ある記録

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ある記録

 7月8日  最近部屋から出ることが苦痛で仕方がない。起きた瞬間、地獄の始まりのようにすら思える。  字面だけ読んでみるとただの引きこもり願望の吐露のようにも見えるが、少なくとも今の僕にとってはそうではない。外に出ると心の中がぐちゃぐちゃにされるぐらいのストレスに襲われる。語彙、というより表現力が足りなくてうまく描写できない。これでも後から読み返した時、ただの引きこもり願望の表現にしか見えないかもしれないが、とにかく違うのだ。  自室を出てリビングに向かうのですらしんどい。リビングに通じるドアを開ける時、自然と自分の動きがおっかなびっくりになっていることに今日気が付いた。どうして家の中で普通に過ごしているだけなのにびくびくしないといけなくなってしまったのだろう。リビングに家族がいると(大抵いるけど)さらに憂鬱度が増す。以前なら自然とできていた挨拶ももうできない。お互いに言いたいことはあるけど、気をつかって黙っているだけ。長年家族をやっているからこそ分かる、そんなピリピリとした感覚に襲われる回数が最近増えている。  今日は姉の機嫌も悪かった。アニマの力を利用する人が増えているというニュースを僕が見ていた時、姉はテレビの電源をすぐにオフにした。苛立たしかった。現状を知るためにニュースを見ていたかった。何よりも現実から目を逸らすという意味しかない、姉の行動が情けなかった。なのに僕が姉の表情をちょっとうかがってみると、姉はまるで親の仇を見る時のような目で僕をにらみつけてくる。本当にあの態度はむかついた。なぜ正しいことをしているはずの僕の方が敵意を剥き出しにされないといけないのだ。自分のことを批判しようとしている人間に対して、怒りを向けたくなる気持ちは僕だって分からなくはないけれども、あんまりだ。朝食を食べ終わった姉は自分の怒りを表現するためか、がちゃんがちゃんとわざと音を立てるように食器を片づけた後、リビングから出ていった。よっぽど後ろから蹴りをお見舞いしてやろうかと思った。  初めて日記を書いてみたがかなりいい感じに自分の考え方を明文化できたと思う。しばらく続けてみよう。この狂ったような時代、自分の内面を正確に管理しておかないと危ない気がするから。  7月10日  今日はかなりイラっとした。ここまで書いて思ったが最近ずっとイライラの状態は続いているので、要するに僕の心が乱れているのは今となってはそんなに珍しいことではない。  何はともあれとにかくイライラしている。あのだらしない笑い方。アニマを使っている者特有の、物事を真剣にとらえるつもりがない、へらへらとした態度。もう部活の時間さえ気が休まらなくなってしまった。  元から自分が後輩に慕われている方ではないという自覚はあった。愛想もなければそもそも会話も苦手だ。若干自分のことを綺麗に書いてしまった。後輩どころか同世代にすら友達はいないから、対人コミュニケーションにおいて僕は少し難がある方なのだろう。だがあそこまで言葉が届かないのはショックだった。アニマに心を許すな、あれはまだ精神的な影響が分かっていないものなんだ。取り返しのつかないことになるかもしれないんだ。思いつくままにそんなことを言い続けた。  全部無駄だった。今考えると話の内容や言い方が抽象的過ぎて、人の心に届くようなものでなかったのかもしれない。だけど即興で話せる内容はどうしても抽象的にならざるを得ない。会話とはリズムも重要で、飽きさせないためにも矢継ぎ早に情報を出していく必要がある。特に相手の気持ちがこちらから離れやすくなっているときは。僕が普段見ている、公的機関のサイトに貼られている図表やグラフを示せればもしかしたら結果を変えられたのかもしれないが、多分それをスマホに表示している間にコミュニケーションを打ち切られてしまう。細かい話をされるのは僕も含めて皆嫌いだ。  何より僕にあの状況下であれ以上自分の論を喋る度胸はなかった。僕は1人の後輩(名前さえ覚えていない。そもそも他人にそれほど興味がない。ただこの性質のせいで友達がいないのだと自分でも思う)に注意していただけなのに、周囲の雰囲気は一気に悪くなっていた。部室にいた人間の中で程度の差はあれ、アニマを使っていたのは1人や2人ではなかったのだろう。見まわしたときの敵意を宿した視線が脳裏にこびりついて離れない。あの中ではもしかしたら僕の方がマイノリティーだったのかもしれない。そんな恐怖がある。  家に帰っても、部室に行ってもマイノリティー。1日の大半の時間を小さくなって生きなければいけないのだろうか。  やめよう。