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雨降ったとて
道端で会った時、佑、と呼ばれたのを思い出した。
何で僕の名前を知っていたのか、やっと繋がった。
おじさん、ありがとう。
そう思ったけど、口には出せなかった。
せっかく助けた子がこんな奴になったなんて、できれば思われたくなかった。
もうすでに、おじさんは分かっていたんだろうけど。
「おい、少年。外に出るぞ」
車が止まり、おじさんが言った。
ゆっくりとドアを開け、息を吸い込む。
生きてる、と思った。
眼下に広がる、眩しい雲と光。
放たれる色彩に、目が眩みそうだった。
雨はもう、とっくに上がっている。
「綺麗だろう」
「うん」
「だけどよぉ、これは特別なものでも何でもないぞ。ただの朝焼けだ。しかも結構曇ってる。もしお前がこれを見て感動するんだったら、お前はもっと生きた方がいい。こんな景色より美しいものが、案外世界にはあるんだ。どうとも思わないんだったら別にいいけどな。美しいものをみたいなら生きればいい。生きる意味なんて何でもいいんだ、生きてりゃいいんだよ」
「どうだい。誰も知らない何処かへ来たつもりだったけど、それほどのものじゃなかったかもな。ははっ」
記憶を手繰り寄せると、波の音が微かに聞こえた。
喧騒の中、水中での出来事が思い出される。
苦しくて、苦しくて、痛い、落ちていくような感覚。
「あの時だよ、生きてて良かったと思ったのは。自分の手で救った人がこの世の何処かで生きてると思うとな、嬉しかったんだ」
言葉が出なかった。
「それからだよ。俺ぁなあ、もう死ぬ気でいたんだ。どうでもいいと思っていた。それでもよ、なんだかよく分からないけど、どうしてか生きなきゃいけないような、そんな気がしたんだよな。お前がいたからだよ、俺が今此処にいるのは」
「久しぶりだな、少年。立派になったもんだ」
僕は立派でも何でもない。
こんなに素晴らしい人に、救われていい命じゃなかった。
それでも。
「うん、久しぶり」
「少年。じゃないな、佑」
僕はおじさんの顔を見上げた。
まるで映画のようだ、と思った。
背後には、僕の知らない景色がどこまでも広がっていた。
これだけじゃないんだ、と思った。
僕の知らないものは、これだけじゃない。
目に浮かんだ雫を振り落とすように下を向いて、また見上げる。
「生きろよ」
「うん」
僕は頷く。
「わはははっ」
最後の最後まで、おじさんは笑っていた。
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