2 狩りの始まり ①

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2 狩りの始まり ①

 柔らかい黄色の光が輝く御社殿の石畳の先、拝殿の縁には八幡神と神様が少年野球の監督よろしく、どっかりと足を組んで座り込んでいた。  対する幸紘は随神門の前に立つ。松葉色の袴の足下に置いたペットボトルを取り、蓋を開けて中を呷った。 「へいへいバッチこーい。声出てねーぞ、青二才。へばってんのかぁ? その程度で音ぇあげんじゃねえぞ」  本殿の奥から瀬織津媛が野次る声が聞こえてきて、幸紘は本殿を睨み付ける。足下にペットボトルと置くと、顎を伝った汗が落ちた。 「ねえ、ちょっと待ってください。祝詞の練習でどうしてボイストレーニングっていうか、こんな少年野球の声出しみたいな練習、いります?」 「まあ、神に奏上するだけなら微声で言わねばなるまいが、祭りの時は参列した人々に聞かせねばらなん。その時にボソボソ言ったんじゃ効果は薄い。やはり大勢の前では朗々と空間に響かせる祝詞が美しい。美しい音は全てに干渉し、清め、鎮める効果を持つものだ」 「それにユキはすぐに『聲』を使おうとするからな。それじゃ祝詞の効果は高まってもすぐに喉がやられちまう。そうじゃなくてまずユキ自身の声を張れよ。それだけでも全然祝詞の効果出せるいい声してんだからさ。喉でガナろうとするんじゃなくて、普通に腹筋使って腹から音を出すのを意識しろよ」 「そんな簡単に言いますけどね……」 「あともうそろそろ大祓詞(おおはらえのことば)くらい覚えろ。再来月の六月大祓式で淵上神社の禰宜として単独デビューなんだろ? そんときにボソボソ手元の紙見ながら言ってたんじゃ様になんねえぞ。紙はあくまでも見てるふり。かっこつけなんだからさ」 「うっさいな。わかりましたよ!」  こんな調子で今日は昼から拝礼客がいなくなったのを見計らい、ずっと幸紘は大祓詞を言わされていたのである。一字間違えたと言ってはやり直し、聞こえないと言ってはやり直し、何度も何度も繰り返させられてヘトヘトになってしまった。 「お疲れ」  日が暮れる頃になり、拝殿の縁に座り込んだ幸紘の目の前に水のペットボトルが差し出される。神社の境内外に設置された自販機で神様が人数分の飲み物を買ってくれたのだ。神様は瀬織津媛にはエナジードリンクを、八幡神にはコーヒーを渡して、自分は緑茶を開けた。 「腹筋が痛ぇ」  幸紘は受け取ってすぐに開けたペットボトルの中身を口にすると、体をくの字にして少し枯れた声で呻いた。 「声を出すってのは割と内臓とそれを支える筋肉に負荷をかけるもんだからな」 「神様に筋トレ指導してもらっててよかったです。じゃなきゃ途中でリタイヤしてました」  リタイアしたからといってせいぜい瀬織津媛から根性なしの烙印を押される程度なのだが、それが幸紘は嫌だった。  『力』がほしい、と幸紘は願う。何もかも、自分の動物としての情動すら制御できる『力』が欲しい、と。そのためにはもっともっと自分を追い込んでしまいたかった。  幸紘はちらっと神様を見る。その視線に気がついて、神様がペットボトルを口にしたままふにゃっと笑った。 「なに?」 「いえ……」  胸の内がきゅうっと締め付けられ幸紘は俯く。禁足地での口づけからずっと、頭の中も体の奥も身分不相応に不埒な熱で煮えている。ここ最近の夜は隣で眠る神様の寝顔に癒されつつ、体の熱が上がろうとするのを祝詞を諳んじて耐え忍ぶ瞬間が大波のように襲ってきては浅い眠りを過ごしていた。
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