ネガティブになるのは。明日は部活を休もう。というより別にサッカーで結果を出すことなんて最初から願っていない。最初から内申のためだ。なので、もう行くこと自体をやめよう。  何も悪いことをしていないのに自分の居場所を追われるみたいで気分が悪いけど、行った方が気分が悪くなるのだから仕方がない。  7月15日  期末試験の気分転換に駅前の本屋に寄ってみたら、ひと騒動を見た。  たまには紙で買おうかな、と漫画コーナーをうろついていたら救急車のサイレンが聞こえて、比較的近いところで鳴り止んだ。そこで僕が外に出たのは断じて人の困っているところを見たかったからではない。もし自分が今入っている本屋の近くで危険なことが起きているのなら逃げる必要があるかもしれないから、状況把握をしたかった。まあ、でも、若干心の中で沸き立つものがあったかのようにも思う。野次馬根性と全くの無縁ではなかったことは認めなければならないだろう。  とにかく救急車が停まっていたのは本屋の真向かいにある古びた茶色の雑居ビルだった。その雑居ビルの中に救急隊員が入っていく。太陽の熱で過剰に温まった歩道上、突っ立っている僕の横に次々と人が集まってきた。野次馬根性の持ち主が塊のようになった。その時は気にならなかったが、普通に歩く人たちには相当に邪魔くさい存在だったろう。ピコピコとスマホのカメラで写真を撮る人たちもいた。そんな人たちを見ていると、自分も撮らなきゃいけないのでは、と焦りの感情が浮かんだがよく考えなくても下世話だし、面倒くさいという感情の方が強かったので、スマホは取り出さなかった。大体撮ったところで、SNSもアカウント作成ぐらいまでしかしていないし、画像フォルダの中で埋もれるだけだ。  野次馬たちは僕も含めて何かを期待していた。もちろんその期待の正体を第三者に口頭で指摘されると否定しただろう。でも日常の生活の中ではあまり見ないような、ドラマでしか見たことがないような光景を待っていた。数分。さらに数分。待てど暮らせど何も起こらず、見物人の期待がややしぼみ始めるのを肌で感じた。僕も暑さが体にこたえてその場を離れようかと思った時、それは唐突に表れた。ストレッチャーとそれを運ぶ救急隊員が雑居ビルを出てきた。でもそのシチュエーションもいざ現実で見ると何てことはない。ただの荷車みたいなものだ。現実ではドラマと違って効果音もなければ、演出もない。そんなことは分かっているはずなのに、その普通さ加減に何となくがっかりしてしまう。  僕はもう完全にただの野次馬だった。自分でも書いていて自己嫌悪に陥りそうだ。  PCでネットニュースを調べてみると、社会面に小さく小さくその時のことは載っていた。アニマの使用を無制限に行うことを目的とした集会がそこであったようで、要するに乱痴気騒ぎの会場だったのだろう。それで参加者の1人に運悪く副作用が起こってしまい、救急車を呼んだ。まあ、ここ最近ではよくある事件だ。  よくある事件。自分で書いていてぞっとしてしまう。こんなものがよくある事件であってたまるか。  同好の士を心配したのか、たくさんの参加者と思われる人がビルから出てくるところまで僕は見た。だけど彼ら彼女らは出てきただけでその後の行動はまさにでくの坊、突っ立っているのみのお地蔵さんだった。前を横切る救急隊員の姿すら見えていないようで、外界に対しての反応がとにかく薄い。自分の中のアニマによる快楽に溺れているようで、現実を見るための脳の機能が正常に使えていないような、そんな感じだ。  人生はまるで胡蝶の夢、と言う人もいたが、これでは夢は夢でも悪夢だ。しかも去年まではまだアニマという存在もおらず、そりゃあ皆完全に満ち足りてはいなかったものの、それなりに全うに生きていたのだ。断じてあんな風にパチンコの出玉のように、死人のような人間が次から次へと雑居ビルから出てくることなんてなかったはずだ。  早く法改正でも何でもして取り締まってほしい、とも思うがこの間、陣笠ではあるけれども国会議員や、激務で疲弊している若手官僚までアニマを使っているというニュースがあったので、それも望みが薄い。いつの間にか八方塞りに陥っているのかもしれない。  こんな時、少年漫画だったら変わりゆく世界に対して自分の非力さを嘆く主人公が出てくるのだろうが、問題が巨大すぎるのとそもそも僕に何の力もないという自覚があるので、そんな気分さえ湧いてこない。ただ茫然と見ていることしかできない。そんな自分がとてつもなく嫌だ。  その内僕みたいな人間の方が逆に取り締まりの対象になっていくのだろうか。本当にこんな可能性まで真剣に考えなければいけないのが、辛い。  7月17日  最悪だ。ここ最近気分がよかったことなんてなかったけど、今日は輪をかけてひどい。  