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三人の来訪者
「浄化」
ヨウスケがそう呟くと、手のひらに掬った水が光り輝いた。家の裏側にある泉は綺麗だが、口に入れるには不安がある為こうして都度魔法で浄化しているのだ。
よく冷えたその水を口に運び、ゴクリと喉を鳴らした。そのまま顔を洗って、寝ぼけた頭を覚醒させる。
「はい。手ぬぐい」
「ん、サンキュ」
渡されたそれで濡れた顔を拭き取った。拾った当時から何かと手伝いたがっていたエダールだったが、最近は目に見えてヨウスケの世話を焼いてくる。
昔は世話になっている負い目からかと思っていたが、近頃のエダールの姿を見ると元々の性分なのかもしれない。
「ヨウスケ、髪の毛が濡れてる。ちゃんと拭かないと」
「んあ? いいよ別に。そのうち乾くだろ」
季節は春。間も無く夏を迎えようとする時期に、多少髪の毛が濡れたところで風邪もひくバカはいない。そして多少の風邪なら魔法でなんとか出来るのだから、そんな気遣いなど無用なのだ。
ヨウスケは気にせず家に向かおうとするのに、その両肩をエダールは大きな両手で引き寄せた。
「っ、おい」
「駄目。ヨウスケ」
エダールは手ぬぐいで、ワシワシとヨウスケの頭を拭った。そもそも大して濡れてもないのだから、それはすぐに乾く。
「おまえなあ……最近、おかしいぞ」
「おかしい?」
「ああでも……そっか。お前はDomだもんな。世話を焼きたがる性質もある訳か」
Subを支配したいという彼らの本質は、決してサディストではない。個人差はあるがSubからの信頼を寄せられ、庇護することに喜びを感じるのだ。
そしてSubであるヨウスケも、実際の所そんな風に構われて、嬉しくない訳ではないのだ。年上の矜持がそれを素直に表に出せないだけで。
「じゃあヨウスケは、世話を焼かれて嬉しいって事か」
だけど賢いエダールは、ヨウスケのその呟きですぐに理解してしまう。DomとSubは二人で一つ、一対の鏡合わせになっているのだ。Domがしたい事はSubがしてほしい事であり、その逆も然り。
「な……っ、そ、そういう訳……じゃ、ない事もない事も、ないけどよ……」
こういった事には特に、相変わらずつっけんどんな態度を取ってしまうヨウスケだったが、二人の間に漂う空気は以前と少し違っていた。
だがふと風に乗って聞こえた音のせいで、エダールの空気は一気に硬いものとなる。ヨウスケはその変化を感じ取って見上げると、養い子は苦い顔をしていた。
「ヨウスケ」
「ああ、分かってる」
人間と言えば二人だけのこの森の中から、人の声が聞こえたのだ。それも、複数の人間で交わされる会話のさざ波が。
「エダール、耳と尻尾を隠してくれる?」
エダールは無言で頷き、手ぬぐいで頭部を包んだ。エダールは獣人――そうヨウスケは呼んでいる――であり、この世界には他に居ない、獣の耳と尻尾の付いた人間。そのため誰かにこの姿を見せるのは不味いと、ヨウスケはそう判断している。
警戒を隠さないエダールは、ヨウスケを自らの背後に隠して、声の方向に身体を向ける。
「――来る」
踏みしめる小枝の音が近づいて来る。一人、いや三人はいる。
「やっほ~ヨウスケ! ひっさしぶりだねぇ~!」
現われたのは、真っ白な髪の毛をした男だった。エダールと変わらないほど背が高く、少し垂れ目がちなその表情は明るく、人好きしそうな好青年は、その容貌を裏切らず親しげに手を振ってくる。
「おう、ヴィー。やっぱお前か」
ヨウスケはひょいとエダールの後ろから顔を覗かせた。
ヴィーと呼ばれた青年の後ろには、付き人なのかお守りなのか、げんなりとした表情を浮かべた一対の双子の少年達が付き従っている。
「ヨウスケ。危ないから隠れてて」
「んも~僕は危なくないってぇ。全く、相変わらずエダールはヨウスケ以外には懐かないのな~? ちっちゃい頃はヴィーお兄ちゃんだぁいすき♡ って言ってくれてたのにぃ~」
「言ってない。ねつ造は良くないぞ、ヴィー」
そんな二人のやりとりを眺めるヨウスケは、少しは仲良くなっても良いのにと小さくため息をついた。
それこそエダールと出会った当初から、度々訪れてくるヴィーには世話になっているというのに。
ヨウスケのため息の隣で、ヴィーの付き人の男――リィアとドゥアは同じようにため息を零す。
「はあ~全く。ヴィー様には困ったものです。こんな所にわざわざ御身自ら来なくても、その辺の小間使いに託せば良いものを」
「エダンの言うとおりです。こんな平民に届け物をするために足を運ぶ必要はありません。むしろ平民が来い」
「悪かったなあ~平民で」
茶色の髪の毛を嫌みったらしく撫でつけて、いかにも貴族だと言わんばかりの布地で作ったシャツブラウスにジャケットを揃いで重ねているこの二人は、ヴィーの側近だ。異世界でも貴重な魔法使いであり、ヴィーに心酔する十六歳の少年の戯れ言だと、ヨウスケはいつも聞き流すようにしている。
十六歳――。彼らはまだヴィーが王子で、ヨウスケが大魔法使いと呼ばれ、瘴気を封じる旅を強いられていた頃を知らない子供なのだ。貴族子息として王都の学園にいたなら尚更詳しくないだろう。ヴィー付になってここに来るようになってまだ半年だ。きっとまだ、何も知らない。
そう、平和しか知らないのだこの子たちは。ヨウスケはそれが寂しいような嬉しいようななんとも言えない気持ちで、この生意気な子供達を叱れずにいた。
苦笑いするヨウスケの代わりに、言い合っていたはずの男二人が話しに割って入ってくる。
「双子。ヨウスケを苛めるな」
「そうだよ~。リィアも、ドゥアも、俺の友達に失礼な事言ったら駄目。それに平民がいるから僕たち王族も君たち貴族も生活できてるんだからね」
「御意……」
生意気な双子も、ヴィーというこの国の主の言葉には素直に頭を垂れる。しかしその本心が容易く覆らないのは、ここに来る度に同じようなやりとりを繰り返している所から覗えた。
ヴィーも分かっているからこそ、ヨウスケの手を取り「ごめんね」と謝罪をする。
「いつもうちの子たちがごめんねぇ~。だけどここに来るにはこの二人がいないと無理だから」
簡単に頭を下げる目の前の男が、実はこの国の王だと誰が思うだろうか。
少なくともエダールは分かっていないかも知れない。理解していたら、もう少しそれなりの作法で接していてもいいはずだ。
ヨウスケはヒラヒラと手を振る。
「いいっていいって。うちのエダールもこれだし、お互い様だ。つーかマジでお前が来なくても良いんだぜ? 双子の言う通り、今まで通り物資だけ送ってくれるだけで大助かりだし」
ヴィーがここに自由に来られるようになったのは、この双子を登用させてからだ。数少ない魔法使いの双子であり、魔力を合算することのできる貴重なこの存在が、ヴィーのこの森への転移も可能にしていた。
「それがいいです、そうしましょうヴィー様。平民もこう申しておりますし」
「それがいいです、私たちの魔力は有限ですから。ヴィー様をお守りするだけに使いたいですし」
コクコクと頷く双子は全く悪びれることがない。全くもってヴィーの言葉を理解していないのだった。
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