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「これ。写真のお嬢さんのプロフィールが書いてあるんですよ。名前とか生年月日、住所とか仕事とか、趣味とか好みとか。それと写真を見て興味があればお出会いしましょうってなるわけです」
「なんだ。これはお前を釣るための餌か。まさに『釣り』書きだな。ははは」
「笑い事じゃないですよ。どうやら厄除大祭の時に撮られた写真が広報で出回ってる上に、集団見合いのイベント広報に客寄せパンダ的に使用されたせいで今朝からあっちこっちからこの手の話で迷惑してるんです」
「結構なことじゃねえか。モテねえ雄からしてみたら殺意が沸くほど贅沢な悩みだろ。で、すんの? 見合い」
「したくないですが、全拒否は許さないそうです」
幸紘は机の上においていた鞄の中から煙草を取り出すと、火をつけないままで銜えて揺らした。神様は机の上から見合い写真を手にして次々にベッドの上に広げていく。鮮やかな振り袖が広いベッドを花畑のように彩った。
「どの子が好み?」
「好みとか……」
幸紘はぼそぼそと言って俯いた。
どんな髪型が好みか。どんな顔がかわいいか。年齢は、身長は、体型は、声は、趣味は、嗜好は……。人が人を好きになるとき、普通はそれを瞬時に判断して、総合的にポイントが高い相手を好みとして選んでいる。だが幸紘はそれがわからない。絵を描くとか、造形をするというのが好きだが、共通の趣味を持つ相手をほしいとは思わない。創作行為自体は好きという事もあったが、対象とする物を好きかどうかを判定するためのしるべの一つにすぎないという側面もあったからだ。
「……わかんないです。全然興味ないんで」
煙草を指に挟んでぼそっと幸紘が言うと、神様はあからさまに眉をハの字にして幸紘を見た。
「大分本能的なところの欲を食われちまったな、ユキは。雄が雌を求めるのは本来は自由意志じゃなくて本能欲のはずだぜ」
「じゃあ神様は? 例えばこの中で好みとかあるんですか?」
幸紘は椅子にもたれたまま気だるげに言う。神様は写真を並べ、じっと見つめた。
「んー……とな。これとこれなら、これかな」
「セミロング好きなんですか?」
「髪? どうでもいいわ。血色いいだろ? 健康そう。これは細すぎるよな」
「アクティブな趣味の多い人ですね。現在は商社の営業職ですって。俺より高給取りですよ」
「キャリア捨てて子供産むかな?」
「子供、必要ですか?」
「そりゃ生き物だから、自分のだろうが他人のだろうが、種を育てて次世代につなげていくのは当然だろ。特にユキがガキ作んなかったら、この神社終わりじゃん」
「ええ、まあ、そうなんですけど……」
「あ、この子いいな。安産型の体型だし、趣味が食べ歩きだって。生きることは食べることだ。生命力が強い」
他人事を楽しみ、写真を物色する神様を見ながら幸紘は口をへの字に歪め、眉間に縦皺を寄せる。神様の前で煙草を吸うのは避けていたが、さすがに今は気持ちが腐ってしまって、遠慮なく火をつけた。ふうっと盛大にため息とともに天井へと吐き出す。部屋の隅で蟠っていた『それ』らが慌てて逃げていった。
「神様は基本、顔とか雰囲気とか趣味とか、好き嫌いとかはどうでもいいんですね」
「そういう要素が生存戦略上有利なら、それを重要視して選べばいいんじゃねえかな」
「セイゾンセンリャク……とか」
「人間は外見とか趣味嗜好とかで判断するのが種を継続していく上で有利だ。だから俺はお前に自分を磨けって言うわけだし。でも俺は魚だから、魚の観点の判断しかできない。俺たちにとって外見ってのは健康か否かという判断材料で、その判断材料が重要なのは健康であることが次の子孫の生存率の上昇に関わってくるからにすぎない」
「身も蓋もない」
幸紘は苦笑いすると、とんとん、と灰皿に灰を落として煙草を銜えた。
その中に、あなたがいたら迷うことなどないものを、と幸紘は願うものの、目の前の存在は種を残すとか残さないなんて問題とは無縁の生死を超越した存在で、だからこそ博愛に満ちていた。いくら幸紘が自分だけのものでいてほしいなんて思っても叶うはずはない。第一、天変地異でも起こって彼が幸紘だけのものになったとして、鯉の雄との間に次種族など、そればかりは天地が逆転しても叶うはずはない。そんな幸紘の気持ちなどまったく知らない神様は見合い写真をずらりと広げた上で尋ねる。
「で? どの子? 俺のおすすめはこの子だけど。いい子が産めそう」
「さて、どうでしょうね。その人の釣書、見ました?」
「いや。文字、読めなくはないけど、苦手なんだよ」
幸紘は神様おすすめのお嬢さんの釣書を求める。それをざっと眺め見て、口の端を皮肉に歪めた。
「やっぱり当てにならないもんですよね、その写真って」
「なんで?」
幸紘は釣書をデスクの上にふわりと投げ置いた。
「こういうのは昔から、大体成人式の時に振り袖着た記念に撮るものなんですけどね」
「ああ。人間で言うなりゃ娘が一番花咲く頃ってやつか」
「それをほら、神様がおすすめしてくれた人、俺より八つ上、つまり三二歳の釣書にだって堂々使うわけです。男女問わず年を経ることが必ずしも劣化だとは思いませんが、自分の来し方に自信があるなら今の写真を出すべきでしょう。でも出さないんだから、その段階で俺は無理ですよね」
幸紘の言葉にベッドの上の神様は口をへの字に歪め、眉間に縦皺を寄せた。
「……さてはユキ、割と、ウルサいな?」
「結婚とかその先に全く興味がないから断る理由を探して厳しくなるだけです。それに現実的な話をすると、結婚したら子供が、それもこの神社の跡取りとなったら必ず男子が必要、となれば初婚が三二歳という年齢は生む側としてはなかなか厳しいですよ。心身ともに」
そんな困難がわかっていて次世代のためだけに家族を作る努力をしなければならないというのは幸紘自身が辛いし、それで作られた家族は神職のために捧げられなくてはならないのもまっぴらだった。
傍らで、神様は釣書を一つ一つ元の通りに写真と片付け始めていた。幸紘はため息をつくと窓の外に視線をそらして煙草を燻らし、満月が白く照らす外を眺める。八津山の方から狼が悲しげに鳴いているような気がした。
あなたがいればいいのです、と幸紘は紫煙とともに吐き出しかけた言葉をぐっと飲み込む。今のところ、幸紘の体が反応し、求めるのはただ一つ。目の前のこの神様に他ならなかった。
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