もう家族と一緒に食事なんてとりたくない。大体僕は食べるのが遅くて、姉によくメインのおかずをかっさらわれる。昔から文句は言っているが、早い者勝ちという感じで一向に取り合ってくれない。そんな嫌な思いをするのなら、最初から時間をずらして食べるなりしたい。断じて言うが別に食い意地が張っているわけではない。おかずがないなら白米だけだっていいぐらいだ。ただ、不当に奪われた、ずるいというどす黒い感覚が嫌いなだけだ。  何を書いているのだろう。とにかく今日の夕食は最低だった。まさかあそこまで性根が腐っているとは。書きたくはないが全く狂っているとしか言いようがない。怒りでさっきから筆圧のコントロールすらできない。シャープペンシルの芯がぽきぽき折れる。ちょっと落ち着こう。  何となく記録したくなったので、父の発言を書いておく。いつまでも自分だけ正しい方にいると思うな。思い出すだけで腹が立つ。感情的。独善的。そんなレッテルまで貼られたか。先ほどの会話のはずなのに、頭に血が上りすぎているのかもう記憶が曖昧だ。とにかくアニマを使っている人を見下すな、差別するな、要するにお姉ちゃんへの態度を良くしろ、そんな言葉をぶつけられていたはずだ。  馬鹿野郎、としか言いようがない。大体ガイドラインから逸脱しているのは自分たちの方だろう? その自覚もないのか? アニマへの耐性が弱い人がいる。アニマは使用者が使えば使うほど周囲の人間にも使用を促すようになる。そして耐性が弱い人がアニマを使用したら、副作用による死の危険もあるのだ。だから皆で封じ込めようという流れがほんの少し前まであったのだ。  でも父は僕の意見なんて完全に無視だ。ひとしきり僕に言いたいことをぶちまけると、その後は僕が何を言っても反応を示そうとしなくなった。まるで聞き分けのない子供の言うことなんて聞く意味がないといわんばかりの拒絶の態度だった。  昔、何が原因だったか忘れてしまったが、真夜中に家から放り出されたことがある。その時のことをこれを書きながら思い出している。泣いても喚いてもインターホンを鳴らし続けても、父は僕をしばらく家に入れてくれなかった。寒い冬の中1時間ぐらい放っておかれた気もするし、もしかしたら3時間以上だったかもしれない。その時の惨めさと怒りと悲しさを体に痛みが走るぐらい鮮烈に思い出した。自分の意に沿わぬ人間に対して見せる狭量さ、攻撃性はどうも苦手だ。得意な人が、そもそもいないのかもしれないけど。  夕食の席では反論もしたし、理解を求めるようお願いもした。だが石に語りかけるようなものだった。無視って暴力だろう? そんなことを言いたくもなったが、実際に言うとなるとまさしく「聞いてください」という懇願の口調になりそうで、そうなった場合惨め過ぎるのでやめた。会話をする意味もなく、何度打っても響かない。コミュニケーションが拒絶されている。お前は悪だ。だからお前の言うことは聞かない。これ以上は問うことも、答えることもしない。僕は会話の通じない家族のことを石と表現したが、あるいは家族の方が僕のことを路傍の石ころそのもののように思っていたのかもしれない。話す価値も、それどころか意識を向ける価値もないほどの石ころ。  何にせよ疲れた。社会の変化にも、家族の変化にももうついていけない。ついていく気もない。家を出られるタイミングが来たらとっとと出よう。そのタイミングが来るまで社会が存続していたらの話だが。  眠る前、精神の疲労を癒すために少しだけ動画を見ようとPCをいじってみたが、余計にしんどい思いになった。気持ちが千々に乱れて落ち着かないので改めて記録しておく。  ここ最近動画サイトが勧めてくる、おすすめ動画一覧は見なかった。理由としてはそこに載っていても自分好みの動画でないことの方が多いということを、とっくの昔に僕が学んでいたのもあるし、シリーズ物のゲーム実況を見ている時期だとブックマークなどから遷移した方が楽だったりするからだ。  だが今日はゲーム実況の更新がなく、その他観返したい動画などもなかったのでおすすめ動画の方をクリックした。するとアルゴリズムはこっちの嗜好なんてまるで読めていないようで、地獄のような一覧が出来上がってしまった。アニマ。アニマ。広告。アニマ。ゲーム実況。アニマ。こんな感じに動画がずらっと並んでいるのだ。サムネイルにやたらでかくて否応なしに目を引く文字が表示されているのはいつものことだが、少し前だったらこんな動画は大抵政治やレジャー、芸能、後はどうでもいい商品レビューについて紹介しているはずだった。だが、今やタイトルはアニマ系のものばかりだ。アニマを使って気持ちよくなった、とか、上手な利用方法、とかそんなものばかりだ。  