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三階まで上ると幸紘の部屋にはすでに天井灯が灯っていて、扉の隙間から白い光が漏れていた。
「おかえり」
神様は幸紘から借りた楽そうな室内用スウェット姿でベッドの上に座っていた。その前には台紙付きの写真がある。朝にダイニングテーブルで見た三冊が机の上にあって、そこへさらに三冊追加されている。神様の前にあるものをいれると朝に比べて計四冊が追加されていた。
「なんで増えてる?」
「光子が持ってきたぞ。夕方くらいだったかな。その前にリビングで奥様連中がなんか話してた」
神様の言葉に幸紘は頭を押さえた。先ほど浩三が言っていた光子の知り合いが何人かうちに来ていた理由は白羽の矢がメインではなかったのだ。
「これ、なんの写真?」
神様は豪勢な台紙がついた振り袖姿の女性の写真と、その間に挟まっていた手書きされた縦書きの書類を指さした。
「見合い写真ですよ」
「見合い……あ、あ~あ~番候補か」
「言い方」
幸紘は苦笑して手にしていた白羽の矢と鞄をデスクの上に置く。クローゼットを開けて部屋着代わりにしているジャージを探した。
「これ……どうした?」
神様に声をかけられて幸紘は振り向く。神様は白羽の矢を指さしていた。
「そうそう。その写真を持ってきた人の家にこれが刺さってたらしいです。写真のついでに親父に相談があったみたいですよ。今、下に警察が来てるかと。でも変な感じがしたんで神様に見てもらったら何かわかるかと思って」
「ふうん」
神様は白羽の矢を手に取る。
ぱしゃん。
軽やかな水音を響かせて、神様は白い矢羽根と白木のシャフトをつっと嫋やかな指先で撫でる。ただそれだけの仕草なのに、神様のゾクッとする程のきりっと整った顔つきと静謐な雰囲気に幸紘の息が止まった。
暫くして切れそうな柳線を形作る瞼が開き、白目がちな目が幸紘に向けられる。
「これ、もらっていいか?」
「いいんじゃないですか? 証拠品としては他にもいっぱいあったし、それ、たぶんうちに刺さってたやつですから」
「マジで? 物好きだな」
「どういう意味で?」
「これは神嫁ぎの印だ。奥山奇譚にそういう話あっただろ」
「そうでしたっけ?」
幸紘はデスクチェアに座ると、机の上に置かれたままになっていた奥山奇譚を手に取る。パラパラっとめくるとその十に短く書いてあった。
「十……新月の夜、人が消えることあり。淵上村では神嫁ぎという……とは?」
「このあたりでは人が消えると消えたやつは神に嫁いだ、って言われんだってよ」
「初耳です」
「俺が人魚に間違えられたぐらいか、それよりも前に言われてた話だ」
「人魚の話がいつなんですか?」
「知らね。だけど新月の夜闇に紛れて明けにはいなくなるなんてのは、今だって訳アリの夜逃げは暗いうちってことからもわかるだろ? 俺は何回か運送屋のバイトで遭遇したことあるけど」
「いろいろ経験してますね」
「長く生きてるからな。気が触れて山へ逃げる者、許されない事情や村内関係の軋轢で村にいられなくなった者、貧困から親に売られまたは自分で身を売った者、みんな何かしら事情があるもんだとはわかってる。だから老若男女問わず「神に嫁いでいったんだ」と残った者はけじめをつけた。もちろん山津神や魑魅魍魎系が浚う例もないわけじゃない。生き物にたくさんの種類があるように、幽世の者たちにもいろいろ種類がある。その中でも人間が鬼とか妖怪なんて呼んでる卑近な種では人間を嫁や召使い、もちろん食料の代わりとしても浚ってた」
「怖い系の昔話でみるやつ」
「怪談とかな。ただそいつらが浚うときも基本的には月のない夜だ。光があるところでは人の目が利く。陰陽師でも呼ばれちまったら痛い目みるからな」
「陰陽師って本当にいたんですね」
「いるよ。でも現代の映画で見るようなヒーローでもなんでもなくて、陰陽師も山伏も山に生きる奴らからすれば今で言うところのマタギと一緒だ。猟銃が封印札や呪言になるだけ。なんにしろ、あるときまではそんな感じでここいらあたりの人と自然の関係なんて、暗黙の了解の上でその程度の曖昧さの中にあるぐらいだった。それを儀式化した馬鹿が現れるまではな」
神様は険しい顔で吐き捨てるように言った。
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