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何も持たない嫁入り
それからきっちり一か月後。
義姉の情報通りに私の嫁入りの日となった。
結局兄本人から情報を聞かされたのは、私が嫁入りする一週間前だった。
だけど本当に身ひとつで良いと言われ、持っていく荷物はわずかなものだった。
急かすように馬車に乗せられ、見送ってくれる人は一人もいない。
それを寂しく思わなくもないけれど、兄も今日からはいよいよ執務に向き合わなければいけないし、義姉にもそれを支えてもらわないといけないのだ。
私なぞを見送るよりも、そちらの方が最優先なのだからと納得した。
ギイギイと車輪が鳴って馬車が動き出す。
それが十六年暮した我が家と、最後の別れだった。
※※※
前情報も何もなく、ただ商人の家だと言って聞かされ向かったのは、なかなかの大きな店だった。荷物と共に無言で馬車から降ろされたその目の前には、活気に溢れる店構えがある。
大きな道路に面した二階建てのその建物には、何人ものお客が絶えず出入りをしていた。
達者な文字で、ピッツラ商会と書かれた看板が掲げられているから間違いない。
ロア・ピッツラ。
それが私の旦那様の名前だ。
昨日兄からようやく聞き出したその名前を、私は心の中で反芻する。
本よりも一回り大きな書き板を出して、私はそれに文字をつづった。声の代わりに相手に伝えるための、私の相棒だ。
そしてそれを従業員らしき人物を捕まえて掲げた。
――今日からこの家に嫁ぐアラーラと申しますが、ロア様はいますか?
さすがに商会で働く人間は、読み書きができるらしい。
だが私と書き板を何度も見比べて、それから驚いた顔で奥へと飛び込んでいってしまった。どうしたのだろうか。
しばらくすると、先ほどの従業員が若い男性を伴って出てきた。
薄い栗色の髪の毛をした、顔立ちの整った人だった。
「……きみがアラーラ? まさか、貴族の娘が一人でここにきたのか?」
胡散臭そうにする男性この人が、私の夫ロアだろうか。
私は慌てて書き板に文字綴った。
――馬車は私と荷物を置いて帰ってしまいました。こちらが我が家の用意した婚姻届の控えです。
そうして筒状にした書状を男性に渡した。
貴族の婚姻は教会に届け出が必要で、この婚姻届けに相手の名前を書く必要があるのだ。それをもって私は貴族位を除籍とされ、正式に結婚した事が認められる。
なお平民にはこんな面倒な手続きはない。
大抵は結婚式という名のお披露目会で、結婚した事となる。
だからこの婚姻届けは既に教会に提出した証明であり、私とロアが夫婦になった事を示している。
書状は珍しく兄が用意してくれた。
男性は渡した書状を矯めつ眇めつ、二枚目の紙を広げるとそれから大きく息を吐いた。
「嘘だろう……」
これが頭を抱えて項垂れる男――ロア・ピッツラ。これが私の夫との最初の出会いとなった。
なんとか立ち直ったらしいロアに連れられて入ったのは、商会の二階にある一室だった。
応接室と会議室を足したような、そんな部屋だ。
その部屋の質素なソファに座るように促され、それからドタバタと幾人かが入ってきた。
恰幅の良い男性と、同じような体形のご婦人だ。
「ロア、ロアあんた本気だったのかい! まさか本当に嫁に貰っちまうなんて!」
その言葉から察するに、この人がロアの母親、つまり私の義母だろうか。
ロアをガクガクと揺さぶり、信じられないと言う態度を崩さない。
となると、その隣で顔を青くする男性が、ロアの父親だろう。
「いくら男爵家の娘でも、持参金無しでの嫁入りなんて聞いたことがない! それどころか結婚したら謝礼金を払う契約まで交わすとは……商人にあるまじき失態だぞ!」
初めて聞いた内情に、私も目を見開いた。
そういえば先ほど渡した婚姻届けは二枚あった。
一枚が教会からの控え、おそらくもう一枚が義父の言う契約書の控えなのだろう。
二人から責め立てられたロアはぐったりとした様子で口を開く。
「もう酒は辞めるよ……」
「当たり前だ!」
「当たり前でしょう!」
どうやら兄とは酒場で出会ったようだ。そして酔わされてまんまと私を押し付けられた……といったところか。
向こうにしてみたら、金は取られるは嫁は押し付けられるわ、良い事がない。
その上。
「しかし……喋れもしない嫁、ねえ。うちは商人の家だよ? 貴族の嫁なんて愛想以外取り柄がないだろうに。それすらない嫁なんてただの金食い虫だよ」
義母がそう渋るのも仕方がない。
嫁入りだからと着せられた母のドレスは、舞踏会に行くのかと言われるほどに華やかで、どこからどうみても金食い虫のいでたちだ。
普段は平民と大して変わりない、ただのワンピースで生活しているのだと言っても信じてもらえないだろう。
「お前は愛嬌も気立てもいいからなぁ。ワシは果報者だよ」
「やだねアンタったら」
イチャイチャする義父と義母、額に手を当て天を仰ぐ夫、そしてただただおとなしく座るしかない私。室内は混沌を極めていた。
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