おすすめ表示のアルゴリズムがどんな動きをしているのか、僕は全く想像もつかないのだがどうせ年齢や性別や職業をもとに勧めていたりするのだろう。ということは僕のような10代学生はこんな動画ばかり観ているということなのだろう。本当に、頭が痛くなってくる。  どこかからお金が出た上で作られているのかと思うぐらい、アニマに関する動画が表示されて辟易としたが、自分へのおすすめ一覧に出ている動画がアニマ系の動画の全てのはずがない。もっとあるのだ。いっそサイトごと取り締まってしまえ、と言いたくなる。言論の自由なんて知ったことか。  自分でも怒りすぎていてびっくりする。落ち着こう。  ちょっとだけ落ち着いたので再開する。そもそも僕は無料であの動画サイトを使っていたのであって、金を出していなかったのだからそもそも口を出す権利もない。  サービス提供側にアニマに親和性を抱く人がいて、おすすめ一覧表示の際のアルゴリズムを調整しているのではないか、と邪推もしたが、仮にそうだったとしても僕には怒る権利もない。使用頻度ばかり多くて金を出さないユーザーに気を遣う必要なんてサービス提供側にはないわけだ。むしろサーバーの負荷を重くするだけなんでいないほうがましという可能性すらある。  駄目だ。ここまで書いてもやっぱりイライラする。理屈じゃない、感情の問題だ。  結局自分の居場所をよそ者に汚されている、あるいは自分が追い立てられているような感じがして嫌なだけだ。その自分の居場所という捉え方がどんなに全く正確なものじゃないと分かっていても。  7月18日  足元をすくわれたような感じがした。  いや、自分が間違っているとは今でも思わない。アニマは間違いなく世の中を腐らせている。今のところはまだ個人の嗜好の問題というレベルで済んでいるが、その内小さな問題が積み重なって、大きな事故が発生するのでは、という危機感は未だ持っている。確かハインリヒの法則だったろうか? 1つの大きな事故の前にはその予兆となるような小さい何かがあると言っていたのは。  でも今日のはしんどかった。どうせ無理なんだよ、時代の流れだ、と吐き捨てるように言った高橋の顔が脳裏にこびりついて離れない。お前だけ時代に逆行している、そんな確信を持っているからこそ出来る、僕を見下しきった言い方だった。周囲の空気に気おされて、そうかなぁ、と弱弱しい疑問を口にすることだけしかできなかった自分も悲しい。それほど気の弱い方ではないが、今日の姿は完全に雑魚のそれで、いっそ卑屈とさえ言ってよかった。  へらへら笑っているあいつに怒りを覚えた。ただ、正直僕の方でも相手を、社会の足を引っ張っている奴と一方的にレッテルを貼っていたことは確かだ。だから罰が当たったのかもしれない。気が付けば正義感に駆られてアニマ使用に関して注意してしまっていた。普段パソコンの画面上で見ている情報に、僕も影響されていたということだろう。少しだけ反省する。いや、その必要もないか。やや注意不足ではあったのかもしれないが、上にも書いた通り、正しいことは言ったと思う。  さっきからこれを書きながら何度も何度も駄目だ、と口に出してしまっている。そのこと自体が駄目だ。やり方はまずかったのかもしれないが、僕は正しいことをしたのだ。そのことは信じておかなければいけない。  アニマの使用をしてはいけない、と話した時に、クラス内の空気がいかに寒々しいものになっても、どれだけ自分が孤独な状況に陥っているか分かっても、それでも正しいことを言ったことだけは意識しておかないといけない。間違ったことは何もしていない。大丈夫だ。信じるんだ。  でも、もう二度と学校に行きたいとは思わない。あそこはもう僕のような人間にとって、完全にアウェイだ。もう愛想が尽きた、としか言いようがない。最近は家族との仲も険悪なので、もしかしたら不登校を許してくれないかもしれないが、もう知ったこっちゃない。登校を強制されたとしても最悪家を出て、学校に行く振りだけをしてどこか別の場所に行けばいい。補導員の存在をどうかわせばよいのだろうか。街中をぶらつくにしても図書館に行くにしても、とにかく制服は脱がなければいけない。社会人に見えるよう安くていいからスーツでも買ってみようか。公衆トイレででも着替えて、通学鞄に制服をぶち込む。幸い、うちの学校は通学鞄に指定はないので、いつも使っているリュックをそのまま使っていてもばれることはないだろう。いや、でもスーツにリュックは微妙に違和感があるか。もう体つきは大人なのだから私服にでも着替えれば大学生に見えないだろうか。  少し油断するとこのようにむなしい妄想へと行ってしまう。いや、出来ないだけでむなしいと言っているわけではない。