 シェムハザに加勢しようとした瞬間、微かな声が聞こえた。背後を気にしつつも、声の方に飛ぶ。 白い華奢な腕が岩肌にしがみついているのが見えて叫んだ。 「リエル!!」 腕を伸ばす。 リエルが自分の名前を呼んで手を伸ばしたところで、大波が彼女を浚う。それを追って水の中に飛び込んだ。背中の羽が水を吸い、重く身動きを不自由にする。 濁流をかいくぐってリエルを探した。 暗い水の底に沈んでいくリエルを見つける。沈む瞬間、吐き出す泡とともに彼女の声にならない言葉が聞こえた。 ――あの子たちをお願い!守って!! 伸ばした手は届かず、それを最後に、何もかも水の底に消えてしまった。 呆然と水を漂ううちに波間に天空の光景が垣間見える。 数千の天使達によって、同胞達を地底深くに封じられていく。その中にシェムハザの姿を認めた後、意識を失った。 その後、大洪水から逃れた人の行く末をただ見守っていた。もう自分しかいなかったからだ。
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