こんな逃避の妄想を考えなければやっていられなくなっている時点で、むなしいということだ。家出して路上で芸でもしながら、住所不定の状態で日銭を稼いで何とか生きていく、みたいな都合のいい妄想とレベルは変わらない。  一応、世間の変化の度合いについても具体的な形で残しておきたいので、高橋の言っていたことのいくつかをもう少し列挙しておく。 「おかしいのはお前だ」 「皆やってる」 「大丈夫だって」 「適応できない弱い人に関しては淘汰では?」  他にも色々言われた気がするが、いい加減吐き気がしてきたのでやめる。何とか今感じている吐き気を言い訳にして、明日だけでも何とか学校を休めないだろうか。  7月25日  書くことが見つからないと日記なんて書きようがない、というのはやはり言い訳なのだろうか。この1週間、ほとんど目新しいことがなかったので書くことに意識が向きさえしなかったのだ。  まず現状を軽く記すと両親は僕が引きこもりになることを許している。話を出したところ、あまりにもあっさりと承諾してくれて拍子抜けしたぐらいだ。まあ、期末テストもぎりぎり終わっていて1学期自体がほぼ終わり、特別講習の時期を過ぎたら夏休みになる。休み期間中に僕の精神が回復するのを期待しているのかもしれない。  これで、1日中自室の中にこもっていると楽だった、と書ければいくらかよかったのだが、現実はそんなに楽でもなかった。精神面では苦しいことの方が多かったぐらいだ。被害妄想かもしれないが、徐々に自分を取り巻く包囲網が狭められつつあるような感覚すらずっと抱いている。  ネットニュースやSNSに流される内容は、不気味で景気が悪いとしか書きようがない。  死亡数がじわじわと伸びつつあることを示すグラフ。副作用で体調が悪くなる人が増えることにより、埋まりつつある病床。  経済活動の状況を示す指標の悪化。半年ぐらい前から目に見えてがくんとグラフの下への傾きが鋭くなったのが印象的だった。まあこれに関しては色々と他に下がる要因があるので偶然かもしれないが。  大物政治家のアニマ使用の発覚。カメラを前にしたそいつは一応言葉の上だけは謝っているものの、責められることに全く納得がいっていないようで、ふてぶてしささえ垣間見えた。呆れて言葉も言えない。  不登校になっている子供の数の上昇を示すグラフ。僕みたいなやつは珍しくもないということだろう。  レジャー施設の閑散ぶりを伝えるニュースは1日1回は目に入るぐらいだ。もうアニマがいれば快楽が手に入るので、わざわざ遠くて、人が密集している施設に行く必要もないのだ。  そして何よりも頻繁に表示されるようになった、アニマに関する好意的な情報。大手のメジャーなメディアでは流石にまだ報じられていないが、SNSなどではもう半ば公然と喧伝されるようになっている。  少し前までみんな警戒状態にいたはずなのに。まるでダムが決壊するときのように、その警戒が一斉に壊れ始めている。  時代が移り変わるというのはこういう感じなのだろうか、とすら思ってしまう。少なくとも僕にはあまり好ましい変化のようには思えないが。いや、これは移り変わると表現するより、敗北しているという風に書いた方が正確なのだろう。なすすべなく、無様に白旗を上げながらの敗北。現実は正確に捉え、表現しなければならない。僕たちは負けているのだ。  逃げ出したい。もうありとあらゆるものから離れたい。今日なんて風呂で溶けていくバスボムを見るだけで鬱々とした気分になった。袋から取り出したときは確かな硬さを持っていた物質が、お湯に浸かることでシュワシュワと溶けていくさまが、崩壊していく日常と重なって思えて辛くなるなんて、精神的に割と末期な方だと思う。  でも、僕のその認識は恐らく大きく外れてもいないのだろう。  8月5日  この日記を今、とある洞穴の中で書いている。  田舎の祖父の家に遊びに来た時、山の中で偶然見つけたもので、当然電気も水道も通っていない。じめっとしているし、虫はいくらでもいる。冷房と暖房のある部屋で過ごしてきた自分が定住するには、大分我慢のいるところと表現せざるを得ない。マットレスなんてあるはずもなく、寝る時だってごつごつして痛い。やることがなくなった時は、始終寝てばかりいるのに、全然疲れが取れない。むしろ疲労が増しているような気さえする。くそっ。何でこんな目に遭わなければいけないのだろう? 誰も来ないのだけが救いだが、普通こんなところ来たとしても何にも徳はしないから来ないのも当然だ。  子供のころ、僕は昔この国であった戦争のことを学んだばかりだったので、この洞穴のことを防空壕か何かだと思っていた。だが、冷静に考えるとそれは恐らく違う。なぜなら入口の所に鉄格子が存在するからだ。爆発で飛んでくるであろう破片には効果が薄くて、その上、避難の時に邪魔になりそうなものなんてわざわざ作るとは思えない。ちなみに鍵穴も存在する。では、罪人を入れる施設? ただ、それにしてはお粗末すぎる。はるか昔の刑務所だってここまでみすぼらしくはないだろう。誰かが私的に作ったもの? このあたりには昔ものすごい金持ちがいたと聞いたことはあるが、まともな金持ちがこんな刑務所の出来損ないみたいな施設を欲しがる理由もないと思うので、もしそいつが作ったのだとしたら相当なろくでなしだったのだろう。  とにかく今、状況はそんな感じだ。以前日記を書いた時から随分と環境が変わってしまっていて、自分でも夢か現実か分からなくなるレベルだ。この洞窟にたどり着いたのは7月の27日だったのだが、それからというもの、僕はペンを持つ気力がなかった。生きるのに必要なものを手に入れるのに一生懸命だったとも言える。水は幸いこの洞穴の中に存在していた。誰かを長期間閉じ込めておけるようにあえてそういう設計がされていたのか、水が岩壁を随時垂れているし、水滴となって落ちてくる箇所もある。この洞穴での生活を出来るだけ快適に出来るよう、僕は抵抗感を覚えながらも一度近い街に買い物に行っている。その時に水を受ける洗面器も買っているため、その水滴を集めることにも成功した。幸い飲んでも腹を壊すことはなかったので、とことん天に見放されたわけでもないらしい。  食事も今のところは何とかなっている。とは言え、家を出た時にATMから引き出したお金が無くなったらおしまいだ。街に行った時に買って来た食料は、行き来をできるだけ少なくするために賞味期限が長いものばかりをチョイスしたが、その分栄養という面ではあまりよくない。クラッカーやビスケットだけではあっという間に脚気になる。生きていけないのだ。こっちの方はもっと考えなければいけない。  まあ、でも、生存のことを考えるのなんて本当は無駄なのかもしれない。既に人生が終わってしまったようなものだ。学校はおろか家からも飛び出したのだから。  職歴も学歴もない。コネも金もない。助けてくれそうな人脈もない。それどころかこの日記自体、途中で使うのをやめたノートの続きから書き始めてしまったせいで、もう残りページが少ない。なので紙すらもない。出来れば自分の思考を日々細かく書いて記録に残しておきたい気もするが、ノートを買う金すらも今は惜しい。惨めすぎて泣けてくる。  何より世界が変わってしまった。恐らくもう元の世界に戻ることはない。僕としても今の世界に関わること自体嫌だ。  そう言えばなぜこんなことになっているのか書いていなかった。一応書いておく。こんな状況だから僕もいつ死んでもおかしくないし、記録は必要だ。  7月27日、また家族と喧嘩した。今回は母とも対立した。  今思い返すとこの時点だったら、もしかしたら僕次第で家族を交渉できたのかもしれない。そんな考えをたまに持つことがある。でも無理なのだ。これは自分のためにもあえて明記しておく。絶対に、無理だ。父と姉の物分かりが悪くなっているのはちょっと前に書いた通りだが、そこに母も加わったことで向こうの数的優位が強くなってしまった。僕1人が何を言ったところで無視されていたと思う。ここ最近のあれやこれやで分かった。正しいから強いのではなく、強いから正しい側に自分を置けるのだ。安っぽい感想かもしれないが、本当にそう思う。  リビングの空気が凍り付くなんてことは、生きてきた中で何度も経験したことで、そんな諸々の経験を積んでいたからこそ、僕は3人からの攻撃にも耐えられたのだろう。年齢を積み重ねて成長することはいいことだ。多分3歳とか5歳、いや中学生のころだったとしてもあの空気に気圧されると僕は負けを認めていたことだろう。そういう意味ではタイミングは良かったのかもしれない。普段はテレビの音や、食器がぶつかる音が聞こえるリビングで何も音が聞こえない。あるのはにらみ合いだけ。僕は3人と目を合わせるのが辛くて、白い壁を見つめたりもしていた。何かの写真を飾るためだったろうか、かつて押しピンが刺されて、少し穴が開いているその壁のことをちょっとだけ残念に思った。  アニマへの考え方に関しては、もう僕と家族で埋めようのない隔たりが生まれてしまっていた。そんな状況での会話は正直頭が狂いそうだった。いっそ本当に狂った方がまだましだったのかもしれない。適当に意見を合わせた上で生きていけたかもしれないからだ。リビングでにらみ合っている僕と父、母、姉。多分この時の光景、白い壁も、そこに開いた1つの穴に至るまで僕は一生忘れないだろう。僕にとってのそれまでの人生が一度完全に終わった瞬間だ。  それまでの様々な事件や、それらから生まれるストレスがやはり相当のダメージを僕に与えていたのだろう。ふっともう家を出てきたいな、と思って、その次の瞬間には出ていくという決意がこれ以上がないほどに固まっていた。もう距離をとるしかない、逃げるしかない。このままじゃ潰れる。最早体全体が訴えてくる悲鳴だった。  家出の準備は早く済んだ。自分でも驚くぐらいだった。人間の行動が気持ちややる気とどれぐらい密接に関わっているかを学んだ。多分少しでも迷いがあったら、僕はちんたら準備して、それも面倒くさくなってやめて結局出ていかなかっただろう。激情に駆られているというより、天井から落とされた球が床に落ちるのと同じぐらい自然に、何もかもがさくさく進んだ。家族が全員寝静まる時間になってから家をこっそり出る時も、感情が大きく動くことはなかった。コンビニに行く時と同じぐらいの手触りで、僕はそれまでの平穏な人生を捨てたのだ。いや、違う。僕が自覚していなかっただけで、もうそもそもそんな平穏な日々はとっくの昔に墓の下に行ってしまっていたのだ。死んでしまっていた。  家を出ても近くにいると見つかる可能性があるから、まずは最寄駅から3つほど離れた駅を目指した。始発電車が動き出すまでの数時間でも、出来るだけ家から離れていたかった。そもそも高校生なので、カラオケやファミレスに入ると補導の可能性だってある。丑三つ時に外を歩くのは流石に初めてで、何となくどきどきはした。これからもっととんでもないことをしようとしているのにも関わらずだ。歩道の端に用意されている掲示板に警察官の姿が載ったチラシを不意に見た時は、危うく飛び上がるところだった。  空が明るくなって、電車が動き始めたのを確認した後に、僕は事前に考えていた通り、3つ離れた駅から電車に乗った。駅の中に何人か目が若干うつろになっている人がいた。酒のせいなのか、それともアニマのせいなのか、正確に区別をつけることはできなかった。ただ駅の治安自体良くないのか、それとも僕がナーバスになっていただけなのか、何だか陰の気のようなものは漂っていた気がする。始発電車の中にすら、そんな気のようなものは存在していて、乗った瞬間すぐに降りたいと思ったぐらいだ。青い顔をした若い男が早足で電車の連結部まで行き、吐いている音がした時、降りたいという気持ちはピークに達した。流石にその時はそこから遠ざかった。  電車に揺られ、時に乗り換えをして、僕はどんどん元いた町から遠ざかっていった。車窓から見える景色に人家すらなくなり始めた時、僕は、これでおしまい、と呟いた。二度と元いた町には帰らないという硬い決意を秘めたつもりの呟きだったのだが、いざ現実で言ってみると何となく滑稽に思えた。誰に聞かれたわけでもないが、思い出すと恥ずかしいので軽い黒歴史なのかもしれない。  その滑稽さにかすかに羞恥心を感じていたところで、電車が急に止まった。  電車のアナウンスが踏切事故が発生したことを伝えてきた。早く元いたところから離れたいと気持ちの上では焦っていたのだが、僕にはどうすることもできず、待つしかないと一旦心に決めた。しかしやることもなくしばらく手持無沙汰な状態が続いた後、僕は何となく前方の車両へと移動し始めた。何を考えてそんな行動をとったのかは自分でも分からない。本当に、何となく移動していた。電車の事故なんて大抵悲惨なイメージしかない。車輪に肉体が絡まって、いや、ここまで書くだけでもしんどい。痛みには割と弱い方なので、イメージだけでも相当にきつい。仕事がきつすぎて駅のホームから身を投げる人たちがいると聞くが、一体どれだけ追い詰められたらそんな怖いことができるのか分からない。  今になって思うと僕はその時やや現実感を失っていたのだと思う。自分がやろうとしている家出が、何だかんだ僕にとっては大事件だったのだから。決意こそ自然とできたが、それはそれだけの話で、考えなければいけないことや不安の種は山積みの状態ではあった。そんな状態に頭の方が耐え切れず、知らず知らずのうちに半ば夢見心地で周囲のものをとらえていた。正直に暴露すると、最も前の車両でその人を見た時、僕はそれでもしばらくぼんやりとしてしまっていたぐらいだ。体はぐちゃぐちゃになっていなかった。人体のどこかのパーツが吹っ飛んでいたりもしなかった。それどころか、僕が見てからしばらくはまだ死体にすらなっていなかったようで、ちょっと腕が動いてさえいた。電車のブレーキがある程度間に合ってはいたのだろう。それでも頭から血が流れ出てはいた。あと意外なことに、それなりに容姿の整った若い男だった。乗務員が外に出て、慌てた様子で連絡を入れている。救急車を呼んでいたのだろう。あと最前列の車両には僕以外にも野次馬がいた。ただ流石に今回は誰も写真を撮っていなかった。  救急車やらパトカーが来て、そしてそれらが来る前に男は天に召されたようで、動いていたはずの腕は動かなくなっていた。男の表情は異様なことに満面の笑顔だった。それが何に起因するものなのかが予測がついてしまい、強い嫌悪感を抱いた。今までも笑顔を見て苛立たしいと思ったことはある。が、苛立たしいのに加えてある種の恐ろしさも感じていることに気付いて、それは初めてのことだった。そしてこの事故にはアニマが絡んでいるというのも、予想がついた。副作用で強すぎる幻覚作用を引き起こすことがあるのだ。その結果電車が来ているのにも関わらず、踏切を渡ろうとしたのだろう。  車両の中で男の笑顔の理由に気付いた人間は、恐らく僕だけではないはずだ。というかもしかしたら見ていた人間全員気づいたかもしれない。使用不使用問わず、アニマが何を人間にもたらすかはもはやこの社会では周知の事実だ。情けなさと呆れと憤りと絶望が足しあわされて4で割られたような感情を抱きながら、僕は後ろを向いた。  振り返った先でもだらしない笑顔を浮かべている女がいた。  背筋にぞくりとした感触を覚える。これが男だったら僕はもしかしたら幽霊と思って腰さえ抜かしていたかもしれない。肩まで露出した青く、涼しげな服を着ている女は緑色の座席に座りながら、何かを見つめていた。女の視線の先を追ってみると、葬儀場の広告しかなかった。幻覚を見ているのだと容易に判断がついた。  自分とそう遠く離れていないところに、自分と同じことをしていたために死んでしまった人間がいるというのに、女はそれでもへらへら笑っていた。先ほどから僕も割とじろじろ見ているが、それでも反応しない。大抵の人間はアニマを使っていても、周囲に最低限の気を配ることはできると聞くのでかなり副作用が強く出る方だったのだろう。突然女がばたんと倒れた。野次馬をしていた数名の人が振り返るのを背中で感じた。1人が女性に駆け寄り、もう1人が車両の窓を開けて、車掌さん、車掌さん、と呼びかけている。僕はまるで床に根が生えたかのように動けなかった。家出という大それたことをしている割に、目の前の緊急事態に対しては何もできなくなっている自分に、失望と不安の念を抱いた。家を出る時の決意なんて、所詮子供のもの。そんな考えさえ浮かんできてより自信がなくなった。  電車のドアが開けられ、車掌と救急隊員が入ってきて女を連れていき、さらにしばらく時間が経ってから電車は再び動き出した。僕は次の駅で降りた。本当は後2つほど先の駅まで行かなければならなかったのだが、最早他人がいる空間が怖かった。世界全体が狂っている気がした。  アニマの存在から、その使用者に至るまで、僕はもう許容することができなかった。  その後は山にたどり着いて、昔見つけたこの洞穴を記憶を頼りに探し当て、基本そこに引きこもっている。道中何度か転んでしまったために膝にかさぶたが出来ている。  どうしてこんなことになってしまったのだろうか?  自分を責めるのはナンセンスだ。良くない方向に変わったのは社会の方だ。何度も何度もそう自分に言い聞かせた。でも、今の自分が送っている暗くて汚い生活のことを思うと、まるで自分に責任があったかのような気さえしてくる。必要物資を買うために街に行った時、こんなバカげた家出はやめてさっさと家に帰るべきだ、と何度か考えた。それがまるで素晴らしいアイディアのようにすら思えた。でも無理だ。たとえ物理的に帰ることができたとして、それが一体何になるというのだ。多分次帰ったらあの生活は僕の内面まで強制的に変えてくるだろう。そしてその時、僕は抵抗すらできなくなっているはずだ。逃走は一度失敗しているのだから、立ち向かう気力も恐らく湧いてこない。  眠った時に時折見る夢で何度か僕はこの洞穴を抜け出し、元の快適な生活に戻っていく姿を幻視している。全部悪い夢だった。アニマなんていない。人類はそれを使ってもいないし、何なら出会ってもいない。そんな風に夢の中では思っている。そして目覚めると惨めで不潔な状態にいる自分を憐れむことになるのだ。鉄格子もあるのだから余計に罪人のようで惨めさが増す。  紙も少ないのに、書いてもしょうがないことまで次々と書いてしまった。でもそれもやむなしなのだろう。何だかんだ僕も疲れている。肉体的にもそうだが、精神的にもだ。日記の中でぐらい愚痴を言いたい。  恐らくもう僕はこういう生き方しかできないのだろう。今までの生活が、時代が、そんな生き方が許されるぐらい、夢のように良かった。そしてその夢は終わった。そう思うと少しは自分を慰められる。
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